現状への不満は口にせずとも伝わるもの
「あんた、こいつぁ例の殺人犯じゃないか!」
高尾は汚いものを見るように顔を僕のスマホから遠ざけた。
「ご存知なんですか?」
「知ってるも何も、新聞に同じ写真載ってたからな。毎日新聞読んでりゃ嫌でも覚えるさ」
「そうですか。それで、バスには乗ってたんですか?」
「乗ってねえよ。あの時間帯の乗客はお年寄りか主婦がほとんどだ。男が乗ってくればすぐわかる。ましてやホームレスなんか乗っていれば忘れるわけがない」
高尾のいうことは尤もだと思う。不衛生な身なりをしている人間が側に来れば、どれほど見て見ぬ振りをしたとしても記憶には残るだろう。
ともかく、ケイスケさんがバスに乗っていなかったことは確認できた。このことを警察で話そうと思ったが……
小池哲夫が歩道橋から転落したのは、発見直前とは限らないことに気がついた。つまり、11時45分より前に〝犯行〟が行われた可能性だってある。そこを潰さなければならない。小池哲夫がそれ以前に外出していないことが証明出来れば、今度こそケイスケさんのアリバイが成立する。
†
翌日、僕は午前中一件の仕事を終えると、関東勧業銀行川渡支店を訪ねた。○月△日11時45分より前に小池支店長が外出していないか確認するためだ。しかし、こんなこと警察でもない一個人に話してくれるだろうか……そんなことを思いながら銀行に入ると、一人の若い女性と銀行員らしき中年男性が何やら揉めているのが目に入った。
「……ですから、この件についての取材は金輪際お断りします」
「そこの所を何とか、お願い出来ませんか?」
「他のお客様のご迷惑になりますので、どうかお引き取り下さい」
この女性、どうやら客ではなく取材を申し入れているようだ。それはもちろん小池支店長に関することだろう。踵を返して去ろうとする銀行員の袖を女性が掴んだので、銀行員はそれを振り払おうとした。
ところが少し勢い余ったのか、女性は振り飛ばされる形で床に倒れてしまった。銀行員はさすがにまずいと思ってキョロキョロあたりを見回しながら女性に手を差し伸べたが、彼女はその手を取らず、自分で立ち上がって衣服のホコリを手で払った。
「……また出直して参ります」
そういって彼女は銀行を出た。
僕も銀行を出て、彼女の後を追って声をかけた。
「あの、もしかしてマスコミの方ですか? 小池支店長について調べておられますよね」
女性は振り向いた。その目には不信感と好奇心が共存していた。
「あなたは?」
「僕は……小池哲夫殺害の容疑で逮捕された児玉啓介の知り合いなんですけど、僕は無罪だと思っているんです。それで、何か情報交換出来ないかと……」
「情報って……何を知ってるの? あなたは」
彼女は警戒心を解こうとしない。度重なる取材相手からの非礼な仕打ちがそうさせたのだろうか。だが、僕も自分の持ちネタには自信がある。
「小池支店長が転落した時間、僕は容疑者と会っていたんですよ」
彼女の目が変わった。
「……お茶でも飲みながらお話しません?」
喫茶店に入り、コーヒーを注文すると彼女は名刺を差し出した。
[デイリーキャスト記者 水森羊子]
「デイリーキャスト……って、ネットニュースですよね」
「ええ。でも、よくご存知ね。デイリーキャストなんて名前を聞いてもわからない人がほとんどなのに」
「普段あまりニュースは目にしないんですけど……最近小池事件に関することを調べていましたので、色々なニュースサイトを片っ端から読んでいたんです。中でもデイリーキャストさんの記事は良かったです」
「ふふ、いいのよ、無理して褒めてくれなくても。所詮はネット報道なんだから……」
水森さんの発言は謙遜でもなさそうで、ネットニュースの記者という立場への不満が感じられた。
「そんなこと……いずれにせよ、ネットニュースのおかげでこの事件について色々知ることが出来たんですよ」
「そう。ところで、あなたは容疑者をとても庇っているように感じるけど、どういう関係だったの?」
僕はまだ自己紹介がまだだったことに気づき、慌てて名刺を差し出した。そして、駅のピアノを調律してケイスケさんと知り合った経緯を話した。水森さんはそれをところどころメモを取りながらきいていた。