導かれし人々よ
「第一の方に回せ!心拍落ちてきている!」
ローディバブルは周囲を走る部下に指示を促していく。
運び込まれる患者の後を続くように生々しい鮮血が滴り落ちて道を作り出していた。
吹き飛んだか。またはちぎれたのか。患者の左肩から、左腿からの先は既に失われていた。
ちぎれた箇所の止血を行うランヴィが焦るように声をあげた。
「脈拍停止!脈拍停止!すぐRP持ってきて下さい!」
「たくなんだって今日はこんなに忙しいんだ…!」
忙しなく次々と集中治療室へと運ばれて行く患者を見てローディバブルは愚痴を小さく零した。その言葉にを聞いたランヴィも顔を俯かせた。慌ただしいのは毎日あったが、今日に至っては数分置きに患者が運び込まれているのだ。どうしてこんなに運び込まれているのかローディバブルには分からなかった。
「駄目だ!人手が足りない、第二メディックの奴らもここに連れて来い!」
「で、でもあの子達はまだ実戦経験が乏しいですよ!?」
「…そうだな。だけどきっとこれは良い経験になるやかもしれん、連れて来い。状況では俺達の手すらも足りねえんだよ」
ローディバブルの切羽詰まった様子にランヴィは息を飲むように『わかりました』と呟いた。第二メディカルオフィスへと走って行ったランヴィ。彼女が抜けた後も次々と運び込まれて来る患者に周囲からは疲労の顔色が見えた。この状況は誰だって逃げ出したくなる。
今までに見た事のない症状の連中ばかりが次々と運び込まれ、損傷の激しい患者や息も絶え絶えの患者が運び込まれるこの状況に卵達が耐えられるか。それはランヴィも不安に感じていた。けれど、これだけ運び込まれている状況ではそうする他なかったのだ。
「ローディー!こっちの部品は足りてるか!」
「まだまだ部品はあるから心配すんなよ」
慌ただしいオフィスに一際目立つ二人が入って来た。
大きな箱に詰められた部品をローディバブルに見せに来たのは双子のアンバーとセイバーだった。一つの胴体に四つの腕。一つの体にあるのは二つの頭。見慣れない部下達は二人の姿を見て目を見開いて手を止めている者もいた。止まるな、と叫ぶと部下はローディバブルの声に慌てて蜘蛛の子を散らすように慌ただしく動き出した。
「…悪いな」
「いんや、誰だって見慣れん物には惹かれちまうもんよ。それよりどうだ、状況は」
「最悪としか言いようがないな」
ローディバブルは慌ただしいオフィスの光景を見渡してため息を零した。顔を顰めてそうか、と呟いたアンバーにセイバーも悲しげにローディバブルを見て口を開いた。
「…誰も助かっていない、らしいな」
「……症状が…不明なんだよ」
ローディバブルは言葉を濁した。
医者がきっと言ってはいけない言葉なのは分かっている。治療を施し回復を見込むのが医者だと言うのに手の施しようがない患者が運び込まれて先程からずっと人工心臓稼働機が絶え間なく終わりを知らせる音色を響かせていた。
啜り泣く者や。その場に蹲り一歩も動けなくなってしまった者。しかし俺達が手を止めてしまえばこの結末を誰が救うだろうか。
「…なあ、ローディー少しは休んでいるか?」
「…お前が倒れたら俺達を治してくれるのは誰だって言うんだ」
アンバーはローディバブルの肩に手を置き表情を曇らせた。感情を読み取ったのかセイバーもまた彼を心配するように眉間に皺を寄せた。
互いに終わりの見えない状況に疲労感が見えているのに気付いていた。この現場を離れる事の出来ないローディバブルに誰もが労りの言葉を掛ける事はなかった。ここにいる者達は己が役目を全うする事だけで精一杯だったのだ。ローディバブルは二人の言葉に顔を俯かせた。先の見えない不安ばかりが胸の中に渦巻いていた。
「…臓器を貪り…骨をしゃぶり尽くす…全くなんだって言うんだ…」
小さく呟きいつもの楽観的なローディバブルの声とは思えない程に弱々しい言葉をアンバーとセイバーは聞いた気がした。いつもここのメンバーを奮い立たせて喝を入れるのが彼の役目だと言うのにここまで悩む彼の姿を見た事がなかった。部品を持って来て、と頼まれたが第一メディカルオフィスに誰も来たがらなかったのだ。上司からの命令だろうと誰一人手を挙げずその役目を担ったのが、アンバーとセイバーだった。
誰かがここのオフィスに足を運んで一刻も早く部品を届けなくてはいけない。それだと言うのに誰もこの現場に来たがる事はなかった。
充満する薬品の匂い。泣き叫ぶ人の声。死への恐怖を喚く轟き声。誰もがこの現場に飲まれそうになる。死とと隣り合わせのオフィスに誰が来たがる事だろうか。死へのルートを伝える心拍数。どうやったってほとんど第二に回ってくる患者の数は抱え切れるものではない人の量だ。そのリーダーを務めているローディバブルにとっても疲労感が見えても仕方ない事だ、とアンバーはローディバブルの背中を軽く叩いた。
「何かあったら言ってくれ。力になるからさ」
明るい声を響かせたアンバーにセイバーも続く。
「そうだぜ、俺達には四本の腕だってある。怪力は任せてくれよ!だからさ、俺達にも頼ってくれよ」
二人の強い言葉にローディバブルは軽く笑みを零した。この切羽詰まった状況だろうとやはり持つべきものは友と言うべきか。運び込まれて来る患者の数は増えるばかりだが、彼らの励ましに少しばかり疲労感が緩和された気がした。
その時、ランヴィが俺を呼ぶ声が聞こえアンバーとセイバーと別れた。二人と別れてすぐランヴィの方へと駆け寄ると一人の少女がこちらに向かって走って来た。
「ローディー!」
「おお、セルーナ。そっちで上手くやってたか?」
ばふ、とローディバブルの腕の中に抱き着いて来たのは幼い頃から見知ったセルーナだった。彼女もまたこのメディカルチームの一員である。幼い頃からこの軍に遊びに来てはローディバブルに付いて歩きまるでアヒルの子供のようだ、とよく言われていた程に懐いていた。明るい笑みを零して彼女の体を抱き締めるローディバブルの表情には先程の疲労の色は消えていた。
セルーナもまた久しぶりに会えたローディバブルの腕に擦り寄ってはパッと顔をあげた。
「それで私達の仕事って何をするの?」
「単刀直入に言うとな、ここの人手が足りないんだ。それでお前達を連れて来て貰ったんだが…ランヴィから聞いたか?」
セルーナを見つめてすぐに周囲に辺りの空気に飲まれそうになっている新人達の方を見てローディバブルは問い掛けた。全員が首を横に振りランヴィに救いを求める視線を向けた。恐ろしい、と感じたのか誰一人としてローディバブルの視線を交えようとはしなかった。皆が顔を背けて震え上がっていた。ローディバブルは僅かにため息を吐いた。恐れられているのには慣れていたが自分に怯えているようじゃきっと患者なんて見れたものではないと思った。ただ一人ローディバブルに怯える事なく嬉しそうに笑みを浮かべていた少女はすぐに上司である彼の言葉を聞き入れていた。
「ねえ、ローディー。今でどの程度の患者が運び込まれているの?」
「ザッと見て三十分の間で50人から60人ってとこだ」
さっきまでとは違いローディバブルの話を真剣に聞くセルーナ。彼女の眼差しはまだまだ幼さの残る少女だが状況の判断はきっとここにいる新人の中では誰よりも大人だろう。セルーナは小さく唸りながらオフィス内を見渡した。辺りは騒然としていて誰一人歩く事なく走り続けている。しかし、今ここにセルーナが姿を現した事で周囲の視線がどこか鋭いものへと変わった。その眼差しは憎むような目付きの者もいれば妬ましいような眼差しを向ける者もいる。
ローディバブルはこの視線を危惧していた。誰だって人を恨みたくなる時はある。だが、彼女が憎まれている理由はただ単純な事。
生身の肉体である、という事だけだ。
そんな簡単な理由だけで彼女を恨む者はここには多く存在する。だからこそローディバブルは目一杯彼女の話を聞くのだ。救う側の人が誰かを無い者にするのはおかしな話なのだ。
「ランヴィ、コイツらに状況説明して現場に付かせろ」
「で、でもリーダーッ…!彼女達に状況の判断などまだ…!」
焦りをみせたランヴィに彼は大きなため息を吐いて新人の方を見て声を荒らげた。
「よく聞けよ!状況は最悪だ。だが、お前らだってメディックだ!気を引き締めろよ!」
ローディバブルは声高らかに張り上げて怯える新人達を奮い立たせた。まだまだ経験が浅いのは分かっている事だ。だが、状況は最悪極まりない。多くの死人が出ている以上一人でも多くの命を救う事を優先しなくてはいけない。セルーナを含めた新人達はランヴィとローディバブルの指示の元、患者の対応に当たった。移動が多くなる為、新人達にもオイルの配布がされそれぞれが脚のホルダーにオイルを注入していく。
セルーナは上司であるランヴィの指示に従いながら先に患者の対応に当たった。しかし、誰としてセルーナと目を合わせようとはしなかった。それどころかセルーナが対応しようと近寄れば蜘蛛の子を散らすようにそれぞれ去って行ってしまう。
わかっていた事とはいえいざ己を避けられるような状況に直面すれば胸が痛くなる。セルーナは避けられている状況であろうと先輩にあたるメディック達に近寄った。
しかしその対応は酷い物だった。
一刻を争うであろう事だというのに誰一人セルーナの言葉に脚を止める人はいなかった。忙しい。そう言えばそれまでだろう。だが、状況はそうではなかった。
懸命に一人一人声を掛けるセルーナに共に学んで来た仲間が一人、また一人と小さく呟く。
『人間だもの仕方ないよね』
呟きを聞いていた者達は口々に共感し頷いているのだった。
例え、昔から基地に通って来ていたからと言えど優先される事などありはしない。新人達はそれぞれの現場の人達の傍でほくそ笑んでいた。
「…頑張ってるんだけどなあ…」
小さくセルーナは呟いた。しかし、その声が誰かに届く事はない。先輩達から当てにされる事もなければ話し掛けられる事もない状況にセルーナの足が止まる。どう足掻いても誰もセルーナの声を聞こうとはしなかった。分かっていたつもりだったがやはり彼女が勤務する第二メディカルオフィスよりも経験豊富な先輩達が勤務する第一メディカルオフィスの方が彼女に対する扱いは酷く冷たいものだった。
そこへ上司であるランヴィが彼女の元に近寄って来た。
大きな体格の持ち主のランヴィは男性サイボーグに見られがちだがその中身は気の弱い女性だ。気配りも出き部下想いでもある彼女はいつだってセルーナに気付き声を掛けてくれていた。
「セルーナあの…こっちを手伝ってくれない?」
「え、あ…うん…わかりました」
ランヴィはセルーナに困ったように笑みを零して助け舟を出すと彼女は何かを察したのか、頷きつつも顔を俯かせた。
毎度事だと分かってはいるが、やはりいつもセルーナは一人になってしまうのだ。その度に助け舟を出すランヴィの気遣いにセルーナは胸が痛んだ。
サイボーグの患者達が主な実態にセルーナはいつも居心地が悪かった。
慌ただしいメディカルオフィスから連れ出され比較的安定している患者のケアにセルーナとランヴィは足を運んだ。患者それぞれが収容されている部屋からは泣き叫ぶ声やここから出せ、と叫び散らす声が医室空間に反響していた。一人一人のバイタルを確認して回るランヴィにセルーナは声を掛ける事が出来なかった。二人の間には静寂が漂っていて先に口を開いたのはランヴィの方だった。
「…ゼルさんは…元気…?」
「今日もどこに行ったか分からない所にいる見たい。怪我さえして来なければ私はそれでいいんだけど…」
「そっか…あの人いつも怪我して帰って来るもんね」
ランヴィはセルーナが少しずつ話し出した事で会話を広げる糸口を見つけて話し始めた。
「…パパとか…ローディーとかも…私を守ってくれるけど…どうしても邪魔になっちゃうんだよね」
はは、乾いた笑みを零したセルーナの顔色は少し暗い事にランヴィは気付いた。先程の一部始終を思い出してランヴィは足を止めてセルーナの体を抱き締めた。
「ごめんね…私がもっと強く皆に言えたら…」
「ううん…良いんだよ。誰も悪くないよ」
そう言って顔を俯かせたセルーナにランヴィは胸が痛くなった。
この国でただ一人の゛人間゛だ。
サイボーグ、アンドロイドが増えるこの国で五体満足の生身を持つのはセルーナのみなのだ。
100歳を超える者達は皆が心臓と脳以外はサイボーグとなっているのがほとんどだ。ローディバブルもその一人で本人は年齢をさほど気にしてはいないが噂では200歳を超えている、という噂を耳にしていた。人間が衰退してしまったのはここ数百年の中での話だ。セルーナが生まれるずっと昔に起きた領土戦争でかの国は分断され、悪事が横行したのだ。戦争に特化したアンドロイドの開発や戦争から身を守る者、その身を戦争に投じる思いのある者など理由は様々でサイボーグになった者が多くを占めるだろう。不老不死に近くなったその身が見慣れた頃はまだ人間も衰退まではしていなかったのだ。それからは大金を叩いて手に入れたサイボーグの体を悪用し、人間達をひれ伏せたい欲望を持った輩が多く現れてしまった。現在平和であるこの国でもランヴィが生み出された時代は既に悪行に名を馳せたような連中が好き放題していた頃だ。その中で人間は徐々に物珍しい生き物へと変わっていってしまったのだ。アンドロイドやサイボーグが生まれていくにつれて人間への憧れを持つ富裕層などから人身売買が横行するようになってしまった。
その犠牲は多くの悲しみを生み出し未だに人間の姿を羨む者も多く存在する。その中で親に売り飛ばされた者なども多くこの軍には勤務しているのだ。
そのせいもあり、人間の体を持つセルーナにとって格好の標的になっていたのだ。
ランヴィはセルーナの立場を今まで守って来たが、徐々に周囲からの悪質な行動がセルーナを襲っている事を耳にしていた。
それでもセルーナは誰かに頼る事はしなかった。
「…ローディーとランヴィにはいつも助けられてばっかりだね。私こんなに役立たずなのに」
「な、何を言ってるの…!そんな事ないよ…っ!」
「でも、私何にも役立ってないんだよ?皆には嫌がられちゃうしさ…もしかして皆の目から私透明にでも見えてるのかな…?」
ふふ、と困ったように笑う彼女にランヴィは胸が締め付けられた。透明、と言う彼女の言葉にランヴィは更に強く彼女の体を抱き締めた。皆の前では弱音を吐かないセルーナを彼女はいつも気遣っていた。部下に何度注意してもセルーナを軽視している者や馬鹿にしている者は多く存在していた。
その犠牲は多くの悲しみを生み出し未だに人間の姿を羨む者も多く存在する。その中で親に売り飛ばされた者なども多くこの軍には勤務しているのだ。
そのせいもあり、人間の体を持つセルーナにとって格好の標的になっていたのだ。
ランヴィはセルーナの立場を今まで守って来たが、徐々に周囲からの悪質な行動がセルーナを襲っている事を耳にしていた。
それでもセルーナは誰かに頼る事はしなかった。
「…ローディーとランヴィにはいつも助けられてばっかりだね。私こんなに役立たずなのに」
「な、何を言ってるの…!そんな事ないよ…っ!」
「でも、私何にも役立ってないんだよ?皆には嫌がられちゃうしさ…もしかして皆の目から私透明にでも見えてるのかな…?」
ふふ、と困ったように笑う彼女にランヴィは胸が締め付けられた。透明、と言う彼女の言葉にランヴィは更に強く彼女の体を抱き締めた。皆の前では弱音を吐かないセルーナを彼女はいつも気遣っていた。部下に何度注意してもセルーナを軽視している者や馬鹿にしている者は多く存在していた。
仕事しよ』と震える声でランヴィから離れたセルーナに彼女はそれ以上声を掛ける事は出来なかった。
各々の部屋の前に表示されている電子パッドに表示されているバイタルを確認しつつ備え付けられているカメラを確認していった。その間にもランヴィの胸の中はざわめきセルーナを守る事の出来なかった自分を悔やんでいた。前を歩く彼女の姿を視界に捉えては自分の不甲斐なさを何度も悔やんだ。純粋な彼女が一体何をしたというのか。その体が五体満足の生身の肉体であるというだけでどうしてそこまで周囲から孤立しなくてはいけないのか。
その時、ふとランヴィに通信が入る。
「はい、こちらランヴィです」
『セルーナはいるか?』
その声は上司であるローディバブルの声だった。
「いますが…どうかしたのでしょうか」
『ジェヌの申し出でな。セルーナを家に返してやってくれないか。ゼルの怪我を診て欲しいとの事だ』
ランヴィは通信の声を聞きながらセルーナに声を掛けた。
こちらを振り向くセルーナに状況を説明すると怪訝そうな顔をした彼女に指揮官であるジェヌからの申し出である事を伝えた。すると忽ち彼女の顔が拗ねるような面持ちに変わった。
「…あの人、ローディーだと怒られるからって…」
セルーナは状況を把握したのだった。
ランヴィがすぐに向かって欲しい、と言った為すぐにメディカルオフィスから離れた。
最低限の荷物を手に持ち、愛車であるバイクに跨り自宅まで急いだのだった。