怒るなら、自分の音楽性に
数日後の夕方、舞子から突然電話がかかってきた。
「ねえ、留美が大変なの! ちょっと来て!」
そうして呼び出されたのは、川渡中央駅付近の歩道橋。そういえば、この間ここで銀行の支店長さんが転落死したってニュースになっていたことが記憶に新しい。
現地に着くと、何やらクダを巻いて叫んでいる留美が目に映った。
「もう死にたい、死にたい!」
そんな留美を舞子が必死で取り押さえている。
「ちょっと、いったいどうなってるの?」
「話はあと! 結奈、手を貸して!」
私は舞子に怒鳴られながら、留美が暴れるのを取り押さえた。その時、留美の吐息から微かなアルコール臭が漂った。
「ねえ留美、お酒飲んでるの!?」
「△⌘♂⇔♀∞っ‼︎‼︎」
もはや彼女の言動は解読不能だ。しかし未成年の女子高生が泥酔なんてさすがにまずい。私たちは留美を近くの公園に運び、途中の自販機で買った500mlのスポーツドリンクを無理矢理飲ませた。その甲斐あってか、しばらくすると留美は酔いを覚まし、事の経緯を話し始めた。
留美は同じクラスでサッカー部の入江孝俊君が好きだった。私たちも以前からそのことを知っていたが、留美はサッカー部のマネージャーをしていた桜庭玲奈さんに間を取り持ってもらえるようお願いしていた。
ところが、桜庭さんは留美の気持ちを入江君に伝えようとしたところ、逆に告白されてしまったという。あろうことか桜庭さんは入江君の告白にOKしてしまい、しばらく留美には内緒で付き合っていた。だが、そんな隠し事は長続きせず、とうとうそのことが留美の耳に入った。
留美はわけがわからなかった。
気がつけば家に帰らず当てどもなく町を彷徨っていた。コンビニで買ったカップ酒を飲んで泥酔し、歩道橋の上でフラフラしているところを舞子が見つけたらしい。
「でも、だからってお酒飲むなんて……」
「……どうせあんたたちだって友達のフリして、いざなったら裏切るんでしょ?」
「そんなことないわよ!」
本音を言えば自信なかったけど、ここは割り切って断言する。と、その時……
「……うっ」
留美が気持ち悪そうに口を押さえた。私たちは慌てて彼女を抱えてトイレに連れていった。そこで、彼女の中にたまったものを吐き出させた。願わくは悲しみも鬱憤も吐き出てしまえとの思いも込めて。
†
どうにかして落ち着きを取り戻した留美を私たちは家まで送ることにした。そして川渡中央駅にやってくると、ピアノのポーンポーンという音が耳に入った。
「あれ? あの男……」
「この間のイケメンクソ男じゃん!」
舞子と留美が交互にいった。そう、ピアノの前に座っていたのは、先日私のスケルツォ2番を酷評したあの男だった。両手ではなく、右手だけで何かのメロディーを弾いていた。そして彼が、あるメロディーを弾いた時、私は耳を疑った。
「……この曲! どうしてこの人が?」
私があぜんとしている間に、舞子と留美がまたツカツカとピアノに歩み寄った。そして留美は少し酔いが残っていたのか、クソイケメンに絡んだ。
「……ヘン! この間は結奈に偉そうなこと言ってたけど、あんただって大したことないじゃない!」
クソイケメンは留美を一瞥し、ピアノを弾く手を止めた。
「結奈って……ああ、そこの……」
彼は私の方を見やった。「この間の〝ウンコシッコ〟さんね」
私はムッとなった。
「何よウンコシッコって! まだ自己紹介もしていない相手に失礼じゃない!?」
彼は立ち上がってこたえた。
「だって君、この前ウンコシッコの《《歌》》弾いてただろ?」
「そんな歌知らないし、弾いたことないわよ!」
「ほら、この歌だよ。
〽︎ンー ブリブリ ブリブリ
ボットーン ウンコシッコ
ブリブリ ブリブリ」
彼はショパンのスケルツォ2番の旋律に乗せて歌った。
ゆるせない。
私だけでなく、ショパン、いや音楽に対する冒瀆だ! 気がつけば私の平手が彼の頬を打っていた。彼は赤く腫れた頬を押さえながらいった。
「怒る相手間違えてんじゃないの? 君のスケルツォ、そういう風にしか聞こえなかったぜ。怒るんなら君自身の音楽性に怒れよ」
クソイケメンはそう言い残して去っていった。私たち三人は、またもや憎悪のまなざしでその男を見送った。
※未成年者の飲酒は法律で禁じられています。