「3年7組 火星に行く!」
ナイショの話だけれど、私たちは火星に行くことになった。
夢の話でもなければ億万長者の抽選に当たったわけでもない。本当に内緒なのだけれど、
修学旅行で火星に行くことになったのだ。
私は女子校に通う中学3年生。クラスメイトとは高校も一緒だ。
でも中学卒業の区切りに広島・長崎へ修学旅行に行けるはずだった。
なのに世界中の感染症パンデミックで 修学旅行中止が発表された。
感染症パンデミックで 今までもたくさん制限やガマンがあったが まさか本当に修学旅行が中止に
なってしまうとは! 修学旅行の為に私たちは長い時間をかけて 広島や長崎のことを調べた。仲良しの子と旅行に行けることも、気になってる子と距離を縮めたいという計画も、全て消え去ってしまった。仕方ないと分かっていても、落胆の空気感はクラス中を覆っていた。そんなことがあったのが5月。
そして1学期が終わる日。
担任の前川先生は通知表を渡し終えると、開け放たれてた扉や窓を閉め始めた。
「先生、暑いよ〰️」と早速ブーイング。
ザワザワし始めた皆の前に立った先生は意外にも声をひそめた。
「みんなに大事な話があります。これから何を言っても、とりあえず静かに聞いてください」
普段明るくフレンドリーな先生は いつになく神妙だった。
クラスのみんなは 通知表のことで ドカンと何かを落とされるんじゃないかと予想して
教壇の前川先生をじっと見つめた。
先生は早口気味に話し始めた。
「これから話すことは 決して誰にも言ってはいけません」
一瞬の間の後、ざわめき。えっ!? なに!? どういうこと!? みんながツバを飲んだに違いない。
「このクラスは特別に 修学旅行に行けることになりました。行き先は火星です、、」
かせい、カセイ、家政?加勢?………火星〜〜!?!?!?
長い沈黙の後も更に続く沈黙。でも明らかに皆の鼓動が激しく聞こえてくる。
「先生、カセイって宇宙の火星ですか?」いつもクールな あきちゃんが 案外あっさり質問した。
だって多分信じてないから。
先生は皆をぐるりと見渡してから「宇宙の火星です」と短く言った。
少しザワついたけれどすぐ静まりかえった。だってやっぱり誰も信じないから。
先生の真意は他にある? みんなそう思ってるっぽかった。
先生は淡々と手帳を見ながら話し始めた。
「火星に行くのは 9月。それで みんなには宿題を出すんだけど……」
皆が呆気にとられていても先生は続ける。
「これから5つの班に分けるから、各班ごとに持ち物を1つ決めておくこと」………
一瞬の間の後、やっと皆がどよめき始めた。
「先生!持ち物 1つって漠然としすぎ!」
「何かの材料? カレーでも作るの?」
「カレーって りんご入れる? りんご持っていきたい〜」
ザワザワを止めることなく先生は普通のトーンで言い放った。
「持ち物は各班1つだけ。何でもいいけど 1つだけ。
他の物は着替えも、歯磨きセットも、おやつもNGです。」
先生がここまで言い切ると、また皆は静まり返った。
一瞬の沈黙の後、どういうこと!? っていう空気で充満した。
「火星に行くのに多くの荷物は持っていけません。そんなに重いとロケットが飛ばないからです」
先生が言う。
なるほど。でも……どうしよう。1班で1つだなんて!!
不安なまま夏休みに入った。班のメンバーで話し合わなければいけなかったが、世の中は感染症対策で直接会うのは難しい。そのため夏休みの間にSNSアプリのグループを作り、話し合うことになった。
班長の美咲から早速連絡が来た。
「とりあえず、1人1つ 持ち物のアイデアを出そう」と。
私がすぐに思いついたのは「スマホ」。
菜奈も「スマホ」。
あきちゃんも「スマホ」。
葉月も「スマホ」。
沙耶も「スマホ」。
美咲から連絡が来た。
「じゃあ うちらの班はスマホに決まりだね。先生に伝えるよ」
間もなく 美咲から。
「他の班も みんなスマホだったって。5班で5つのスマホは要らないから考え直すように言われたよ」
「えー でも他に何がある?」
「パソコン?」
「テレビ?」
「でもさ、電波届くの??」
「火星に行くのに 必要なものって何だろう?」
「……………」
「水あるのかな?」
「テントは? 家ないよね?」
「えっと…………」
「布団!」
「食べるもの、どうするんだろう」………………
SNSでの会話が途切れた。
何もない所に持っていくものって何だろう。
無人島に持って行くものと同じだろうか。
無人島には草木がありそう。海水も。
火星には?
「火星人がいるのかな?」私は何気なくSNSを再開させる。
「火星人ってさ、何語を話すの?」沙耶が送ってきた。
「英語?」
「違うでしょ」
「モールス信号みたいなのじゃない?」
「コミュニケーションとれないと 攻撃されるかもね」「怖い………」
私は他の班になった親友の千明にメッセージを送ってみた。
「そっちの班はどう?」「火星は日陰がないからコスメとか日焼け止めとか」
「えっ!? そうなんだ。大丈夫?」
「いや。不安………」
私は母に相談しようと思ったけれど、なにやら他の親と連絡をとるのに忙しそう。
親たちは娘が火星に行くことになって 心配で不安でならないみたい。親同士も慌ただしく必死に連絡を取り合っている。
班長の美咲から連絡が来た。
「次の登校日に決まった持ち物を報告するんだって」
すかさず菜奈が
「先生は1個って言ってたよね? 料理する為のシステムキッチンは?」っと送ってきた。
「それいい!!」
「1個でなんでも作れそう!」
「先ずは食べ物の確保だよね〜」
っと盛り上がっとのも束の間「重いものはダメって先生言ってたよね」美咲が言った。
「軽いものでなんかある?」
「スマホ」
「スマホは電波がないから意味ないよ」
「じゃあなに?」
「…………」
「鍋………」
「中に入れるものは?」「カレー」
「…………」
電波も水も何もない所に持っていくものって……
「待って!火星に水あるって前に学者がテレビで言ってた!」
「ガスは?」
「ネットで調べよう!」「ネットの情報はアテになんないよ」
「本で見てみよう」
「あとは……」
「火は? マッチとか」
「火星ってゆー位だから そこら中に火はあるんじゃない?」
「えっ………」
「暑そう………」
みんなに不安がよぎる。
火星が火に覆われてるかも知れないからではなく、一体 そこでは何が必要で 何が使えるのだろうか。
日常そばにあり、使いこなしていたもの、スマホ、ライト、電子レンジなんかは 結局 電気や電波が
ないと使えない。火を起こすのは小学生の頃ワークショップでやったけど、電気はどうやって
手に入れよう。。火星の水はどこにあるんだろう。
私も、そしてみんなもいつの間にか追い詰められたようになっていた。
だって 制限がありすぎる!とゆーか「肝心なもの」がないじゃん!!
電気がないとだよ。
水がないとムリだよ。
そもそも電波ないと無理! スマホないと絶対ムリ!!
私たちは万策尽きた感じがした。
班長の美咲からSNSでメッセージが届いた。
「先生は何を言ってもだめだった。持ち物の選択は1つだけだって。他の班の分もあるからクラスでは
5つの持ち物になるって」
「じゃあ電波、スマホ、食べ物、ドライヤー………空気?」葉月が言う。
「なぜ空気?」
「ほら宇宙だし。空気ないと」
「確かに………」納得と落胆のため息。みんなだんだんヤケになってる。
でもそうなってくるのも仕方ない。各班1つずつの持ち物だけとかムリすぎる!!
突然 何かひらめいた!
こんなに制約があって先が見通せないのは、きっと私たちは何かを学ぶ時期なんだ!と。
私たちは原点に戻って考え直した。本当に必要なものって何か。道具は大事だ。情報も。
でもそれを活用できなくてはなんにもならない。
「私たちに必要なのは人間力だよ!」いつも冷静なあきちゃんが言った。
「人間力? なにそれ」
「生活力ってこと?」
「待って。ググる」
「…………」
「ねぇ 人間力って内閣府が定義してるんだ!」
「ないかくふって何?」「公民でやったっけ?」
「2学期にやるよ」
「で、人間力とは?」
「コピペしておくる?」「いや 要約して送って。長いから」
「OK!」
暫くすると美咲から全員へ送られてきた。
『平成15年、内閣府によって「人間力戦略研究会」が設置され「人間力」に関する明確な定義はないと前置きした上で人間力とは「社会を構成し運営するとともに、自立した一人の人間として力強く生きていくための総合的な力」であると定義している。簡単にいえば「社会で生きていくための力」で
ある。』
『人間力を構成するものとは「知的能力要素」「対人関係力要素」「自己制御的要素」の3つ。
この3要素をバランスよく高めることが必要であるとしている』
「…………………」
やはり沈黙が流れた。
ただ、漠然としているけれど 何だかとても分かりやすいかも知れない。何だか見えやすくなったかも
しれない。皆もそう思っていたんだと思う。
菜奈からのメッセージが最初に流れてきた。
「なんかソレって大事っぽいよね。必要っぽいよね……」
少しして美咲がメッセージを送ってきた。
「じゃあ 人間力を持ってく?」
「………………!?」
「えっ……………!?」
次の会話が続かない。美咲は進行しなければと思ったのか続けてメッセージを送ってきた。
「もぉそれしかないよ。時間もないし 持ってくものは1つだし。重いのはNGなら 人間力は重くないし」
沈黙が続くと思ってたら菜奈からメッセージ。
「でも内閣府によると人間力は 3つじゃん」
『「知的能力要素」「対人関係力要素」「自己制御的要素」の3要素………』
「そっか…………どれも大事そうだけど」
「どれにしよう?」
意外にも淡々と話し合いは進められた。もう先が迫ってるのと、後にも戻れないのと。
もう決めていくしかない。
私たちは しばらく話し合った。話し合えるということは 一歩踏み出したことだ。少し光が見えて
きた。
「知的能力要素」「対人関係力要素」「自己制御的要素」の3要素のうち 「知的能力要素」を
ピックアップしてみた。葉月が言った「考えるアタマが必要だよ!」って言葉が決め手になった。
「知的能力要素」と言っても何だか分かりにくいので
もっと簡単で短い言葉にすることにした。
そう。「ちえ」だ。
ここで「知恵」ではなく あえて「智慧」にしようと決めた。いろいろ ググるうちに「智慧」の意味を知ったからだ。「智慧」とは 真実は何かを考える頭の働きだと。
あらゆる場面にぶつかった時、真実を見極める能力が必要だ。
「じゃあ火星に持っていくものは決まったね!」
「うん!」
「「智慧」だね!」
「なんか カッコイイ!」
よく分からないけど それが1番いい気がしてきた。だって たった1つを選ばなくてはいけないから。
そしてとうとう登校日。
この日は各班1つの持ち物を発表しなければならない。他の班は何になったのだろう。何だか迷いが
出るしあえて聞けない。
担任の前川先生が早速切り出した。
「みんな、各班で持っていくものは決まってるかな?」
クラスは妙に落ち着いて 静まり返っている。
「班長の人は 持ち物を書いた紙を黒板に貼ってください」先生が言う。
美咲を含めた5名の各班長が黒板に向かいマグネットで付けていった。
どうしよう…他の班の人に笑われたら………そう思い うつむいてしまう。
「揃いましたね」先生の声で顔をあげた。
白い5枚の紙に 黒いマーカーで書かれた文字は、意外なほどシンプルだった。
一班・「愛」
ニ班・「Power」
三班・「智慧」
四班・「努力」
五班・「感謝」
クラス全員が息をのんだ。
この5つの文字が目に飛び込んできたときに、なんとも言えない強さが心の芯に宿った気がした。私は
思わず周りを見回した。クラスメイトそれぞれの瞳の奥にも同じ強いものを感じた。
「みなさん。よく考えてくれましたね。自分の班以外の言葉1つ1つのことも よく考えてみてください。もう気づいてる人もいると思いますが、これは全て人間力を養うものです。これさえあればとは言いませんが、まぁこのスピリッツがあれば何とかなるでしょう」前川先生は大きな瞳を更に大きくしながら はっきりとした口調で言い切った。
この言葉たちはこれから先、私たちが持っていくもの、そして手放さないものなんだ。
「家に帰ったら保護者の方に伝えてね。このクラス全員でこの5つのモノを持っていくよって。」
先生は みんなを見渡してから続けた。
「だから心配しないで旅立ちを応援してね」って。
夏休みが終わるまで 残りあと10日余り。夏休みが明けたらいよいよ出発だ!
火星ってどんなところだろう。不安がないと言ってはウソになる。準備万全かな?でも仲間がいるから大丈夫。
期待と緊張で胸の鼓動の震えが指先、足の先まで伝わっていくのを感じながら、暑すぎる夏の日差しの中、私は帰りの道を急いだ。
La Fin