4両目 善行発→資本主義行き
翌朝目覚めると、目の前に美しい女性がいた。どうやら俺を起こしてくれたらしい。
このまま寝たフリをしてもう少し今の状況を楽しみたいな、なんて考えたが、相手が残念天使だと気付いて起き上がる。
「もう朝か」
「はいっ! さっそく、頑張って村を繁栄させましょうねっ!」
朝からテンション高い。勘弁して欲しい。
それに、ラファマエルの言葉で現実を思い出し、寝起きだというのに心がズーンと重くなってしまった。
「まずはご飯にしましょう! 準備しますから顔を洗ってきてください」
そういや昨日は何も食べてなかったな。意識すると、ぐ~っとお腹が鳴る。
それにしても朝食を準備してくれているなんて、ちょっと見直しちゃうじゃないか。
言われるがまま馬小屋を出て、思い切り腕を伸ばす。朝の新鮮な空気が肺を満たし、なんだか頭がすっきりした。
村の人々は早起きのようで、すでに農作業をしている人もチラホラ。田舎は……というか、たぶん異世界の朝は早いんだろう。電気がないんだから、夜はさっさと寝ているに違いない。
すれ違う人々と軽く朝の挨拶を交わしながら、俺の足は村の中央へと向かう。そこには共用の井戸があるのだ。
水を汲み、バシャバシャと顔を洗った。凄ぇ冷たい。今は夏前くらいだからいいけど、冬とかどうすんだろ? なるべくその前に村を繁栄させて、とっとと仕事を終えてしまいたい。
そんなことを考えながら馬小屋に戻ると、テーブルの上に美味しそうな料理が並んでいた。
テーブルと言っても石の上に平たい木材を乗っけただけだし、料理と言っても焼いただけの肉や、切っただけの果物がメインだ。
けれど昨夜から空腹を訴えていた我が身には最高のご馳走に見える。それに母親以外の女性から手作り料理を振舞われるのは初めての経験。しかも相手は、見た目だけなら完璧な天使のラファマエルだ。となれば、美味しく頂かざるを得ない。
「いただきます」
「はい! 神の恵みに感謝しながら頂きましょう!」
なんか恵んだ覚えはないんだけど?
それともただの定型文で、深い意味はないのかな?
まぁ細かいことはいいや。とにかく食べよう。
「ん。美味いな」
日本人だった俺を気遣ってか箸もどきが用意してあったので、それを使って口に肉を運ぶ。どうやら焼いて塩を振っただけのものらしいが、焼き加減が丁度良い。一噛みごとに野性味溢れる肉汁が口の中に広がり、腹と心を満たしてくれる。
朝から少し重い気はしたが、なんというか全身の血肉になっていく感じ。食後のデザート代わりに用意してあった果物も美味で、少しの酸味が口内をさっぱりさせてくれた。
「ごちそうさま。美味しかったよ」
ラファマエルも満足したようで、いつもの天使スマイルが三割り増しで輝いている。
「とても美味しかったですね。神様と村のみなさんに感謝しなければ」
「そうだな。…………ところで、だ。この食材はどうした?」
食べ終わってから聞くのは卑怯? 違うな。食べ終わってからじゃなきゃ聞けなかったんだよ!
万が一「畑から拾ってきました!」なんて答えられたら、さすがに食べるわけにいかなくなるじゃん! 目の前でジュージュー焼かれたお肉をオアズケなんてされた日には、村を繁栄どころか滅ぼしかねない。
まぁ、相手は腐っても天使様だ。まかり間違ってもそんなことないはずだけどな! …………ないよな?
ちょっと不安を覚えながら聞いてみると、返ってきた答えは予想外。むしろ、予想を超えていた。
「安心して下さい。ちゃんと買ってきたものですから」
「……買って?」
「はい! あ、ついでにこの土地のお代も支払ってきました! 気兼ねなく住んでいて構わないそうですよ!」
いやいや待て待て待ちなさい。お前が口を開くたびに新たな疑問が際限なく増えていくのはどういうことだ? なんらかのバグか?
俺はこめかみを押さえつつ、ジロッとラファマエルを見る。
「まず一つずつ解決しよう」
「はい……?」
「お前はお金を支払って村人から食材を購入してきた。間違いないな?」
「はい」
「その金はどうした?」
少なくとも俺は持ってない。持ってたとしても、日本円が使えるとは到底思えない。
するとラファマエルは胸の中に腕を突っ込み、ポロリと何かを取り出して言った。
「幾ばくかのお金を神様から預かってます」
ドサッと置かれた袋の中には、どうやらこの世界の通貨が入っているらしい。中を見てみると、銀色に輝く貨幣がぎっしり詰まっていた。
「これは半金貨というお金ですね。この世界で標準的に使用されている通貨で、袋の中にはあと九十二枚ほど入っていますよ」
どう見ても銀貨だが、名前は半金貨。……あぁ、銀貨の中央部分が金で装飾されてるのか。扱い的には銀貨より上で金貨より下くらい?
「こちらでは金の産出量が少ないようで、金はとても貴重なんだとか。金貨も発行されてますけど、半金貨五十枚で金貨一枚なので、あまり一般的ではないそうです。ちなみに鉄太郎さんの世界基準で例えると、半金貨一枚がだいたい一万円くらいと覚えておくと分かりやすいかもしれませんね!」
然も「勉強してきました!」と言わんばかりに胸を張るラファマエルだけど、そこはどうでもいい。いや、どうでもは良くないが、もっと大事なことが色々あるだろうが。
「もともと何枚あったんだ?」
「神様からお預かりした半金貨ですか? ちょうど百枚です」
「百枚しかくれなかったのかよ」
日本円で百万円。学生だった俺としては大金に思えるが、村興し事業の軍資金としては圧倒的に少ない。資本金百万円の鉄道会社ってなんだよ。舐めてんのか?
「で、でもですね? ちゃんと理由があるんですよ?」
「聞くだけ聞いてやる」
「このお金は神様の力で作られたものですから、いわば偽金なんです。あ、もちろん成分や造形は本物と変わらないので使う分には問題ないらしいですけど、それでも大量の貨幣を持ち込むのは良くないことらしくて……」
「倫理的な問題?」
「貨幣価値的な問題だと神様は仰ってました」
あぁなるほど。そういうことか。
流通している貨幣がいきなり増えると、当然のごとく価値が下がる。インフレの始まりだ。
これから経済活動しようってのに、自分たちで経済基盤たる貨幣価値をぶち壊すのは、そりゃ避けるべきだろう。にしても、もうちょい多くくれてもいいと思うんだけど。
「釈然としないが、まぁ分かった。んで、現在の手持ちは九十二枚だっけ? 差し引き八枚減ってるわけだが?」
「土地代が半金貨六枚と銀貨五枚。調達した食材費が半金貨一枚と銀貨五枚ですから計算は合ってると思いますけど?」
そういうことじゃあないんだよ。
馬小屋の土地なんて、精々が四坪くらい。しかもここは限界突破集落だ。一坪に一万円以上の価値があるとは到底思えない。むしろ金を貰っても断りたいくらいの土地だぞ?
いや、それよりももっと根本的なことがある。
それは
「俺って神様だよな? で、お前は曲がりなりにも天使」
「真っ直ぐ天使ですけど?」
「そんなことはどうだっていいんだよ。俺が言いたいのは、俺たちは村を繁栄させるために降臨してやった、ありがたい神様と天使様だってことだ。それなのに土地を売りつけるのか? 強欲すぎない?」
土地なんていくらでも差し上げますから、どうぞ村にご滞在下さいませ! もちろん食糧も毎日お届け! 三食昼寝付きでございます! くらいが妥当じゃね? だってこちとら神様だ。そのくらい貰ってもバチは当たらない。
俺としては至極当然の理論だったつもりだが、ラファマエルは肩を落として嘆息していた。しかも幼子に諭すような「やれやれ」目線だ。イラッとすること山のごとし。
「あのですね鉄太郎さん。生きるにはお金が掛かるんです。食べる物も、土地も、全てお金が必要なんですよ?」
「んなこたぁ分かってんだよ! けど僅かな土地くらい無料で貸してくれたって良くないか?」
「ダメです。郷に入っては郷に従いましょう? 村の人たちにも生活があるんですから」
これは駄目だ。考え方が違いすぎる。
もともと俺は、なんだか分からないうちに神様をやらされる羽目になって、村を繁栄させろとかいうミッションを与えられてしまった身。やりがいも責任もこれっぽっちだって感じちゃいない。
けれど彼女は違うのだろう。なにせ天使様だ。神の使いだ。ラファマエルは、正しく善を体現する存在なのだ。
それは尊いことだろう。無償で人を救い、導き、神の言葉を伝える存在。思い描く天使像が、今のラファマエルとぴたり重なる。
他人事ならそれでいい。
天使様が降臨し、人々からの施しは受けず、ただ彼等を助けて天へと帰る。
童話や物語の中であれば、なんの文句も無いストーリーだ。
だが俺にとっては他人事じゃない。限界を突破しているようなこの村を栄えさせるには、あらゆる武器を駆使しなければならないだろう。
その最たるものが金である。神の能力もあるが、現状では馬小屋生産機でしかない。馬小屋なんぞ量産したところで、村の復興なんて出来っこないんだから。
だから金は必要だ。何をするにも先立つものがなければ話にならない。
にも関わらず、ラファマエルは天使的価値観でもって、その大事な実弾を浪費してしまった。もちろん土地の対価として金を支払うのは正しい行為だが、村人の善意に付け込むことになったとしても、今は浪費を抑えるべき段階なのだ。
しかしその論法は、間違いなくラファマエルには通用しないだろう。そして恐らく、それは今後も変わらないと理解だ。秒で理解した。
――ならば
「ラファマエル」
「はい?」
「それ、全部返品してこい」
「……え? な、なんでですか?」
馬小屋の隅っこには、まだ食材が山のようになっている。昼食用と夜食用。さらに保存食分だ。
それを指差して言うと、ラファマエルは食材を抱えてクイッと腰を捻り、俺から遠ざけた。その瞳には「これすっごく美味しいんですよ」という無言の懇願が見て取れる。けど見なかったことにして、俺は言葉を続けた。
「自給自足する。食べ物は自分たちで調達だ」
「だ、だからなんでですか? お金はあるんですから、何も問題は……」
「ある。金はあるとお前は言うが、その金はなんの金だ? 神様がこの村を繁栄させるために、準備金として俺たちにくれた金じゃないのか?」
「は、はい……」
「それをお前は、自分が生きるために消費しようとしている。否。それは浪費だ。ニートだ。働かざるもの食うべからずだ!」
「は――っ!?」
なんだか目から鱗が落ちそうになっているラファマエル。その顔が、だんだん感動に震えてきていた。
たぶん「鉄太郎さんの仰る通りです! このお金はわたしたちに与えられた使命を果たすために使うべきものでした! それに気付くなんてさすがです!」みたいに考えているのだろう。
チョロい。
チョロすぎて、秋葉原で絵を買わされないか心配になるレベルだ。
だが彼女には効果覿面だったようで、気付けば涙まで流していた。
「わたしが間違ってました! 鉄太郎さんの仰る通りです!」
「そうか。分かってくれたか」
「はいっ! 完全完璧に理解です!」
「お前なら分かってくれると信じてたよ。じゃあラファマエル。さっそくで悪いが余った食材は返品し、お前は自給自足の方法を模索してくれ。俺は俺でやることがあるから」
「畏まりました! ラファマエル、全身全霊を持って食材の調達に励みます!」
そう言って駆け出す背中のなんと愚かしいことか……。
まぁしかし、彼女には蚊帳の外にいてもらったほうがいいだろう。昔の人は言いました。真の敵とは無能な味方である、と。