第七ノ契約 勉強は苦手なんですよね
うん、全然わからない。いや、少しだが分かるには分かるか。哉都は暫し頭を捻らせた後、指の上でシャープペンシルをクルンと一回転させる。勉強を始めて何分経っただろうか?仕事を持ち込んだり同じように勉強をする人が多いために、いつも利用するカフェはお昼時以外は恐ろしいほどに静かだ。前はその静けさで半日ほど居座っていた事もある。気分転換に英語から数学に変えたが、文系の方が良かっただろうか?多くの数式に、英文で埋まってしまった脳がついて行かない。分からなすぎて数式の上で英単語が踊る始末だ。これはヤバい。だが、そのおかげでヒントを得られた。最後の問題を先程の悩みが嘘のようにスラスラと解く。がやっぱり、少し手間取ってしまう。けれども、一応で自力で解くと、哉都は大きく伸びをしながらシャープペンシルをノートの上に放り投げた。
「疲れた……」と口にはせずに、口の中で言ったのは集中しているであろう国久と鈴花のためだ。特に鈴花は一度集中すると肩を叩くかなにか衝撃があるまでやり続けるほどの集中力の持ち主だ。哉都が伸びをしながら、隣を横目に見ると同じようにシャープペンシルをノートに放り投げ、首を回す国久と目が合った。パチッと目が合い、なんだか可笑しくなって会釈までした。どうやら二人共に集中力の限界らしい。「んー」と小さく声をあげながら席に戻った哉都は自分の筆箱辺りに置かれているカフェオレに気がついた。既に温くなり、冷たさもなくなっていたが飲めないことはないし、美味しいことには美味しい。でも、刻さんよく分かったなぁ。カフェオレが入ったカップを持ち、飲む。集中しすぎてカラカラになりそうだった喉に程好い甘さと苦さが浸透していく。チラリと国久を見れば、自分と同じように置かれているマフィンセットに驚いていた。
「……えぇぇえ……」
「国久、マフィンセットだっただろ?」
「そうだけどね?刻、さん……には言ってないよ?」
刻の名前を言おうとして少し躓いたのはさんを付けるべきか迷ったからだろう。一見すれば刻は男性にも見えるし、一応でも哉都の部下でもあるし……と悩んだところだろうか。それにクスクスと微笑し、哉都は当の本人である刻を振り返った。すると刻は鈴花から借りた文庫本を熟読していた。哉都の方からはページ数が少ないように見えるし、もう少しで終わることを暗示している。ふと、刻は顔を布で隠し、左半分だけが出ているが、読めているのだろうかと哉都は思った。見えているのだから読めているのは当たり前だが。もしかすると顔の布は薄い素材で出来ているんじゃないだろうか?今度聞いてみるかと哉都が考えていると、読み終わったのか、文庫本を閉じた刻と目が合った。刻が哉都を労り、言う。
「お疲れ様主君」
「うん……疲れたよぉ刻さん……」
「ふふ、ちゃんと主の糧になってるから安心しな」
「そうかなぁ」
ニコニコと優しく笑う刻。召喚と契約条件の時に見たあの何処か寂しそうな、それでいて悲しそうだった笑みは何処にもない。自分の気のせいだったのだろうか?哉都がそう思っていると国久がソロ~と挙手した。
「あのさー刻、さん」
「なんだい?主君もだけど、私のことは好きなようにお呼び。で、なんだい?」
「え、あ、うん。でさ、よく分かったね?僕がマフィンセットだって」
国久が素直に疑問を口にすると刻は一瞬、キョトンとし、クスリと笑った。その笑みに不思議そうに国久が首を傾げる。
「主君の好みは昨日聞いたからね。主らの事も少しは聞いたから、そこから少し考えれば分かることさ」
「……本当によく分かったね?」
「まぁね」
まさか哉都からの情報だけでそこまで分かったのか。国久がチラリと哉都を横目に見ると嬉しそうに微笑んでいた。もしかするとあまり情報は与えていないのかもしれない。いや、国久が思った通り、哉都は刻に「こんな友達がいるんだ」と少しだけ言った。それだけで此処まで考えつくとは哉都も驚きだったが、その分、親友達の事も理解してくれる刻が嬉しかったのだ。驚きつつも国久はマフィンにかぶり付いた。うん、美味しい。と、刻が集中している鈴花に声をかけたいのか、オロオロとしていた。どうやら文庫本の続きも読みたいし、休憩をさせたいらしい。ふと哉都がスマートフォンで時間を見れば、勉強会を始めた時刻からすでに二時間が経過していた。
「鈴花」
「…………」
哉都が鈴花に声をかけるが、集中しているせいで気づいていない。哉都からでは肩を叩くのは無理そうなので刻に肩を叩くよう促した。それに刻は少し困惑したようだったが、勇気を振り絞ってトンッと鈴花の肩を叩いた。
「……あ、ごめん。なに?」
微かな衝撃に鈴花が勉強の渦と言う名の集中から帰って来た。哉都と国久がカフェオレやマフィンを堪能しているのを目の当たりにすると、鈴花は自らノートを閉じた。そして、目の前にあるマフィンセットに目を輝かせると「いただきます」と言ってからマフィンを口にした。冷めていてもやはり美味しいらしく、頬が綻んだ。
「それ、なに味?」
「ん~リンゴだと思うわ。ねぇ、今何時?」
「十一時」
「あら、結構経ってたわね」
ペロリと先に食べていたはずの国久よりも先にマフィンを平らげると鈴花はセットの飲み物に手をつけた。そうして二個セットだったマフィンの片割れを国久の皿にやり、自分のと交換した。それに国久は嬉しそうに、それでいて恥ずかしそうに微笑んだ。国久がなに味か訊いて来た時は自分も食べたいと云う主張だ。だてに長年親友でいたわけではない。国久は「ありがと」と言ってから鈴花のマフィンを口にした。リンゴ味も美味しいらしい。笑みが浮かんだ。それを見ているとお腹が空いてきた。グゥウウ、と哉都のお腹の虫がタイミング良く「お腹空いたー!」と叫び、全員の視線を集めてしまった。
「……主君、お腹空いたかい?」
「お腹空いたのね」
「マフィン食べる?カナ」
「~~!そうだよお腹空いた!」
全員が全員、お腹が空いたかと訊くので哉都は諦めた。もう、みんなしてさぁ!怒ったふりをする哉都に国久と鈴花が「ごめんごめん」と笑う。謝っているようには見えない。カフェオレをイッキ飲みしてみるが、それでもお腹は空いた。
「じゃあ、そろそろお昼にしましょうよ。私もお腹空いたわー」
「どうせなら刻の食べたい物はどうかな?」
「国久ぁー?」
「え!?え、なにカナ!?」
「主君も呼んだって良いんだよ?」
刻がクスリと微笑ましそうに笑って言えば、ビクリと哉都が反応した。どうやら国久が自分よりも先に「刻」と呼び捨てにしたため、嫉妬したらしい。なら呼べば良いのに、と云うのは口に出してはならない。俺だって呼びたいけれど……何処か恥ずかしく感じてしまうのだ。哉都自身、分からないけれど。もしかすると、あの笑みが引っ掛かっているのかもしれない。
「……と、刻?」
「なんだい?主君」
フワリと片目だけでも分かるほどに優しく、とても嬉しそうに笑う刻に哉都の中にあった違和感と云う名の不安は消え去った。心の底から嬉しそうに笑う刻に、何故変えずにいられようか。まぁ、もしかするとまた出てしまうかもしれないけれど。でも、そんなに嬉しいのか。哉都も嬉しくなって笑う。と、勉強道具を片付け始めた国久が穏やかに笑って言った。
「二人共、ずっと一緒にいたみたいに仲が良いねぇ」
「そうよねぇ国久。嫉妬しちゃう」
「安心しなよ二人共。二人も大事なんだから」
「おやおや」
ニッと歯を見せてニヒルに笑う哉都に今度は国久と鈴花の頬が嬉しそうに緩み、染まったのは云うまでもない。だって、最初に願ったのは国久と鈴花を守る事だったんだから。パンパンッと鈴花が場を切り替えるように手を叩いた。
「で、お昼どうするの?刻ちゃんの食べたい物にする?」
「私はなんでも良いよ」
「そう?じゃあカナ、何が良い?」
「えー……とりあえず出ようよ」
哉都の言葉に全員がそうだなと片付けを開始する。すでに片付けを終えていた国久は暇そうに椅子にずんぐり返っている。
「あの……鈴花、ちゃん?」
「!なぁーに?刻ちゃん」
鈴花に文庫本を返そうとして、刻が彼女を呼んだ。鈴花の真似なのか、ちゃん付けしたことに恥ずかしそうにリンゴのように頬が染まる。
「あとでこの続き、貸してくれないかい?」
「良いわよ~今度持ってくるわね」
「嗚呼!」
文庫本を口元に当てて笑う刻と鈴花。召喚と契約時のイメージとはうって変わって見える。がそれが何処か嬉しい哉都だった。その和ましい光景を終え、暫くした頃には片付けは完了していた。バックも持ち、トレイに食べ物の残骸を乗せて立ち上がった。
「さて、行きましょうか!」
鈴花の掛け声と共に彼らはカフェを出るために歩き出した。
書いてる時は早いかなーで今投稿ってなると微妙に合っているかもしれないという時期に(笑)
ゆっくりめに投稿中なのですがそろそろ溜まってきたので連続投稿するかもしれません(笑)
次回は木曜日です!