第九十八ノ契約 闇の濁流
無邪気に戦う彼らを見下ろし、クスリと笑みを溢す。誰も彼も不正解しか答えられないんだ。だって、現実が夢なんだから。儚いほどに失っては繰り返すだけ。正解なんて何度やったって分からない。どう足掻いたって分からない。決めるのは、世界でもなければ神でもない。いや、神かもしれない。そんなこと、どうでも良いけど。だからこそこの世界は成り立つのだろうさ。
そうやってこの世界は、現実は巡り、また彼へと輪廻を辿る。例えそれが間違いだとしても、例えそれが終わりなき戦いだとしても。そう、この世界は終わりなき戦いの真っ最中。誰かが死ぬまで終わらない光と闇の哀れな儀式。なぁ、そうだろう?
「澪」
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黒い闇の霧に巻き込まれた哉都達は懸命に足を踏ん張るしかなかった。大盾を構えていても澪や壱月が耐性がないであろう自分達を守るために覆い被さったとしても、霧は風の勢いを強くし、大地を揺さぶり、地震を起こす。まるで嵐の中にいるみたいだと哉都は思った。紗夜の防御魔法である膜にヒビが入ったような音がした。いや、きちんと貼りきる前に攻撃されたのだから壊れるのも無理はなかった。フワリと身を寄せあっていた自分達の足が、体が簡単に浮き上がる。それほどまでの威力、闇に俺達はどう抗えば良いのかと哉都は一瞬、思考を止めた。止めたら止めただけ、隙が生まれることも知っていた。途端に体に刻まれる無数の痛みに右手に添えていたお札が風に乗って逃げ惑う。それは哉都だけではなく、国久と鈴花も同じだった。霧が刃となり契約者を襲っている。契約者を殺せば、神王・神姫は未練が残っていようとも強制的に召喚の輪に帰還させられる。つまりそれは『神祓い』とは逆の絶望。『神の名を冠する者』に与えられる消え去ることの出来ぬ傷だった。痛みに声をあげる哉都達を刻達がどうにか守ろうとするが、彼女達をも攻撃してくる読めない霧と云う名の総大将の闇には無意味なことでしかなかった。
「全員を闇に沈める気かねェ!?冗談じゃねェ!」
「澪さ……あああもうっ!澪!何か方法があるのかい?!」
吹き飛ばされそうになっていた茶々の首根っこを掴み、国久のところに引き寄せながら壱月が澪に叫ぶ。だが澪はなにか考え込んでいるのかぶつぶつと呟いている。
「……で、こうなる……なら、嗚呼……つまり……おぉ」
「だからなに!?」
「いんやァ……おまえさんたちを死なせはしないと、愛しき人に誓い直しただけサネ」
ニィと歯を見せて笑う澪は女性でがあるが男らしくて、鈴花と紗夜が小さく笑っていた。タァンと番傘の切っ先を床に叩きつけ、仕込み刀を仕舞う。総大将の攻撃をどうにかしようとする気なのは分かるが、何故か嫌な予感がした。そう、澪の目が自嘲的に細められていたから。
「澪さん、なにする気?」
「おやァ?片割れは気づくかい」
怪訝そうな、不安そうな哉都の頭を優しく撫で、澪は笑う。その笑みが何処か刻に似ていて脳裏で火花が散った。哉都の問いかけで刻や国久、鈴花も気づいたようだったが絶え間なく続く痛みに耐えきれずに口を閉ざしてしまう。総大将だってずっと霧を使い、哉都達を攻撃してくるのは無理がある。ならば、早めの対応が求められる。それは分かっている。分かっているが……
「安心しなさんな。アタイの魂が半分になるだけサァ!」
そう叫んで澪は番傘を霧の中心、総大将がいるであろう方向に向けた。霧の隙間からニヤリと笑う総大将と目が合う。完全に勝利を確信した目付きだったが哉都には今それどころではなかった。澪の魂が半分になる?どういうことだ?確かに澪は『神の名を冠する者』でありながらも壱月のような最強でもある絶対的味方だ。だが、哉都の魂の片割れと云う仮説であり可能性と目の前で対峙している以上それは、かつてない幕引きでしかなかった。どういうことだと哉都が刻と時雨を振り返れば、二人も意味が分からないと困惑顔だった。魂がわかれるのは輪廻の輪でしか起きない出来事。つまり、自ら行うだなんて呪いかはたまたいまだに召喚されていないという初代しか出来ない芸当なのだ。いや、初代でさえも出来やしない。だって、神の名を冠してはいるが、彼らは神では決してないのだから。そんな偶然や必然を書き加えないと出来ないような事をすればどうなるか。知らない哉都達でも容易に想像がついた。融合した神擬きでさえ、失うのだから、当たり前かもしれなかった。
「よくわかんないけど、それだけは絶対にダメ!」
「理解が追いつかねぇが茶々に同意!」
「澪さんが紗夜ちゃん達と違うことは分かってるけど、どういうこと!?」
「……自主的に半分にするって、え?カナと同じ可能性になるってこと?」
口々に国久達が声を荒げるが澪は聞く気などなかった。ただ安心させるかのように微笑んだだけだった。それに一瞬にして心配も不安も消し去ってしまったのは何故だろう?その理由を哉都達は知っている。だが、次の瞬間、澪がなにかを始めるよりも先に番傘の先、霧の中心が爆発した。いや、爆発と云うよりも凄まじい濁流に飲み込まれたと言った方がしっくり来た。体中を駆け巡る痛みの中、小さく聞こえる澪の言葉はまるで歌声のようで願いだった。愛しい人に向けた恋文だった。しかし、それさえも総大将は容赦なく奪っていく。一種の絶望であり恐怖だった。周囲から聞こえてくる親友達の苦痛の声に恐怖が哉都の体に絡み付く。助けられない。助けなきゃ。奪われたくない。そのために呼んだんだろ?!そう思うのに体がいうことを聞かない。縛られているかのようにいうことを聞かない体に、脳から発せられるのは警告と痛みだけで。そんな濁流の中、哉都は右手のお札を流れに任せて流す。これがどうなるかはわからない。けれども、
「(そうしなきゃならない、そんな気がした)」
闇の濁流に沿って流れていくお札は無情にも残酷にもその先で刃物のようなで引き裂かれてしまう。しかし、一縷の希望が消えたことを哉都は知らない。手に触れた優しい温もりに哉都は痛みと共に明け渡した。
渦を巻きながら薄まっていく闇の濁流、黒い霧を上空から眺めながら総大将は小さく微笑んだ。黒い霧が彼女の左腕に吸い込まれていく。吸い込まれていくたびに総大将に感情が戻ってくる。それは快感でも合っていたが、総大将が欲しいものではなかった。いや、自分はなにかを欲しかったのだろうか?片割れを壊してまで、世界を壊してまで、復讐に駆られた理由はなんだったんだっけ?それさえも呪いで消えてしまったのだろうか?
「(いや、共感したのは我だ。我しかいない)」
クスリと口元に指先を添えて微笑むが、何故か無力感しかなかった。嗚呼きっと、これは片割れのせいだ。そう思い、眼下を見下ろせば、倒れ込んだ哉都達が目に入った。澪は抵抗しようとしたのだろうが、番傘にもたれ掛かるように座り込んでいる。間に合わなかった、としか言いようがなかった。まぁ、間に合わせる気なんて更々なかったが。希望に縋って溺れて行った。その近くには同じように壱月がおり、二人共に満身創痍だ。最強と言われた壱月でさえあの攻撃には逆らえなかったのだ。哉都達はそれ以上だろう。総大将の体を歓喜が駆け上がる。そのまま哉都達を探し、もっと歓喜するのかと思ったのに、のに一瞬にしてそれは奈落の底へと突き落とされた。哉都達を庇って倒れる神王・神姫がいたのだ。鈴花を抱き抱えるようにして紗夜がおり、国久を押し倒すようにして茶々がいる。二人共に国久と鈴花を守る体勢だった。だからか二人以上に傷が多かった。そんな彼らの近くには哉都が柱に寄りかかっていた。またその近くには同じように守ったのだろう刻と時雨が哉都の手を掴むように伸ばして倒れていた。なんで庇うの?そんな問いが総大将の中に浮かび上がる。分かっているはずなのの、わからないとただをこねたくなるのは、一つでも感情を知って欲しかったからかもしれない。全員が全員、満身創痍ではあるが、死んだわけではない。ゆえに哉都が小さく肩を揺らしている。
体中の痛みで動きが鈍っているだけでまだまだ戦える。けれど、圧倒的な威力を前にはどうしようもなかった。絶望という可能性、希望という可能性。これが総大将がしたかった復讐なのかと哉都は痛む意識の中、そう思った。指先を動かそうとしても脳がそれを拒否している。拒否か拒絶か、はたまた恐怖か。もう、哉都にも分かっていなかった。ただ、願ったのに俺は叶えられなかったと悲観していた。血塗れで倒れる親友達に視線を移す。死んでいないわけではないことがせめてもの救いだった。いや、傷だらけなのだからこれは敗北なのかもしれない。瞼が少ししか開かない。どうやら瞼を切られたらしい。だが、両手の指先に触れた感触は新たな希望だった。それさえも、総大将は奪っていく。
「哀れだねぇ片割れくん?そんな体で我の復讐を止めて、自分の欲を叶えられるのかい?」
「……っ」
痛みで動けない哉都の顎を人差し指で無理矢理上げる。ニィと笑う総大将の嫌な笑みが哉都の視界に入る。それぞれの契約印に、哉都の指先に触れていた刻と時雨を翼と蛇で遠くに放り投げられる。投げられ、軽く呻く二人の声が聞こえる。助けたいのに、助けられない。まるで最初の時のようで苦さが口の中に広がった。それは、総大将の嘲りを肯定すると言うことだった。バッと突然、総大将は哉都の頬を叩くと頭を掴み、床に叩きつけ引き摺り倒す。床に押し付けられる形で倒れた哉都は全身に響く痛みに苦痛の声をもらすが、それは総大将にとって腹立たしくて仕方がなかった。痛みに呻く哉都を心底憎らしいと言わんばかりの白い瞳で総大将は睨み付ける。
「どうだい?これが、わかれた代償、呪いの末路さ。君に与えたかった我の気持ちだよ!」
首に指先を這わせながら総大将が言う。その瞳に涙が浮かんでいることに彼女は気づいているのだろうか?哉都と総大将はある意味二人で一つ。だが、それはもう違う。かつて同じで、同じ感情を共有する。受け入れられないそれはきっと、呪いの正体。本当の原因。わかれてしまった、離れ離れになってしまった愛情の矛先。
「……知って、欲しかったんだろ」
「……は?」
ポツリと哉都が呟けば総大将は目を見開く。
「悲しみを。飲まれてしまうまで持ち続けていた……哀しみを」
それがモノノケに飲み込まれ、世界や全てを復讐に変えた彼女の闇だ。ポタッと総大将の瞳から溢れ落ちた涙が哉都の頬に当たる。哉都の目の前で総大将は泣いていた。茫然と、理解出来ないと言うように。受け入れたくないと言うように。そして「違う」と小さく呟いた。
「違う違う違う違う違う違う違うっっ!!我はっ!そんなことを言って欲しかったわけではないっっ!!」
激昂し、すでに脳内も支離滅裂になりながらも総大将は哉都の首を掴み上げる。勢い余って哉都の頭が鈍い音を立てて床にぶつかる。
「死んだこともないくせに我と君を語るな!我は復讐をしたいんだ……そう、なにも変わらないこの惨めで哀れな世界や君に、愛しかった全てにっ!だから、君が一番邪魔なのさ!我のもう一つの、幸せだった記憶である君が!!もう一つの可能性が!!」
支離滅裂に叫ぶ彼女のことを哉都はようやっと理解した気がした。総大将が完全な復讐を遂げるには哉都が邪魔で、ただただその感情を理解して欲しかったのだ。モノノケやヨウカイなどという化け物ではなくて、誰でも良かった、この悲しみを誰か教えてと。それがどうあれ呪いとなり、可能性となり闇となった。そうして受け入れられない魂を恨んだ。きっと、それが復讐の本当の理由。本当の彼女の中身。全ての原因。総大将でさえ気づいていない感情。その感情が何故、哉都には分かったのか?……多分、同じだったから。それは言ってしまえば麻薬と言うのか、それとも同じだったからこその依存と云うのか。痛む頭では分からなかった。けれど、記憶に片隅で轟いている言葉を放つことは出来る。
「違う……受け入れられないからこそ、暴れるんだろ?……癇癪を起こすみたいに。でも、違う。本当の哀しみを、受け入れれば良いんだ」
お前が刻を受け入れ、召喚したように。俺達が時雨を受け入れ、契約したように。俺が、刻を受け入れたように。
しかし、総大将はそんな優しく語りかける哉都の声すら煩わしいとでも言うように馬乗りになった彼の首を両手で掴みかける。頭が割れる、何故?分かっているのは自分が闇の部分で、悲しいことだけで。嗚呼、本当は、そう本当は……!
「なにも知らないくせに!哀れみの同情なんていらない!」
『欲しがっているのは、受け入れなのに?』
「っ」
総大将が悲痛なまでな声で叫び、哉都の首に力を入れる。息が出来なくなる感覚に、彼女の言う死の恐怖に体が打ち震える。そして響くその記憶は正しい思い出しか話さない。誰かに認めて欲しくて、受け入れて欲しくて。それが彼方と云う前世が負った呪い。だからこそ、この声は、前世のお前は俺に問いかける。『片割れは、一緒にいてこそ一人。片割れだけでは、出来ないんだ』と。呪いの可能性を止めて、救って、包んで、受け入れましょう?今度こそ。
「分かる……っだって……俺はお前で、お前は……俺なんだから」
絞められる圧迫感と恐怖に懸命に声を震わせて哉都は言う。息が出来なくなり、苦しくなり、視界がぼやける。総大将がどんな表情をしているのかさえわからない。だけど、そうだろ?
「……っ……っは……だろ、刻」
全部、俺達だ。
ちょっと早めに投稿。今日でこの章を終わらせようと思います。




