第81話 ありがとうございます。お母さん
◇◇
『究極進化の試練』の洞窟。
まぶしい光の先に飛び込んだ私、サンの視界に映ったのは見慣れた光景だった。
「ここは……第53層の草原!?」
外壁も外堀もないけど、青い空にどこまでも続く緑は変わらない。
でもなぜここに?
それに今ごろはピートさんとニックが戦っているはずだ。
二人はどこに?
誰もいない静かな草原を、辺りを見回しながら歩いてみる。
時々吹く心地よい風が頬をなでた。
これも同じ。
きっと何らかの作用で拠点に戻されたのだろう。
もしかしたらピートさんの『モンスター・オートメーション』かもしれない。
ということはピートさんがピンチということなのは間違いない。
言い得ぬ不安に胸が苦しい。
早くピートさんを探さなくちゃ。
いつの間にか駆け足になっていた。
すると気づかぬうちに見慣れぬ家が目の前に建っていたのである。
「あのー! どなたかいらっしゃいますか!?」
返事がない。
ドアは開きっぱなしになっているようで、静かに音を立てないように中へ入った。
すると廊下の奥から人の声が聞こえてきた。
「アリシア!」
聞き覚えのある低い声。
でも思い出せない……。
自然と足がその声がした部屋の方へ向いた。
「アリシア。げんきだしてー!」
「癒しの女神様。お願いします。どうかアリシア様をお助けください」
この声は……ピピとソフィ!?
「ピピ! ソフィ!」
二人の名を大声で呼ぶ。
けど何の反応もない。
おかしい。絶対に聞こえているはずなのに。
こうなったら直接二人の前に姿をあらわせばいい。
ピートさんがピンチなんだから、なりふり構ってる場合じゃないもの!
私は開いているドアから堂々と部屋の中に入った。
ピピとソフィの後ろ姿が目に入る。
「ちょっと二人とも! 聞きたいことがあるの!」
すぐ後ろで声をかけたにも関わらず、ぴくりとも反応しない。
いったいどうなってるの?
仕方なくソフィの肩に手をかけようとしたのだが……。
「えっ?」
なんと私の手は空を切るようにして、彼女の体をすり抜けてしまったではないか。
驚いて言葉を失ってしまった私をよそに、低い男性の声が再び響いた。
「アリシア、俺を置いていかないでおくれ」
ピピとソフィの奥で白髪の男性がベッドの前でひざまずいている。
そのベッドの上に横たわっているのは年老いた女性。彼女がアリシアだろう。
アリシアは震える体を懸命に起こそうとし、それをガタイのいい青年が支えた。
アリシアの顔がはっきりと見える。
ソバージュがかったオレンジの長い髪とくっきりとした目鼻立ちが特徴の美しい顔立ち。
特にサンの胸を打ったのは青い瞳だ。
なんて透き通った、素敵な瞳なのだろう。
うっとりと見ていると、その瞳が一瞬だけサンをとらえ、薄い唇に微笑が浮かんだように思えた。
「えっ……?」
見えているの?
そう問いかけようとした次の瞬間には、アリシアの視線は彼女の背中を支える青年に向く。
「ガルー、ありがとう」
ガルー?
ってもしかしてエンシェント・ブラックドラゴンのガルー?
「ねえ、顔を上げて。マリウス。いつまでもうつむいたままの姿は英雄にはふさわしくないわ」
マリウス――!
ということは、今見ているのは私が生まれるよりもずっと前のこと?
「アリシア。無理をするな」
白髪の男性が体を乗り出す。
顔は見えない。見たところで見覚えなどないだろう。
でもようやく温もりのあるその声を思い出した。
間違いない。
この人は私を作ってくれた人だ。
「ふふ。これまでさんざん無理してきた人に言われたくないセリフだわ」
軽い口調で返したアリシアの口元に、まるで少女のような笑みが浮かぶ。
重かった空気がほんの少しだけ軽くなったような気がした。
そして「少しだけ二人だけにしてくれるかしら」というアリシアに従って、ピピ、ガルー、ソフィの3人が部屋を出ていったところで、彼女はおもむろに口を開いた。
「ねえ、マリウス。私ね。あなたにちゃんとお礼を言わなきゃいけない、って思ってたの」
「お礼?」
「ええ。幼い頃……まだ私たちがあの村で暮らしていた時の約束を守ってくれたから」
アリシアの言葉の後、わずかな沈黙が流れる。
あの村って、きっとサマンサさんが暮らしている村のことだ。
マリウスの故郷って言ってたから。
つまりアリシアとマリウスは同じ村で幼少期を過ごした幼馴染ってことなのね。
「誰も自分のことを知らない場所に連れ出す――だったよな」
「ええ。でもまさかそれが魔王の棲み処だった場所とは想像すらしていなかったわ」
「ははっ。世間から遠ざかっていたアリシアは知らないかもしれないが、今は『ダンジョン』って言われているらしい。魔王が封印されている場所だからな。それに地上にいたモンスターを全部こっちに連れてきたし、みんな怖がって近寄ろうとすらしないさ。モンスターを自在に使役することのできるアリシアを『魔女』といって迫害してた村の人々もな」
モンスターを自在に使役できるアリシア――。
え? どういうこと?
言い伝えではマリウスがモンスターを操るテイマーとなっているはずだけど……。
「魔女……ね。懐かしいわ。かれこれ50年以上も前のことだもの。そう呼ばれていたのは」
「でも不公平だよな。生まれた時からモンスターと仲良くできるアリシアのことは『魔女』で、アリシアからモンスターの操り方を習った後、仲間にしたモンスターたちと魔王を倒した俺は『英雄』なんだからな」
「ふふ。気にしないで。人間は自分たちの都合のいいように他人を評価したがる、ってマリウスも知ってるでしょ?」
「ああ、だからこうして他人とは離れたところで暮らしてきたんだ。アリシアは不満だったか?」
「ううん。私のことは誰よりもマリウスが知ってくれている。だからずっとそばにいてくれた。それだけでじゅうぶんだわ。本当にありがとう。私、幸せよ」
「よせよ。照れるから」
マリウスがふいと顔を横にそらす。
その横顔が目に入った。
想像通り。
とても穏やかで優しい顔だ。
その顔を目を細めながら見つめるアリシアの表情も陽だまりのように柔らかい。
二人を見るのは初めてだけど、彼らが深く愛し合っているのは、私でもよく分かった。
ううん、分かったのはそれだけじゃない。
モンスターになく人間には存在する『寿命』が二人を引き裂こうとしていることも――。
「ねえ、マリウス。聞いて」
なんだい、とマリウスがそらした顔をもう一度アリシアに向ける。
アリシアは緩んでいた口元を引き締めた後、ゆっくりと噛みしめるように告げた。
「私たちはモンスターと暮らしているけど、人間よ。人間は永遠には生きられない。もちろん分かってくれるわよね?」
「ああ、そのことは理解しているつもりさ。でも俺はもう少しアリシアと一緒にいたい。ただそれだけなんだよ」
「ふふ。そう言ってもらえるだけで嬉しいわ。でもね、マリウス。私が言いたいのは、私たちのお別れのことじゃないの」
「どういうことだ?」
「あなたがこの世を去ってからのことよ。何年もたてばきっと人間たちはダンジョンにやってくるでしょう。そしていつか誰かが魔王の封印を解いてしまうかもしれない。そうなったら村や国の人々に危険がおよぶわ」
「あれほど酷い仕打ちをされた人たちの心配をしてるというのか?」
「未来に生まれてくる彼らの子孫たちに罪はないでしょ」
「まあ、そうだが……。しかしどうすれば死んだ後の未来まで守れるというんだ?」
アリシアはベッドのかたわらにあったサイドテーブルから小さな石を手に取り、マリウスに渡した。
「これは……。何かの『印』か?」
「ええ。その印をつけたモンスターには私の『魂』が宿るの」
「魂……」
「ふふ。魔女っぽくていいでしょ?」
「こんな時に冗談言うなよ。魂ってなんなんだ?」
「魂は魂よ。そうね……。分かりやすく言えば『祈り』とか『願い』に近いかもしれないわね」
「うむ……。しかしまだ意味が分からない。もっと具体的に教えてくれ。俺は何をすればいいんだ?」
「土で人形を作るの。大人の男の人よりも背の高い、大きな人形よ。その人形のひたいにこの『印』をつけてみて。人形たちは意志を持ったモンスターになるから」
「そんなことができるのか……」
「ふふ。だって私、魔女だもん。って冗談はもういいって話よね。意志を持った土の人形――ゴーレムと呼ばれるモンスターよ。それは【ゴーレム・クリエイター】というアイテム。もっともこの世界では私とあなたしか使うことができない代物だわ。もっと言えば、あなただって4体も作れればいい方だと思う。それくらいゴーレムを作るのは『命』を使うの」
「つまりゴーレムを作ると寿命が削れるってことか」
「ええ。だから強制はしない。でももしマリウスがその『印』を使ってゴーレムを作ってくれたなら、そのゴーレムたちには私の『魂』が宿る」
「つまり俺たちの子どもみたいなものだな。ところでアリシアの『魂』とはどんなものなんだ?」
「それはね。私の願い」
「願い?」
「もう一度、あなたに巡り会えますように――という願いよ」
「もう一度、俺に巡り会う……」
「ええ。私はもう一度あなたに出逢う。いえ、正確にはあなたと同じ『魂』を持った人ね。そうして私たちの手で世界を救うの。ふふ、素敵だと思わない?」
鋭い槍で貫かれたかのように胸に鋭い痛みが走る。
そうか……。
私たちが生まれてきた理由。私たちのひたいに『印』がある理由。
そして私がピートさんを求める理由。
すべてアリシアの『魂』の作用だったのだ――。
再び眩しい光があたりを覆う。
同時に今までに感じたことのない温もりに全身が包まれた。
「サン。あなたは私。私はあなたよ。さあ、行きなさい。愛する人を助けるのよ」
すごく温かくて心地のよい声が私を励ます。
でも私はとっさに首を縦に振ることはできなかった。
私だって分かってる。分かってるけど、どうしても不安と恐怖がへばりついて取れない。
これまでは何があっても強がってきたけど、今感じている温もりの前では不思議と素直になれる気がした。
「本当に私にできるでしょうか?」
「大丈夫。あなたなら絶対にできるから。怖くても一歩前に足を踏み出すの。かつて私の愛する人が私にそうしてくれたように――」
胸の奥から熱いものがこみあげてくる。
自然と口をついて出てきたのは感謝の言葉だった。
「ありがとうございます。お母さん」
ふっと風が頬をなでる。
ゆっくりと目を開けると、再び見慣れた草原。
でもさっきと違うことは即座に理解できた。
だって視界には巨大な黒龍の姿がはっきりと映っているのだもの。
私はずっと先に見えるその龍に向かって、疾風のように駆けていった。
愛する人を守るために――。