あとがき
ご愛読ありがとうございました。あとがきとして、この作品を書くに至った経緯などを書きたいと思います。
この作品の中心となるピアノですが、モデルとなった楽器はオランダ・ユトレヒト中央駅に置かれているグランドピアノです。
私は昨年夏、知人を訪ねてユトレヒトに滞在していたのですが、その知人とバーでオランダビールをあおり、第一話に登場する《貴婦人もどき》よろしく、酔った勢いで駅に置いてあったピアノをジャンジャン弾いていました。すると、通りかかった学生さんたちが集まってきて、いつのまにか輪ができていたのです。そして彼らと色々おしゃべりしたり、また日本のアニメの曲をリクエストされたりと、わいわい盛り上がって、楽しい時を過ごしました。
その時、こうした公共の場にピアノがあると、色々な出会いがあるのだろうな……と思い巡らしたのです。そして、このピアノを主役とした物語を書いてみたい、と思ったのがこの作品を執筆したキッカケです。
第一話の冒頭に書いたピアノの描写は、ブランド名以外ほぼそのままユトレヒトのピアノを描写したものです。また、そこで描かれた駅周辺の状況もユトレヒト中央駅を模しています。滞在していた頃、駅周辺は大々的な工事が行われていたのです。
ユトレヒトといえばミッフィーの作者ディック・ブルーナの故郷として知られていますが、国際的に有名な学術研究都市でもあります。最初はここを舞台にしようとも思いましたが、日本にこんなピアノがあったらどうなるだろうと、いろいろ想像力が掻き立てられたので、日本国内の架空の地方都市という設定にしました。
物語の舞台となる川渡市の名称は、ユトレヒト──〝川を渡る場所〟──に由来しています。
そしてユトレヒトから電車で一時間ほどの場所にある首都・アムステルダムは「河港の堤防」という意味で、これに因んで県名を港堤県としました。
当初、サリンジャーのナインストーリーズに因んで9つの物語からなる連作を考えていましたが、第一話を書き上げた段階で思ったより文字数が多くなったので、結局は6話に落ち着きました。
そして、各話は以下のような背景で執筆されましたので、それも併せて書いておきたいと思います。
・第一章
主人公・羽越喜一……「丘の上のアトリエ」の佐倉波音、「綱琴一帯」の岡島寿和など、営業の苦手なピアノ調律師は作者にとってはおなじみのキャラクター。
相手役のホームレスのキャラ設定がなかなか決まらず、何度もキャラ変えして書き直しました。最終的に夏目漱石「こころ」の〝先生〟のようなキャラにしようと決め、〝K〟に因んで児玉啓介と名付けました。羽越喜一の方は、〝上付き位置〟という言葉をググっていた時に考えついた名前です。
・第二章
生後離れ離れになった異母兄弟が、ピアノをキッカケに結びつく、というモチーフを思いつき、考えた末にこのような物語に仕上がりました。着想は第三話の方が先だったのですが、こちらのプロットが先に出来上がったので第二話としました。
・第三章
すさんだ刺々しい性格のストリートミュージシャンが、薄幸ながら前向きで健気なヒロインと出会い、朗らかになっていく、というモチーフで構想を練っていました。最初は安西キヨシが台詞で語ったように、ヒロインが病弱であるという線で考えてもいたのですが、どうもしっくりこなかったので、国際的陰謀がらみのストーリーに路線変更し、第三章と第四章を並行して書き上げました。
・第四章
作者の遠い親戚に日系アメリカ人のファミリーがおりまして、彼らから聞いた話などを物語に反映させています。執筆後、山崎豊子原作「二つの祖国」のドラマを見て、実際彼らの祖先は大変な苦労をされていたことをしみじみ思わされました。
・第五章
冴えない中年男性が、ふと訪れた教会で若い女性伝道師の説教で励まされ、慕情を抱く。この構想は、カクヨム開始以前から温めていて、いつか書きたいと思っていました。構想当時、ヒロインのモデルがツムツムにハマっていたそうので、それも本作に反映されています。
・第六章
「ベートーヴェンに本気で取り組まなければいけないから」という理由で、ピアノ科の彼女にふられたという男性が、実際に作者の周囲におりました。彼には大変申し訳ないのですが、この小説を思い立った時、「ベートーヴェンに彼女を取られた男」によってピアノ存続の危機がおとずれるというエピソードを最終回にしようというアイデアがすぐに浮かびました。その対抗馬として、これまでの登場人物を登場させる、シークェルの形式にしようと思ったのは連載開始後のことでした。
第五章までは主人公が語り手となっていましたが、第六章では三人称で物語る群像劇になっています。
さて、色々な方のコメントから、日本でも駅にピアノが置かれるようになったとお聞きしました。冒頭でも書いた通り、ユトレヒトのピアノはイタズラなどで相当酷い状態となっています。日本では、是非せっかくのフリーピアノをみんなで大切にして欲しいと思います。そして、そのピアノを通じて素晴らしい出会いやドラマが生まれたら素敵だと思います。
なお、小説「ピアノのある終着駅」はフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。