歌っているのが誰でも、素敵な歌
「何を言い出すかと思えば……いったい何の話よ」
「降尾さんから聞いたよ。君があのフィギュアを彼から買い取ったってね」
遙は押し黙った。彼女自身感情をどこに向けたら良いか迷っている様子であった。僕はそのまま言葉をつないだ。
「結婚する前、君がオタクに偏見を持っていると僕は思い込んでいた。だけど本当は違っていたんだね。
君は僕がアルティメット☆まどかのファンだと知り、その関連グッズを僕の誕生日にプレゼントしようと考えた。そしていろいろ調べているうちに限定品のフィギュアマニアの間で重宝されていることを知った。
それで君は必死になってそのフィギュアを探した。そしてとあるネットオークションでそのフィギュアが出品されていることがわかった。君はネットオークションのサイトに自分のアカウントを作り、必死の思いでそのフィギュアを競り落とした。
そして誕生日の日にプレゼントとして僕のところに持ってきた。だけど、僕がオタクをやめて靴を処分したと聞いて、君は僕にフィギュアをプレゼントすることをやめた。君はフィギュアを家に持って帰り、ネットオークションに再び出品した。そうだね?」
遙はしばらく黙っていたが、やがておもむろに口を開いた。
「だから……いったい何だっていうの?」
「君が出て行った理由……それは、ただ単に僕が隠し事をしていたことだけではなかった。僕が嘘をついたことで、せっかく用意した心からのプレゼントがふいになってしまったこと……それが悔しくて腹立たしかったんだね」
「あなたがそれを理解したからといって、私はこれまでの方針を変えるつもりはないわ」
「わかってる。でも、このままでは『もしもあの時プレゼントを受けとっていれば……』という後悔がずっと付き纏ってくると思う。君が別れたい、慰謝料が欲しいというなら言う通りにするよ。だけど、あの時君が渡そうとしたもの……それだけはもらってもいいかな?」
またもや遙は押し黙った。しばらく沈黙が続き、弁護人は時計を気にし始めた。何か次の予定があるのかもしれない。やがて痺れを切らした弁護人が「あの、そろそろ……」と言いかけたその時、遙がバッグを開いて何かを取り出した。見ると、それはギフト用に綺麗にラッピングされた箱だった。彼女はゆっくりとそれを両手に持ち、ニッコリ笑って僕に差し出した。
「遅くなったけど、……〝三十歳の〟お誕生日おめでとう!」
†
遙の弁護人から、離婚と慰謝料の請求を取り下げる旨の通達があった。それからしばらくして妻と娘が家に戻ってきた。まだまだわだかまりは解消できないが、これからゆっくり、腹を割って話し合っていこうと夫婦で決めた。
そうして僕の家庭は元通りに戻った。以前と違うのは、リビングに堂々とアルティメット☆まどかのフィギュアたちが……一体増えて置かれていることだった。
あのLINEのメンテナンス以来、hallelujah-naoさんとはさほど深い話はしていない。そして、メッセージの頻度は徐々に減り、いつしか音沙汰なくなった。
†
しばらくして、久々に家族3人揃って買い物に町へ出た。駅につくと、聞き覚えのある歌声とピアノの音が聞こえてきた。近づいてみると、それはマリアだった。それを見た娘が、おねだりして言った。
「ねえ、おうたききたい」
僕と遙は顔を見合わせて、娘をピアノのところに連れていった。
「素敵な歌ね」
遙がいった。僕は黙ってうなずいた。結局のところ、マリアさま……彼女がhallelujah-naoさんなのか……そして、僕が彼女に抱いていた思いは果たして恋だったのか? わからないままだ。戻ってきた妻に隠し事はしまいと決意したけど、このことだけは僕の胸の内にしまっておこう。
そのうち、娘が歌に飽きたようで、「ねえ、いこうよ」と言い、駆け出してしまった。遙はその後を追い、僕はピアノの前に取り残された。そして歌い終わったマリアさまにひとこと告げた。
「いろいろお世話になりました。おかげさまで、良い方向に向かっています」
マリアさまはしばらくキョトンとしていたが、やがて笑顔を浮かべて「それはよかったですね。続けて祝福がありますように」といって、また歌い出した。
「パパ〜、早くおいでよ〜」
娘に呼ばれ、僕はマリアさまに一礼してその場を去った。それから僕たち家族はショッピングを楽しんだ。
第5章 終