自由って、時には命を賭しても欲しくなるもの
次の日、ピンポンという呼鈴の音で目が覚めた。先に起きていたアヤノが玄関に行く。
「……はい」
「303号室の吉田ですけど、ゴミ置き場や配水管の整備が滞っていることはご存じですよね」
「ええ、まあ」
「それでね、やはり私たち住民が一致団結して管理組合に訴えるべきだと思うの。で、これから臨時で住民会議を開こうと思うんですけど、あなた、ご都合はいかが?」
「これからですか? ちょっと用事が……」
「あらぁ、来られませんの? 中にはパートをお休みになったり子供の送り迎えの時間をずらしてまで参加される方もいらっしゃるというのに」
吉田とかいうおばちゃんは、人に都合を聞いておきながら、結局有無を言わず押し切る。
「わかりました……支度して後ほど伺います」
結局住民会議への参加を余儀なくされたアヤノは、私のところに来てその旨を伝えた。
「聞いてたと思うけど、私はこれから住民会議に出なければならなくなった。その間、留守番して欲しいんだけど、……くれぐれも一人で外出などしないように」
「……わかった」
アヤノの物言いはいちいち気に障るが、その気持ちを悟られぬように、私はアヤノを送り出した。そしてアヤノの言いつけに逆らい、私は外に出た。
†
外に出てやりたいこと……やはり、あの歌のお兄さんと会うことだった。昨日彼を見失った地点に立ち、彼が通り過ぎるのを待ってみた。……が、一時間ほど待っても彼はやってこない。当たり前だ、そんなに都合良く現れたりするもんか、と思う矢先、彼が向こうから歩いて来るのが見えた。しかも今日はギターを背負っている。これは期待大! 私は物陰に隠れて彼が通り過ぎるのを待った。そして私の横を通過した時点で、私は尾行を始めた。
ところが、またもや尾行に気づかれてしまったようだ。お兄さんは重そうなギターを背負ったまま、全速力で走り出した。しかし、さすがにギターがハンディキャップとなったのか、私でも何とか見失わずに追いかけることができた。そして、お兄さんは一棟のビルディングの中に駆け込んだ。多分、そこが彼の仕事場なのだろう。
しばらくすると、彼はまた外に出てきた。段ボール箱二つ抱えて。いったい何をするのかと思い、また後をつける。やがて彼は駅前広場で段ボールを下ろし、中身を取り出す。ポケットティッシュ? たしか、日本では街頭でポケットティッシュが無料で配布されると聞いたことがある。半ば都市伝説か、マスコミの大げさに誇張した報道だと思ってたけど、本当にやってるんだ……。
ところがしばらくすると、彼は突然〝商売道具〟を置いて、ツカツカと歩き出した。どうも、その先にいたスーツ姿の男性にインネンをつけようとしているみたいだ。このままではケンカになってしまうと思い、彼に声をかけた。
「あっ、歌のお兄さん?」
「ゲッ……」
私の顔を見た彼は、当惑を隠せない表情を浮かべた。私は何をいってよいかわからなかったが、とにかく話して彼を引き止めた。
「今日も歌うんですか? ぜひ聞きたいです!」
「今仕事中なんだよ、これやるから、あっち行っててくれ」
彼はそういって、ポケットティッシュを二十個ほど私にくれた。
「あ、ありがとう……」
そのままでは持ちきれないので、バッグにパンパンになるまでティッシュを詰め込み、ふと顔を上げるとスーツ姿の男性はいなくなっていた。私はもう大丈夫だと思って、彼の仕事の邪魔にならぬよう、その場から立ち去った。