第四ノ契約 新たな希望
「我が契約に先立ち、その縁を結びたいと願うのは、主か?」
「……え?」
唐突にハスキーボイスが哉都の耳に入った。凛と響く、まさに強者と言わんばかりのオーラを声だけで発する不思議な声。そして、来るはずだった痛みがどんなに待っても落ちてこない。恐る恐る哉都が目を開けるとモノノケの拳は止まっていた。いや、正確に言えば止まっていたではなく、防がれていたのだ。哉都を守るように立ち、モノノケの攻撃を後ろ手に押さえている人物。神々しいまでの眩しいオーラに誰が違うと言えようか。そう、そこにいたのは
「……『神の名を冠する者』」
神王・神姫だった。人物は顔を布で覆っているおり、表情も読み取れないし中性的な体つきでもあるためか性別も読み取れない。国久も鈴花も、モノノケさえもまさかの光景に目を疑っていた。それはもちろん哉都もだった。召喚出来たことの衝撃と興奮に唖然としてしまう哉都を見て、人物はうむと声をあげる。
「この状態で契約条件を云うのは、いささか野暮かな。なら」
バッとモノノケに向かって回し蹴りを放つ人物。モノノケよりも小型ー哉都よりは長身ーながらも回し蹴りの威力は凄まじく、その一撃で吹っ飛ばされてしまった。圧倒的威力に驚愕で目を見開く哉都を振り返り、人物は彼の手を取った。その仕草が顔が隠れていながら物語に登場する王子様のようでテンパってしまい、頬が赤く染まった。
「私を召喚したのは主だね」
「え、あ……はい」
「契約を望むかい?」
再度問われたその意味を哉都は分かっていた。だから。
「嗚呼、そのために呼んだんだから」
力強い哉都の言葉に人物は満足そうに笑い、腰を折って哉都の手の甲に口付けを落とした。途端、哉都の手の甲を優しくも仄かな光が包み込んだ。そして翡翠色で桔梗紋と胡蝶紋が交差した家紋が浮かび上がり、哉都の左手に刻まれた。刻まれたと言っても目を凝らさなければ分からないほどに薄い。また痛みなどなく、筆の切っ先で触られているかのように何処か擽ったかったくらいだった。左手だけでなく右手にも刻まれたような感じもしたが、見ていなかったので不明だ。驚き、哉都が人物を見上げると人物の顔を覆う布にも翡翠色で先程の二つの家紋が薄く描かれていた。と言っても哉都の手に刻まれたように目を凝らさなければ見えないほど薄いが。さっき見た時は描かれていなかったような気がするが、混乱していたため気づかなかっただけかもしれない。よくよく見れば、左側を中心に多く描かれている。かと思うとスゥと左半分を覆っていた布が翡翠色の粒子となって消え、宝石のように輝く左目が現れた。何処までも見通す、吸い込まれてしまいそうになる瞳に哉都は目を奪われた。人物はそんな哉都を見て、愛おしげに、それでいて少し寂しげに微笑むと言った。
「では、それで契約成立だ。私は主の縁と召喚に応じた。ならば、主が望むものを、モノノケを倒そう。けれど、それには契約条件がある」
「け、契約条件?さっきも言ってたけど、それなんだ?」
「……嗚呼、そう言えば主達は知らないんだってね……説明しなさいって言われてたな……」
「え?」
「失礼。私達が再びこの地に、召喚によって呼ばれる時に決められた契約書のような物さ。これを破ると人によっては冥界に送られてしまうが……今はこの状況を打開する方が先かな?」
クルリと顔の布をはためかせながら人物が振り返ったと同時だった。起き上がったモノノケの咆哮が響いたのは。モノノケの瞳には自分を攻撃した人物しかうつっていなかった。スルリと哉都から手を外し、前を向く。右手を横に出すと翡翠色の光が人物の手を包みつつ、あるものを形作って行く。人物の右手に握られたのは薙刀で、人物は薙刀を一振りするとその切っ先を今にも突進してきそうなモノノケに向ける。臨戦体勢だ。だが今まで習い、知っていた事実と少し違い、哉都は混乱していた。けれども鈴花さえも説明出来なかった謎が解けた気がした。
「それらについてはあとで説明するとして、先にあいつを倒してしまおう。私は刻。主の部下……神姫だ。命令をお願い出来るかい?我が主君」
神姫、どうやら女性のようだ。人物、刻と名乗った神姫は青磁色の長髪でポニーテールにし、結び目に簪をさしている。瞳は翡翠色。服は左袖のみあり左の裾のみ異様に長く、右袖がなく右の裾が膝上になっている紺色と紅掛花色の着物を着、帯は橡色。右腕には同じく橡色のアームウォーマー(細め)と籠手を巻いている。下駄と草履が組み合わっている靴。左袖と左足の裾に、顔の布と同じ家紋が翡翠色で刻まれている。
神王・神姫と契約した実感が哉都にはなかった。失敗したと思っていた。けれども、これは自らが願った一部。ならば、それを全うしなければならない。そう思うのは、心の底から沸き上がるなにかのせいだろうか。嗚呼、でも、決まっているじゃんか。今、願うのは、
「……刻さん、親友達を守って。あの化け物を、やっつけてくれ!」
「仰せのままに、主君」
哉都の指示に刻が微笑んだ。かと思うと勢いよく跳躍し、モノノケの頭上に躍り出ると薙刀を振り回した。突然現れたように見えたらしく、驚いたようだった。が間一髪で薙刀を牙で防ぎ、刻を投げ飛ばした。クルンと空中で体勢を立て直すとその場に足場があるのかと疑問に思ってしまうかのように、空中で再び跳躍し、刻に向かって腕を振り上げようとしていたモノノケに接近する。と、振り上げられた腕に飛び降りると腕を駆け下り、モノノケを翻弄する。着地し、足元に滑り込んだ刻は薙刀を突き上げ、横に容赦なく振り切り足を切断する。ガッと横に振り切られてしまい、モノノケの片足が吹っ飛び痛みに悲鳴をあげる。咆哮にも似た悲鳴が響くが、刻はそれを無視し、たまたま振り上げられた爪に手をかけると勢いよく振り上げた威力を利用し、上空に大きく飛び出す。空中に投げ出された状態になった刻を狙ってモノノケが拳を連続で突き上げ、振り上げる。それを空中であるにも関わらず、器用にかわす刻。
ほぼ初めて神姫とモノノケが戦う光景を目の当たりにし、哉都は唖然とするしかなかった。強い、その一言に限る。その間にも刻は攻撃をかわし、モノノケの体力を消耗させて行く。肩で息をするモノノケに刻の片目がキラリと鋭く光った。かと思うと刻が地面に着地した。モノノケが今だと言わんばかりに拳を振り落とし、足を振り回した。同時の攻撃を薙刀を横にして防ぐが、攻撃の勢いが凄まじかったらしく、土煙を上げて刻が押し出される。が懸命に粘り、足でこれ以上押し出されるのを防ぐと薙刀を軸にその上に素晴らしいバランス感覚で逆さになると回し蹴りを放つ。と共に薙刀を勢いよく抜き、薙刀も振り回す。追撃で繰り出される刻の攻撃に思わず足も拳も引っ込めてしまう。その隙を狙い、刻が跳躍し、モノノケの顔に薙刀を振り下ろした。脳天付近から落とされた一撃にたまらずモノノケが倒れ込む。体力を消耗してしまっているためか、刻の方が圧倒的有利だった。それを刻も分かっているからこそ、トドメに入った。再び脳天から薙刀を突き刺した。それが決め手になったらしく、モノノケは動きを止めた。刻はモノノケが動き出さない事を薙刀を抜いて、ちょんちょんと突っついて確認すると哉都を振り返った。国久と鈴花は誰が云うまでもなく、先程の場所から動いていなかった。確認しつつも戦っていたつもりだったが、本当はあちらが上手だったのではないか。そう思ってしまう刻であった。
「主君、もう良いよ。安全だ」
「……本当?」
「嗚呼」
強ばった表情の哉都に刻が安心させるように微笑みかけながら言う。それに哉都の中で緊張の糸が切れた。途端に体が重く感じてしまい、座り込んでしまった。恐怖から解放された、そんな気がした。
「カナ!」
座り込んでしまった哉都を、滑り込むようにして座り込みながら鈴花が抱き締めた。彼女の無事に哉都はホッと胸を撫で下ろし、そうして鈴花のあとを追ってきた国久を見上げる。国久も哉都の無事に笑顔を溢す。二人共、無事だ。それも実感してしまい、一気にそれ以上の力が抜けた。
「逃げれば良かったのに……!」
「……放っておけないだろ」
「…………やっぱり、本当に馬鹿ね」
目元に涙を溜めながら鈴花が叫べば、優しく哉都は笑った。それに怒る気が削がれたのか、それとも安心したのか再び哉都に抱きついた。ブルブルと微かに鈴花が震えているのは安心と恐怖が一気に解き放たれたからだろう。哉都も同じだったから痛いほど分かった。鈴花が哉都を抱き締める横から覆い隠すように国久も二人を抱き締め、優しくまるで母親のような包容力を持って頭を撫でた。哉都が国久を見上げると彼はあきれたと云うような、もう諦めたと云うような複雑な感情をごちゃ混ぜにした表情をした。
「全く……カナってば」
「国久だって同じ事しただろ?」
「まぁな……みんな無事で良かった」
穏やかな笑みを浮かべ、もう一度国久が二人の頭を撫でる。安全仕切ったせいか、鈴花の目からは涙が溢れる。それに哉都が慌て、国久がクスクスと笑ったのは言うまでもない。
投稿速度はいつもよりゆっくりです。
次回は月曜日です!