第四十二ノ契約 第五の考察
「う"ーん、う"ーん」と唸る声が聞こえる。その声は苦痛と云うか苦悶だった。カーテンが閉じられたその部屋は薄暗かったが、隙間から入ってくる光は何処か暖かかった。部屋の中は暗いためよく分からないが、落ち着いた色で統一されていた。クローゼットの脇には本棚が並び、綺麗に整理整頓されて鎮座していた。だが誰かが本を一冊抜き取ったのか一冊分の隙間が出来ており、本棚の中で小さな雪崩が発生していた。本棚の上にはこの部屋にはあまり似合わないCDプレイヤーが置かれている。先程まで音楽を奏でていたらしく、電源がついたままだった。仄かに煌めく電源の明かりがまるで星のように輝いていて、ちょっと幻想的だ。すると、部屋の中央で翡翠色の光が舞った。翡翠色の光は人の形を形作った、かと思うとぐにゃぐにゃになり人の形を保たなくなり、かと思うと人の形を保ち……というのを繰り返す。二つ並んだベッドの一つに横になり、布団に埋もれていた茶々は億劫そうに布団から顔を出した。その顔は真っ赤に染まり、リンゴというよりも熟したトマトのようだ。瞳は眠たそうに微睡んでおり、今にも眠ってしまいそうである。そんな茶々の額には冷たいあれが貼り付けられているが、既に粘着性は失われてしまっている。それほど熱が高いのか、はたまた時間が経ったのか……多分両方である。
「……刻ぃ、大丈夫?」
茶々がそう人の形を保ったり保たなかったりを繰り返す光に云えば、ようやっと光は人の形を作り上げた。そうして現れたのは刻で、見える左頬は茶々と同じように紅く染まっている。少しだけボーッとしている気もする。刻はフラッと体勢を崩して座り込むとサイドテーブルに置かれた飲み物を手探りで取った。キャップを開け、一気にカラカラに渇いた喉に流し込む。冷たい、まるで氷のような冷たさが喉を潤し、微かに熱でボーッとする脳内を冷やしてくれる。「ボクにも」と茶々が刻に手を伸ばすと彼女はサイドテーブルを見やった。そこにはからになったペットボトルが一本転がっていた。刻よりも茶々は熱が高いためか、余計に水分を欲したらしい。からのペットボトルに虚しくささったままのストローを取るとさっきまで飲んでいたペットボトルに差し、茶々の口元に持って行ってやった。少しだけ上半身を起こし、ストローにかぶりつく茶々。自分も熱がある身ながらも優しく茶々の体を支えてやる。二人合わせて半分くらい飲んだ辺りでストローから口を離した。キャップを閉め直し、茶々をベッドに寝かせる。まるで国久みたいだと思ってしまうのは、彼の行動が愛情に包まれていて哉都と鈴花が言うように母親や父親に見えてしまうからかもしれない。
「ありがとぉ」
少しだけ掠れた声で笑いながら茶々は言う。そんな彼の頭を優しく撫でれば、茶々は嬉しそうに刻の手に頭を擦り付けた。ふわふわのオレンジ色の髪がまるで猫の毛並みのようで刻は小さく微笑んだ。
「大丈夫かい?」
「うん……もうほとんど熱だけだしね……刻は?コントロール出来てないけど」
「嗚呼……熱を出すのが久しぶり過ぎて、ね……自分でもコントロール出来ないよ」
「ふふっ、一緒だねぇ」
ふんわりと微笑む茶々にそうだねと刻も笑う。熱で頬が真っ赤に染まっているせいか、なんだか女の子に見える。まぁ茶々は中性的な顔立ちでもあるし、しょうがないっちゃあしょうがないが。刻の云う通り、こんな熱は久しぶりだった。前は、そう昔はよくみんなが大騒ぎしていたっけ。刻も茶々の隣にあるもう一つのベッドで寝ようと重たい体を懸命に動かす。全く、薬の副作用とは言え久しぶり過ぎて参ってしまう。疲れもあるのだろうとは思うが。すると茶々に手を掴まれた。精霊型から人型に戻ったためにひんやりとしている刻の手が気持ち良いのか、頬擦りしてくる。そんな彼を優しく見つめながら、寝たいから離してくれないかなーと思っていると茶々が言った。
「嬉しいね」
離しではなく話しだった。だが、茶々の言う嬉しいがはからずもとも分かり、刻は目を細めた。哉都が、国久が、鈴花が、欲の中に自分達を入れてくれていることが嬉しかった。心配してくれることが嬉しかった。一緒にいられることが嬉しかった。何度も何度も繰り返される召喚と契約の中で、昔を思い出すたびに嬉しくなる。それはきっと刻と茶々だけではない。知り合いと出会え、一緒にいる事さえ、嬉しいのだから。それはきっと、彼も同じだろう。だからこそ、絶望した。暗い方へ少しだけ刻が考えていると彼女がなにも言わないことを良いことに茶々は自分の指と刻の指とを絡め合わせていた。それに『神祓い』から逃げた時、哉都の手と指が絡み合っていたことを思い出してしまい、熱で赤い頬がカッと余計に染まった。だって女性だし?茶々には熱の赤みで気づかれていないようだったが、気づかれていたらからかわれるーと言うよりも根掘り葉掘り聞かれる事だろう。
「そうだね。まるであの時のようだ」
「ハハッ。紗夜とボクと刻の三人で、みんなと、ねぇ」
「だからこそ、言う覚悟も告げる覚悟も必要で……」
穏やかに言う刻の声色が一瞬にして暗くなる。その変化に思わず、茶々は起き上がりかけるが刻の恐ろしいほどまでの儚げな、何処を見ているのかさえ分からない視線に起き上がるのをやめた。きっと、彼らは気づいている。契約条件は、受け入れてもらいたいと云う欲。だから、
「……大丈夫だよ、刻。ボクたちは、ずっと一緒だよ」
ふにゃりと微笑んだ茶々の言葉に刻は頷いた。そう、そうだ。世界と繋がっていたとしても私達は既に彼らとも繋がっているのだ。だから、大丈夫。自分にそう言い聞かせ、刻は茶々から手を外す。茶々も寝た方が良いと思っていたらしく、刻が思っていたよりも呆気なく手を外した。それに少しだけ、もう体験できないであろう成長を感じたのは気のせいだ。刻もゆっくりとベッドに潜り込もうとして、CDプレイヤーに目が行った。仄かに煌めく明かりはこれからの自分達を暗示しているようで、小さく微笑む。茶々が怪訝そうに首を傾げていたが、気にせず潜り込む。微妙に体が冷えていたのかほんのりとした暖かさがなんとも愛おしい。
「刻」
「ん?なんだい?」
ベッドに入り、二人でサイドテーブルを挟んで顔を見合わせる。なんだか秘密話をしている気分になるのは部屋が薄暗いせいだろう。
「治ったら鍛練に付き合ってくれない?」
「……ふふ、茶々は頑張り屋だね」
「刻も、でしょ?」
二人で小さく笑い合い、次第にその声は聞こえなくなってしまった。刻が茶々を見ると茶々はいつの間にか安らかな寝息を立てながら眠ってしまっていた。穏やかな、気持ち良さそうな寝顔を見て自分も眠ろうと刻は目を閉じる。
モノノケもヨウカイも『神祓い』もみんなでいれば大丈夫。そう、自惚れても良いでしょう?昔のように。大丈夫と、勝てると。守りたいもののために、欲のために。だからこそ、この思いは……開ける日までそっと待ちましょう。二人で、三人で……いや、きっと……
だんだんと眠くなって来、徐々に微睡む刻は気配を感じた。その気配は安心するもので、刻はその正体を確かめる事なく夢の中へと旅立った。
「ふふ、気持ち良さそう」
「どんな夢を見てるんだろうね」
「さあ。ただ、二人共楽しい夢なんだろうぜ」
「「「ゆっくりお休み」」」
どんどん進みます……暑いわぁ……
次回は月曜日です




