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ピアノのある終着駅  作者: 東空 塔
第二章 百瀬結奈(ももせ・ゆな)
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いい勉強になった? 勉強なんて学校の授業で充分だわ!

 百瀬ピアノ教室。つまり、私の家だ。いつもレッスンの後は、どれだけ叱られても晴ればれとした顔で帰って来れるのに、今日は凹みまくりだ。

 あのイケメン嫌味男が去った後、舞子と留美はさんざん毒づいていた。

「あのヤロォ……ちょっとイケメンだからって調子こきやがって!」

「いい男かと思ったけど、もう最悪! 今度あんなこと言ったらぶっ飛ばす!」

 私は何も言えなかった。舞子や留美の毒舌は正直なところ小気味良かったけど、一人になると虚しさと悔しさがどっと押し寄せてきた。ちょっと気を緩めたら涙が出そう。


 家の中からは、たどたどしいピアノの音が外まで漏れて聞こえてくる。私の父・百瀬篤が子供のレッスンを見ているのだ。私は玄関のドアを開ける。レッスン中は家の鍵が開いたままになっている。そしてレッスンの妨げにならぬよう、チャイムも鳴らさないのが我が家のルール。セキュリティーとしてそれはどんなものかと思うのだが、ウチの両親はそういうことには無頓着なのだ。


 母はパートに出ていて、家には父と生徒さんを除けば、私一人。お腹が空いたので、とりあえずスパゲッティーを茹でることにした。ホールトマトとベーコンで適当なソースを作っていると、レッスンの一段落した父が顔を覗かせた。

「なんや、しけたパスタやな。もっとちゃんとしたモン作ってえな」

「別にパパのために作ってるんじゃないから。違うものが食べたかったら、自分で作れば?」

「……結奈、えらい機嫌悪いのう。レッスンでこってり絞られたか」

「レッスンが厳しいのは今日に始まったことじゃないわよ。そうじゃなくて……」

 私は駅での出来事を話した。話しているうちにあのクソイケメンのことを思い出してムカムカしてきた。

「ははは、そら難儀な男やな。そやけど結奈、ええ勉強なったやろ」

「はあ? 何が勉強よ!」

「あんな、ピアノの先生がナンボ厳しいゆうたかて、次のレッスンではちゃんと聴いてもらえるやろ。そやけど仕事となったらそういうわけにはいかん。プロのアーティストは一回ダメやって言われたらそれで終わりなんや。ピアノで食うていく人間はそういう世界で生きていかなあかんのやで」

 父はそんな講釈を垂れながら、いつのまにか私の作ったパスタを食べていた。

 私はこんな父が少し苦手だった。別に嫌いというわけじゃないけど、まるで〝歩く浪花節〟みたいなところが生理的に受け付けない。父の演奏……バッハもショパンも、どこか浪花節っぽくてイヤ。だから私はピアノの基礎が出来上がると、父とは真逆のタイプの教師を選んだ。そして、父のピアノを反面教師としながらこれまで研鑽を積んできたのだ。

「パパ、ピアノ弾いていい?」

「ああ、今日はもうレッスンないから好きなだけ弾いてええで。何やったらレッスンみたろか?」

「やめてよ、パパにみてもらったら変なクセついちゃう」

 父に憎まれ口を叩いた私は二台のグランドピアノが並ぶレッスンルームに入った。左側は父が学生時代から使っていたヤマハC3、右側は母が実家から持ってきたカワイRX2であった。母は声楽科の学生として留学していた時に父と知り合ったのだという。

 私が家で弾くのは、母のピアノだ。父の楽器を弾くと浪花節が伝染(うつ)りそうで気持ち悪かったのだ。

 あのクソイケメンにコケにされたスケルツォ2番を、まるでリベンジするかのように弾いた。スケルツォは日本語で諧謔(かいぎゃく)曲、おどけた、こっけいな曲という意味になる。父の弾くスケルツォはまさにそんな感じ。だから私はこの曲が嫌いだった。しかし、先生から受けた助言がその考えを変えた。

「諧謔といっても、ベートーヴェンやメンデルスゾーンとは違って、ショパンが表現したかったのは、やり場のない怒りや、絶望の気持ちだったのよ」

 この言葉は私の脳天を打ち抜いた。そして私は夢中になってショパンのスケルツォを練習した。私のピアノから〝父臭さ〟を払拭するのにこれほど相応しい課題はないと思ったからだ。

 そして今、私はあのクソイケメンの顔を脳裏にチラつかせながら〝やり場のない怒り、絶望の気持ち〟を鍵盤に叩きつけた。

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