第五十三ノ契約 新たな縁と云う歌声が響く
哉都の言葉に彼は少女を呆けた様子で一度見た。そうして片手で顔を覆ったかと思うと
「アハハハハハッッ!!」
「「!?」」
笑い出した。そんなに面白いのか、体は含み笑いで微かに痙攣していた。なんか可笑しなことでも言っただろうかと不安になった哉都だったが、彼が楽しそうに笑っているのに気付き、ホッとした。少女もそんな風に大声で笑う彼を見て嬉しそうに微笑んでいる。やはりその笑みは少女と云うよりも女性に見えて哉都は混乱した。腹を押さえ、笑いながら座り込んだ彼は暫く笑い続けていたが、次第に笑いが収まったのか少しだけ目元に涙を溜めながら哉都を見上げた。
「オマエ、すげぇな。普通、堕ちた奴ともう一度契約を結ぼうとなんて思わねぇだろ。なのに……オマエって……ックク……いや、オマエら、か。オマエら、お人好しって言われねぇ?」
「特に国久が言われてるけど」
「お父さんでお母さんだものね国久」
「ねぇ今関係ないでしょーが!」
三人の突拍子もない何処か場違いな会話に彼が楽しげに笑う。クスクスとマフラーに口元を埋もれさせて笑う彼は青年になりかけの少年のように見え、これが本来の彼なんだろうなと云う暖かくも優しい雰囲気が滲み出ていた。
「……ありがとうな、オレは、オマエらを強制破棄しようとしてたのに……無理だったら、嫌になったら殺しても良いんだからな」
『時雨!そんな事言っちゃだめでしょ!?』
「そうだよー!」
『「え?」』
目を伏せ、そう言った彼に少女が詰め寄って叫べば、茶々が唐突に叫んだ。まさか茶々が会話に入ってくるとは思ってもみなかったらしく、二人の驚きの声が重なる。国久の隣にちょこんと飛び出すようにして並びながら茶々が言う。
「キミがボクたちを殺そうとしてたのはその子とみんなのためだったんでしょ?怒ることだけど、ちょっと考えは分かるもん。誰かのためだったんだって。なのに、自分を無下にしちゃ駄目だよ。さっきも言ってたけど新しい縁の意味ないよ?」
「茶々なりの言葉だねぇ」
「えっへん!」
胸を張る茶々に国久が小さく拍手をして褒める。その様子に先程までの緊迫していた空気が和んだ。国久も穏やかな笑みを浮かべて云う。その笑みはやはり母親とか父親のような何処か安心させるような効果があった。
「確かに君がしたことは許されないかもしれない。でも、その償いをしてはダメだなんて誰も決めていないからね」
「国久の言う通りよ。人それぞれ正義の形も己の心に従う道も違う。カナは、己に従った。なら、私達も従うわ。受け入れて、見守る。それで良いじゃない」
「それに紗夜、さんだっけ?にも会えたし、良い面もあったわけだしねぇ」
「まぁ!まぁまぁ!ありがとうございます!」
国久が鈴花と紗夜を覗き込むように言えば、彼女は嬉しそうに笑った。その笑みに釣られて鈴花も嬉しそうに笑い、繋いでいた手に力が入った。
「ほら、受け入れられただろう?私達の主君は、友人はこうなんだ。それに主は一人じゃない」
「……嗚呼、そうだな」
クスリと笑って刻が言うと彼はそう呟いた。なにかを感じ取ったのか一瞬、刻を見る視線に変化があった気がしたが……気のせいだろうか。少女は彼に近寄ると真っ赤に染まった手をもう一度取った。契約と云う罪滅ぼしが出来るならば、本当に此処にもうわたしは必要ない。そう言っているようだった。『神祓い』であった彼も分かっているのか、少女を見る瞳には寂しさと彼女と同じ愛情が宿っていた。決まって、知っていたことなのに、二度も経験してしまうのは悲しくて、悔しくて……でも、これが運命と云うならば、そうなのだろう。これが二人の、二人だけの物語だったのだ。もう、別れの時間だ。
『時雨、またね』
「嗚呼、またな和泉」
『……わたし、ずっと待ってるから。愛してたよ』
紅い華の中、絡み合った指は離れてしまうけれど、ずっとずっと待っている。その罪滅ぼしが終わる、その日まで。ずっと、ずっと。彼は少女の言葉に小さく頷き、瞳を閉じた。途端、透明だった少女の体は秘色の粒子に包まれ、徐々に薄くなって行く。彼を繋ぎ留めていた少女の役割が終わることを意味していた。手を握りしめ合う二人は愛し合う恋人のようで。少女が云うように一つの存在だったのかもしれない。だからこそ、依存していたからこそあんなに絶望したんだ、きっと。
少女はその瞳に涙を溜めながら哉都達を振り返る。
『ありがと。時雨を受け入れてくれて。契約を結ぶって言ってくれて。わたしたちのワガママみたいなものなのに……本当にありがとう』
「いや、俺達だってまだ受け入れられないことだってある。ワガママだって言うしなっ、お互い様なんだよ。背負って生きていくには辛いものになる。でも、辛いことだけが人生じゃない。だろ刻?」
「嗚呼、そうだね。私達は何度も召喚され、契約を結ぶ。それはある意味、赤い糸の伝説のよう……願うことも叶えようとすることも罪じゃない。安心しな」
『ふふ、そうかもね……ねぇ、消えちゃう前に新しい縁を結ぶところを見せて?時雨の、幸せを』
祈って、叶えさせて。声にならない言葉は少女の涙と共に飲み込まれてしまった。涙を溢しながら懸命に笑う少女に哉都は頷いた、力強く。死んだ時の恐怖とは比べ物にならないほどの悲しみと希望。それが彼女の瞳から止めなく溢れ出ていた。そうして哉都が刻を見上げれば、彼女は優しい笑みを浮かべ、哉都の背を押した。大丈夫、そう言うように。少女と手を繋ぐ彼を見る。強制破棄と云う憎しみの渦にまみれ、絶望を変えようとした彼はの行いは間違っているようでいて間違っていない。だからこそ、自分の感性で良い。俺は、お前と契約しよう。
「安心しろ。もしもの時ははったり倒してやるから。刻が」
「あれ!?私なのかい主君?!」
「そりゃあそうだろー?」
「カナ、刻ちゃんを困らせちゃ駄目よ!」
ケラケラと頼もしげに笑う彼らに少女は心の底から安心したように微笑んだ。そうして、哉都は彼を真剣な瞳で見た。真剣な、決意に満ちた瞳が哉都を貫く。契約をする、そう決心したはずなのに哉都の手は微かに震えていた。彼を召喚して契約していたのは自分ではない。再契約なのだ。もし、契約出来なければ?もし、認められなければ?冥界に、行ってしまうのか?哉都の心の中で恐怖の片鱗が声を上げていた。嗚呼、これは好奇心なのか?好奇心は猫を殺す。違う、これは未知の恐怖。大丈夫、自分が決めたことなんだから。そんな震える哉都の手を刻が優しく握った。安心させるように、大丈夫だと云うように。嗚呼、そんなこと考えたってしょうがないじゃないか。そうだろ刻?
「主君、主のやりたいようにおやり。そうすれば、彼は答えてくれる。私のように」
「嗚呼」
哉都は国久と鈴花、茶々と紗夜に視線を向け、そうして二人に視線を戻した。安心させるように契約印を手の甲で撫でた刻から手を引き抜き、哉都は片膝をつくと彼に手を差し伸べた。
「俺は契約を望む。さあ、行こう」
「嗚呼」
彼は、哉都の手を取った。途端、二人を中心に爽やかだが何処か清く、優しくも暖かさに包まれた風が足元から吹き上がる。その風が哉都と彼と刻を優しく包み込み、頬を撫でる。そこにはかつて『神祓い』と呼ばれ強制破棄を行い、絶望に呑まれた彼はもういない。そこにいるのは新たに生まれ変わった一人の青年だった。そしてそれは同時に契約完了の証でもあった。契約完了の光景を見、そうして彼の行く末を見届けた少女は笑みを浮かべながら瞳を閉じた。そして少しずつ秘色の粒子に包まれて、粒子となって消滅した。夜空の中に星のように消えていくその様子は何処か神々しくて、宝石を散りばめたかのようでまるで少女の、彼を慕う瞳のようだった。
「オレも、愛してた」
夜空に溶けて消えていく秘色色の粒子を眩しそうに、涙を流すまいとするように目を細め彼が呟く。絡めていた手も縁ももうない。嗚呼、でも、オレは償おう。自分のために、世界のために。その声は泣きそうで悲しそうだったが、強い意思に溢れてもいた。薄くなった粒子の片鱗が哉都の右手の甲に「ありがとう」と云うように触れて消えて行った。粒子が触れた途端、哉都の右手に鈍い痛みが走った。なんだと思い、横目で右手を見るとそこには。それに哉都は嬉しそうに微笑む。目を凝らさなければ分からないほどのもの。それは何処かで望んでいたのかもしれない。もしかしたらと云う未知の恐怖よりも、未知の喜びを。嬉しそうに笑った哉都に気付き、彼の視線を辿って目を動かした刻もその事実に嬉しそうに左目を細めた。しかし、彼は目を背けているのか気づくことさえなかった。いや、目を背けているのではなく、本当に分からなかっただけだったのだ。青年は片膝を付き、立ち上がりながら言った。それに哉都も慌てて立ち上がる。少しだけ、その目に溜まっている水は知らんぷりして。もう一度、始めましょう?契約と云う名の人生を。
「こんな体勢なのはどうかご勘弁してくれよな?改めて、オレは時雨……こんな……いや、これから頼むなあr」
と、唐突にそこで言葉を途切らせてしまった。どうしたのだろうと哉都が不安そうに彼を見下ろすとバッとまた突然顔を上げた。哉都と同じくらいの身長だろうが、先程の泣きじゃくっていたところを見たためか少し幼くも見え、背が低くも見える。絶対に言わないけど。彼はニィと笑い、言った。
「難しいかもしんねぇーけど、よろしく頼むな大将!」
「……名前呼びじゃないんだ」
「オマエが望むならそうするぜ?和泉は和泉、オマエはオマエ、だろっ」
「ふふふ、主とはとても気が合いそうだ!時雨!」
「へぇ!そっか、よろしく時雨」
嬉しそうに笑いかける二人に青年も少し高い声を響かせて笑った。
青年、時雨は霞色のショートとセミロングの間の長さで肩につくかつかないくらいの長さ。瞳は秘色色。学ランに白いマフラー、同じように黒い靴と云ったシンプルな装いだ。だが、初めて会った時はマフラーには微妙に紅い斑模様が描かれていたが、今は彼の新たな人生のように真っ白だ。それが、少女・和泉との別の、新たな絆を示しているようで哉都はちょっと嬉しかった。
「ボクは茶々!よろしくね!」
「刻も茶々もずるいです。あたしは紗夜です。以後お見知りおきを」
すると時雨を後ろから抱き締めるようにして茶々が飛び付いた。怪我を考慮してかいつも国久にするような、頭突きにも似た抱擁ではなかったが、時雨は驚いたようで目を見開き、寄ってきた二人を見た。
「茶々!君も怪我してるんだから!」
「紗夜ちゃんもよ!怪我人が怪我人に近づいたら痛みを思い出すわよ」
「「え」」
国久と鈴花が新しい仲間に、友人に嬉しそうに飛び付く二人を呆れたように仕方がなさそうに見て言う。二人の言葉に茶々と紗夜は一瞬固まったかと思うと、鈴花の言う通り、怪我の痛みを思い出したらしく、各々に傷を押さえた。それがなんだが可笑しくて哉都と刻が笑うと、茶々と紗夜が笑い、国久と鈴花も笑った。そして、時雨も小さく笑った。新月と夜空が彼らを優しく見守り、路地の方からはオレンジ色の光が射し込んでいた。
誰かがいるなんて、知るはずない。
これにて三章終了です!いやーまだありますからね。てかこれまだ中盤。覚悟してください?(なんの)敵から味方って言うのをやりたかったんです!
次回は木曜日です!




