傘を纏める紐、あれなんていうのかネットで調べたら、〝ネーム〟っていうんだって
やがて雨が上がったので傘を畳むと、巻帯にローマ字でTAKASHIと書いてあるのが目に入った。
(タカシ……あの人の名前かしら?)
思わぬ形で名前を知り、私は少し嬉しくなる。
家に入ると、レッスンがなく暇そうにしている父とバッタリ会った。父は見慣れない私の格好を見てすかさずコメントした。
「結奈、えっらい可愛いやん。さすがパパの娘や!」
「……やめてよ、マジキモいから」
「いつ買うたんや、その服。初めて見る服やなあ」
「それがね、雨でずぶ濡れになってたら、どこかの優しいお兄さんが『これで服買え』って一万円くれて……」
自分の口から出た〝お兄さん〟という単語にドキッとする私。
「おいおい、大丈夫か。タダほど怖いもんはないで。ストーカーちゃうやろな」
「違う、そんなんじゃないから。……あっそうだ、パパに聞きたいことがあるの」
「聞きたいこと?」
「うん。あの、もしかして私におにい……」
そこまでいって私は口をつぐんだ。これ以上言葉が出てこない。
「おに……?」
「そ、そう、おに……みたいに厳しい先生、私に紹介してくれない?」
「なんや、柊先生(私が師事している先生)やったらあかんのか? あれ以上厳しい鬼教師は知らんで」
「あ、そう。それならいい」
「ケッタイなやっちゃな。結奈、お前マゾちゃうか?」
訝る父を背にして私は部屋に入った。
部屋に入ると、私は擦り切れた絨毯の上に身を投げ、うつ伏せになった。こうしていると、なんだかあのタカシという人が抱き起こしてくれる気がして……ありえない温もりを密かに期待しながら、私はあれこれ考えた。
私、あんな最悪な人を好きになっちゃったの? しかも実の兄かもしれないのに……かなりの確率で。私は心を奪われないように、タカシさんが私に向けた暴言の数々を頭に思い浮かべてみる。
「今のが全然ダメだって自分でわかってない時点で終わってるんじゃないの?」
「君、この前ウンコシッコの《《歌》》弾いてたじゃない?」
……ダメだ、この前まで想像しただけではらわたが煮えくり返っていたというのに、さっきの雨の中のやさしさがどうしても打ち勝ってしまう。私はどうしようもなくなって、舞子と留美とのグループチャットに投稿した。
[結奈]
私、あの男のこと、好きになっちゃったみたい。
……と入力すると、間もなく返事が来た。
[舞子]
!?(゜〇゜;)マ、マジ…
[留美]
でも、お兄さんかもしれないんでしょ。戸籍謄本は見たの?
[結奈]
見たよ。でも引越してからの記録しかなくて、昔のことは結局わからなかった。それで、市役所からの帰りに雨が降ったんだけど、私、思いっきり転んじゃったの。その時、たまたま通りかかったあの人が抱き起こしてくれて……。
[舞子]
フォーリンラブ♡
[結奈]
うん。だってすごく優しかったの。
[留美]
ギャップ萌え♡
ヘ(≧▽≦ヘ) キャーー♪
[舞子]
でもさ、お兄さんかどうかはもう親に聞くしかないってこと?
[結奈]
前の戸籍のあった大阪まで行けば証明書がもらえるらしいんだけど、ちょっと遠すぎるよね……。
[留美]
じゃあさ、今度の創立記念日にみんなで大阪に行かない? 夜行バスならあまり高くないし。
[舞子]
わぁ、行きたい!
[結奈]
ちょっと、冗談だよね?
[留美]
本気よ。私も旅行にでも行って気晴らししたい気分だし。
[舞子]
というわけで、大阪行き決定!
そんな調子で、あれよあれよという間に、私たち三人の大阪旅行が計画されてしまった。