小話・酒池肉林の話
占拠した村を無残に焼き払ったとか。
夜な夜な美女を侍らせて酒池肉林に明け暮れているとか。
デナーダ辺境伯の数々の悪い噂を王都で聞いたのは、どうやら辺境と王都との使者役を買ってでた者が悪さをしていたから、らしい。
そいつは辺境伯家門の末端の男爵で、養子になったウェンリーが気に入らなかった。
王都で彼の悪い噂をバラ蒔いて評判を落としたかった、らしい。
そんなことをしてその男爵になんの利があるのか。パトリシアには理解できない。
せっかく占拠した村を焼き払うなんて、そんな無駄な真似を辺境伯がするだろうか?
パトリシアは不思議だったのだ。
噂に聞いた、攻め込む隣国兵どもに巨大な剣を振り回し勇猛果敢になぎ倒す豪放な武将像と、なんの益もなく村の焼き討ちをする姿がどうにも不釣り合いな印象だった。
“巨大な剣を振り回す武将像”の方が偽りの姿なのかと、城内外の家臣たちのところへ出向き、聞き取り調査をした。
城内で働く家臣も、辺境伯下騎士団も、辺境警備隊の隊員も、口を揃えて語る“辺境伯像”は“巨大な剣を小枝のように力強く振り回し、攻め込む隣国兵をばったばったとなぎ倒す豪快な武将像”の方だった。
王都で流れていた噂で正しかったのは、『天を衝くような大男』と、『巨大な剣を振り回し、攻め込む隣国兵をなぎ倒した』ということと、『王の使者に無礼を働いた』ということだけらしい。
パトリシアは家臣たちに聞き取り調査を終え、満足した。
ついでに、城主夫人の権限を使い件の男爵の城内立ち入りを禁止した。当然、王都との連絡役も剥奪した。
辺境伯家門の人間が城に出入りできなくなればどうなるのか。
そんなこと、パトリシアの知ったことではない。彼女は彼女の夫の名誉を守りたいだけだ。
夜。パトリシアが夫婦の寝室に入るとなにやら夫の機嫌が悪い。
はて、なにか機嫌を損ねることをしたかしらと思いつつ、夫の膝の上に座れば、彼は自分を抱きしめて離さない。親に縋り付く子どものようだと思いながら、暫くそのままでいれば。
「酒池肉林」
と呟く。
「……どうしたの?」
「……してない、から」
「酒池肉林?」
「してないからなっ」
どうやら夫は、妻が噂の真偽を確かめるために、城内外の家臣たちに聞き取り調査をしたことを知っているらしい。そしてそれについて、直接嫌疑を晴らそうとしている、らしい。
だが。
「噂だって、あたしは知ってるよ。大丈夫よ」
「信じてくれるのか!」
「当たり前じゃない。 だってあなた、下戸だし」
「え」
「グラス一杯も飲めば寝てしまう人に“酒池肉林”は無理だと思うわよ。戦に勝って宴会になるのは判るけど、連日連夜そんなマネしたら、財政がもたないしね」
どうやら妻は“夜な夜な美女を侍らせて”という噂の方はまるっと無視、もしくは知らないらしい。
そう踏んだ夫は緊張を解いた。
「まぁ、“夜な夜な美女を侍らせて”っていうのは……」
そう口にした妻に、解いたはずの緊張が倍増した。恐る恐る、妻の顔を見遣れば。
「あながち、間違いじゃないし? ねぇ?」
そう言って、夫の首筋を人差し指ですーっと払い、猫のような瞳でにっこりと笑う妻。
固まる夫にくすくすと笑いながら
「わたくし、絶世の美女だと自認しているのだけど。間違っていたかしら?」
枕元のランプのオレンジ色に照らされた妻のプラチナブロンドの髪がきらきらと輝くさまは、いつも夫を恍惚とさせる。
「……髪の毛ひとすじほども、間違っていない」
この愛妻には敵わないと思いながら、ウェンリーは彼女の柔らかい身体を抱き締めた。