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7-1

 五年ぶりに訪ねる広大なキャンパスは、授業の真っ最中だったのだろう、不安になるほど閑散としていた。大学時代同期の寺本くんに何度か案内された農学部棟の位置は、比較的新しい記憶ですぐに思い出された。蛇足かもしれないが、寺本くん含め、これから新たに登場する人物は当然、暗号にも紛失事件にも一切関わりがない。


 ぎこちなくならないよう、学生然とした態度を取りつつ、守衛所の脇を通り抜ける。そして、うっすらと埃の匂いがする通路を進み、「生物環境エネルギー研究所」のドアを控えめに叩いた。


 カタツムリも激怒するであろうゆっくりとした速さで扉が開き、髪を後ろで束ねた白衣の女性が現れた。事前に寺本くんが話を通してくれていたようで、女性は私の顔を見て一言「あ」とだけ言った。女性はこちらが自己紹介する隙も与えず、ドアノブから手を放すと、そのまま自分のデスクに戻っていった。それゆえに、このときその女性との会話(?)は、ひとまず「あ」だけで終わってしまった。


 入室許可を得られたのかわからなかったが、拒む様子も見せない女性を横目に、私はおそるおそる中へ入った。PCが乗った数台の机は、女性の以外全て無人で、歓待とも排他ともつかない節用ぶりを示していた。


 その中の一つに大きなメモ書きが置いてあって、それが寺本くんの机だと一目でわかった。

「冷蔵庫を見るべし」


 もうメモ書きは沢山だとうんざりしたが、香水でなくペンで書いてあるだけまだましに思えた。指示通り壁際の冷蔵庫を開けると、すぐ手前に三つ折りの紙を見つけた。私は無駄に冷えたそれを引っぱり出し、空いた机の上に広げた。


「やあ駆留くん、学部生時代以来じゃないか。元気にしていたかい?塾のバイトで一緒だった君が、飲みの席で急性アル中になって、先輩の車で下宿まで運ばれていったのも、もう五年前か。早いものだね。さて、この間、電話で話してくれた暗号の件だけどね、教授にも話すと『小学生にしては面白い試みだ』と感心していたよ。部屋の中央にグレーの無機質な箱があるだろう?ガスクロマトグラフィといってね、香料を分析する装置さ。自由に使ってもらって構わない、とまでは言わないけど、香水のサンプルデータをいくつか残しておく、という条件でOKをもらったよ。十五年前の香料がうまく検出されるかは神頼みでしかないけどね。使い方は、研究室に残っているモモちゃんに訊いてくれ。口数は少ないけどいい子さ。彼女はまだ学部生だから、今回の中国での学会には参加できなかったんだ。お土産はね、訳ありシャネルの鞄がいいと君は言っていたけど、それは無理かもしれないな。乾いた口当たりが絶妙な高麗人参クッキーでも買っていくつもりだよ。それじゃあ、幸運を祈る。暗号になんて書いてあるかわかったら、僕にも教えてくれよ」


 読みながら寺本くんの席に座り、ペン立てのはさみを一本拝借する。そして、クリアファイルに入れておいた暗号を取り出し、丸を一つずつくり抜いていった。


 気づくとモモちゃんが横に立っていて、ビニール手袋をした手で切り出された丸を一つつまんだ。彼女は私の視線に構うことなく、それを浸した薬液を手際よく小瓶にそそぎ入れた。


 この間、私は「大学院へは進むんですか」と、先ほど強制終了した会話の続きを試みた。モモちゃんは「はい」と返してくれたが、それ以上彼女の口は動こうとしなかった。慎みを極めた女子大生を多弁にする魔法のような言葉があるだろうか、と考えるうち、計十本の小瓶が机の上に並んだ。

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