第三話 異形の化物
「ようやくお目覚めのようね。間抜けのユウヤよぉ」
崖の上から声が聞こえる。この声はイザベルだ。
「イザベルさんですか?これ何の冗談ですか?」
「ほんと間抜けだよあんた。バレバレなんだよアンタが転生者だってよ」
祐也は思わず息を呑む。なぜ俺が転生者だとわかったんだ?そんな素振り一度もしていないのに。
その思考を読むようにこう続ける。
「だいたい南の方から来たのにあんた、あんまりにも戦い慣れていなさすぎる。こっちに来るためには山を越えて海を渡らなきゃならないのに。それに使っている言葉もおかしい。決定的なのは食事だ。南の奴らは何故だか知らんがルールが多い。その中に、"豚肉を食べてはならない"ってのがあるんだぜ。お前は知らずに呑気に食べていたがなぁ」
しまった。祐也は心の中で頭を抱えた。この世界の南の方では独特の宗教感があったのだと。
おそらくだか南には、元の世界でいう"イスラム教"的な考えが浸透しているのだ。ここも元の世界の常識が適応すると仮定すると、祐也は大きなミスを犯したのだ。
イスラム教徒における豚というものは穢らわしい存在なのだ。ただの食べ物の好き嫌いとは訳が違う。わかりやすく言うと一般的な日本人がゴキブリを食べないのと同様にイスラム教の人は常識として豚を食べない。
これは言い訳しようがない。祐也は咄嗟に訳を聞く。
「なぜこんなことをするのですか?」
「なぜですって‥貴方達だって何もしていない私達に沢山残酷なことをしてきたじゃないですか」
鬼の形相を浮かべたカミラがイザベルの後ろから出てくる。
「だいたい貴方達はロマンがなんだとかハーレムがなんだかとか言って私利私欲の限りを尽くして私達の世界を無茶苦茶にしたじゃないですか」
怒り狂うカミラを抑えながらイザベルが喋る。
「カミラはこう言ってるが、私は違うぜ。あんたらいい鴨なんだよ。確かに能力は厄介だが、大体の奴は間抜けだ。身包み剥がすにはちょうどいい」
「じゃあジュリアは?」
「‥‥興味ない。さっさと死ね‥」
駄目だ。付け入る隙がない。祐也は焦る。
「おっとそろそろタロウが我慢できないようだ。そいつ面白いんだぜ。化け物のくせに器用に骨を残して食べるんだ」
タロウと呼ばれた化け物が咆哮する。
その見た目は二足歩行の蜥蜴のなり損ないのようだ。ブヨブヨどした皮膚を纏い、爪を舐めながら5mはある巨体を引きずりながら近づいてくる。
祐也は焦る気持ちを抑え込むながら左手をポーチに手を突っ込もうとする。
「ポーチをお探しかい?それならここだぜ」
イザベルは嘲笑しながらポーチを掲げる。
「これはあんたの能力に必要なんだろ?悪いがあんたの戦う様子は初めから見てたんだ。これがなけりゃなにもできないだろう?」
焦る祐也を他所に化け物がその爪を振り下ろす。だが大雑把な狙いだからだろうか、爪は空を切り地面を抉り取る。
祐也は確信する。この爪に当たったら自分は紙切れの様に引き裂かれると‥
祐也は絶望した。なぜこんな罰を自分が受けなければならないのか。
やはり"逃げてきた"からなのだろうか。
「さぁ死にな大間抜けのユウヤよぉ」
いや違う、違うだろ。おれにはやらなければならない事があるだろう。そうだろう。
「違うね。死ぬのは"お前たち"のほうだ」
祐也は地を蹴り走り、ひらりと化け物が振り下ろす爪を回避しながら化け物との距離を詰める。
だが突然化け物の目の前で止まる。
化け物はその隙を逃さずに裕也をその大きな手で捕まえた。
遂に祐也は化け物のに捕まってしまった。
化け物は祐也を顔の前まで寄せた。
「大口叩いていた癖に案外あっさりと捕まったな」
祐也はニヤリと笑う。
「なにがおかしい」
「おかしい、あぁおかしいさ。こんなに都合よくこいつに近づけたんだ。敢えて捕まってよかった」
「頭おかしいんじゃね?まぁいいや。タロウ、さっさとこの基地外の頭引っこ抜いて、脊椎を見せてくれよ」
祐也は素早く手に持っていた石を投げる。先程化け物が地面を削った時に出来た石だ。石は祐也の目の前で粉々になっていく。
「目潰しか?そんなの意味ないぜ?」
「あぁ目潰しだよ。だがそんな生温いものじゃないがな」
祐也が投擲したのは‥‥ "炭酸カルシウム(CaCO3)"
鍾乳洞の主成分だ。そして自分の能力で加熱の工程を飛ばし、"酸化カルシウム(CaO)"をつくった。
酸化カルシウムはその昔生石灰としてグランドのラインを引くときに使われていた。だが酸化カルシウムには致命的な弱点がある。
それは "水と反応して発熱"することだ。
このことが一般的に知られる前は子供が汗で濡れた手足で生石灰を触り火傷する事件が多発した。
そんなものを目に入れられた化け物は当然のことながら苦し悶え、遂には手を離してしまった。
祐也は次の作戦をと動こうとするが体がいうことを効かない。
高い所から落下したからだろうか、はたまた巡り巡る状況の変化に体ついて来られなかったのだろうか、祐也の体には寒気が走り、動けない。
目を潰されていようがなりふり構わず化け物は爪を振り回す。一歩一歩と確実に近づき遂に祐也の目の前に到着した。
祐也はこれまでだと思い、目を閉じた‥
化け物が爪を振り下ろすのと同時に鮮血が舞う‥
"化け物の首から"
化け物は声も上げることなく、その巨体が崩れ落ちるように倒れた。
その轟音におもわず、祐也は目を開けた。
イザベル達がいた崖の上には見知らぬ老人と青年が立っている。
祐也は最後の力を振り絞り、目の前の化け物を倒したであろう女性に話しかけた。
「貴方達は何者ですか?」
「私たちか?私達は‥ ただの殺し屋だ」
祐也は力尽き、目の前が真っ暗になった。