第三ノ契約 この世界は所詮、鳥籠でしかない
哉都が会計を終えて本屋を出たちょうどその時、スマートフォンに国久か鈴花からメッセージが届いた。窓際の四人席をゲット出来たらしく、ルンルンと上機嫌でレシートを握りしめながら席に座る藤花の写真が添付されていた。そのあとにカメラを向けているであろう鈴花に向かって手を伸ばす国久の写真が鈴花から送られて来た。仕返しのつもりだろう。クスリと思わず笑ってしまったのは悪くない、絶対。本当に、楽しいなぁ。哉都はしみじみとそう思い、買った本が入った大きめの袋をスクールバックに入れた。此処から目的地のカフェまでは行き慣れているので五分もかからないだろう。そう二人にメールを返す。
「すぐに行くっ、と」
ピロン♪と軽快な音がしてメッセージが送信される。スマートフォンをパーカーのポケットにし舞い込み、カフェ目指して歩き始めた。今日はよく晴れていて、遠くまで見渡せてしまう。短縮授業ではあったが、休日だったらもっと長く遊べていたのかな、なんていつも遊んでいるのにそう感じてしまい、欲張りだなぁと内心自分を笑わずにはいられなかった。もうすぐで着く、そう思うと哉都の足取りも自然と軽くなった。
哉都が歩き始めて数分。哉都は自分が行く方向がなにやら騒がしい事に気がついた。なにか事件でもあったのだろうか?それでこの多くの人々が行き交う道が封鎖されたりでもしたら、カフェまで遠回りしなくてはならないじゃないか。ムッとしつつとりあえず歩く哉都の耳に、唐突に聞きなれぬ悲鳴と不協和音が響き渡った。
「キャアアアアアアアア!!!!」
「モノノケだ!モノノケが出た!」
「に、逃げろっ!」
「ちょっと邪魔!早く行きなさいよ!」
「死にたくないぃいいいい!!!」
「!?」
まるで人の波のようだった。前方から多くの人々が我先にと恐怖に顔を真っ青に染めながら走ってきたのだから。その光景に哉都も周囲の人々も驚愕してしまい、足が止まる。がそんな彼らなんぞ知ったことかと云うように人の波は彼らに襲いかかる。多くの逃げ惑う人々にぶつかり、危うく転けそうになるが辛うじて足を踏ん張り、哉都は耐えると前方を見た。先程聞こえた言葉はきっと、嘘だ。何故か、そう思い込まないと踏ん張れない気がした。それほど怖かったのだろう。だが
「……モノノケ?」
それは脆くも儚く崩れた。逃げ惑う人々の波の奥に見えたのは異形な姿をした化け物、モノノケだった。青白い光、人魂のようなものを身に纏うその姿は妖艶ではあったが、恐怖を与えてくる。一見、妖怪のようにも見えたが違い、その姿は狼と熊が合わさると云うなんとも奇妙な姿だった。遠目から見ても巨大さがよく分かる。そこで哉都は我に返った。モノノケ、化け物を見たと云う恐怖に体も脳も支配されてしまっていた。だが、モノノケがいる方向には国久と鈴花がいたはず……つまり!
「っ。嘘でしょ……国久!鈴花!」
恐怖よりも先に哉都は飛び出していた。人々の波を掻き分け、逆走し、二人がいるであろうカフェに走る。モノノケが暴れている方へ行くなんて愚かにもほどがあるのは、哉都自身分かっていた。けれども、先に行った二人の事が心配だった。恐怖よりも悪寒よりも、モノノケよりも。耳元で叫ばれる悲鳴と恐怖、モノノケに顔を歪めながら人の波を掻き分けていく。掻き分けていく間、行くはずだったカフェのエプロンをしている店員が視界の隅に入り、嗚呼もしかしたら無事なんじゃないかって楽観的に考えてしまう。けれど、現実は甘くないとも知っていて。
「っ!っと」
ようやく人の波を抜けた。慌てていたため、転けそうになってしまう。そして顔を上げた哉都はその悲惨な光景に絶句した。カフェの前には小さな広場が噴水を中心に広がっているはずなのだが、その面影は何処にもなかった。花が咲く場面をイメージしたと云う噴水は見事に粉砕し枯れ、その周囲にあったベンチもほとんどが破壊され、木片と化していた。黄色の明るい煉瓦道にはなんの血か、いや誰かの真新しい血らしきものがところかしこに付着していた。だが、倒れた人がいないところを見るに暴れたモノノケか、それとも怪我を負いつつも逃げたのだろう。その事にひとまずホッと胸を撫で下ろしたのはモノノケとの遭遇が初であったような気がするからか否や。その時の哉都には分からなかった。が、ホッとしたのも束の間、壊れた噴水近くに神王・神姫が倒れていることに気がついた。多分、皆逃げるのに忙しく気がついていないだろうが。八咫烏警備隊の先行隊かもしくはたまたま居合わせた神王・神姫か。倒れているところを見るに隙を突かれたか、召喚されてまだ日が浅いのだろう。神王・神姫がモノノケを倒す手段だとしても全員の実力はもちろん異なる。得意な者がいれば、苦手であり後方支援に回る者もいる。それか、モノノケの方が強敵であったか。哉都はいたたまれなくなり無理矢理、彼らから一旦視線を外す。広場周辺のお店には逃げ遅れたり怯えて腰を抜かしたりと阿鼻叫喚がいまだに広がっていた。阿鼻叫喚が不協和音を呼び寄せ、モノノケのダミ声の咆哮すら掻き消してしまっているかのようだった。しかし周辺のお店が所々被害に遭っている所を見てしまい、サァーと哉都の顔から血の気が引いた。
「国久!鈴花!」
あの二人は大丈夫だと自分自身を落ち着かせながら哉都は二人の名を呼ぶ。お店から逃げ惑う人々の中に二人はいない。もしかして、すれ違ったのだろうか?哉都はそう思い、一瞬後方を振り返ったその時だった。
「キャアアア!」
「鈴花、こっち!」
鈴花の恐怖に染まった悲鳴と国久の震える声がしたのは。バッと勢いよく哉都が声がした方向を振り返れば、そこにはモノノケがいた。モノノケは何故か足元を見下ろしており、そこへ視線を滑らせた哉都は目を疑った。何故なら、そこに国久と鈴花がいたからだ。国久が鈴花を背にモノノケから守るように立ち、モノノケを睨み付けている。が、その眼光鋭い睨みはモノノケには効いてはおらず、逆に化け物の前では弱者と云うことを鮮明に浮き彫りにさせていた。二人の背後は壁だ。どうやら隙を見て逃げようとしたところ、化け物に見つかってしまい、追い詰められたようだ。
「国久!鈴花!クッソッ!」
「!カナ!?カナ逃げて!」
「危ない二人を置いていけないだろ!?」
哉都に気づいた国久が叫べば、彼はそう返した。親友が目の前で危ない目に遭っている二人を置いて行けない。どうしたら、どうしたら良い?一瞬でも二人からモノノケの視線を逸らせれば、もしくは!モノノケに悪態を心の中でつきながら哉都が辺りを見渡す。本隊である八咫烏警備隊が来るのを待つ方が圧倒的に安全だが、これ以上待っていてはあの二人がより危険になる。もうこちらに向かっていると思いたいところだが確証もない。他に神王・神姫と契約している人も多分いない。どうする?思考をフル回転させる哉都の視界に拳大の石がうつりこんだ。暴れたモノノケが破壊した噴水の欠片だろう。だが、今の哉都にとってそんな事どうでも良かった。石を拾い上げると大きく振りかぶり、モノノケ狙って投げた。見事、モノノケの頭部に命中したが、倒れた神王・神姫の無駄な抵抗だと思ったのだろう。そちらを一瞥しただけで哉都の方には見向きもしなかった。チッと舌打ちが出た。哉都はもう一度、見つけた石を投げつけるが、モノノケの反応は先程と同じだった。近くにいる国久と鈴花にしか興味ないのか。
「(どうしたら……早くしないと二人が!)」
「カナ、逃げて!」
「僕らは大丈夫だから!」
国久と鈴花が哉都だけでも逃がそうと叫ぶ。震える笑顔がなんとも痛々しくて、唇を噛んだ。あのままなら、俺は二人を失う。大切な、大事な親友を。それくらいだったら、だったら!先程視界に入った神王・神姫が脳裏に甦る。失敗すれば冥界行き。嗚呼、でも、やらないよりはやった方が良いじゃないか!
「……カナ?」
「!まさかっ!」
哉都の異変に気づいたのはなにも親友達だけではなかった。これ以上、天敵とも言える対抗策を召喚されてはたまらないとモノノケがようやっと哉都を振り返った。そしてその瞳は哉都を射ぬいた。だが、そんな事どうでも良い。哉都へと矛先を変えたモノノケが彼の目に入る。それと同時に自分に向かって手を伸ばす鈴花と「逃げろ」と叫ぶ国久も見える。怒られるかな、なんて場違いな事を考えた哉都の意思は固い。自己犠牲、いや強い正義感か。無謀と勇敢。自分でさえもわからない。嗚呼でも、大切な人を守りたい。それだけで十分!哉都はドクドクと五月蝿い心臓をどうにか静めようと胸元を握りしめ、拙いながらも召喚の詞を吐き出す。
「……っ。我が縁が紡ぎし詞を辿り、今この場に現れ、契約を結ばん。我が願いを、欲を、望みを、詞を、聞き入れ、召喚とする。来たれ、我が……っ、我が『神の名を冠する者』よ!!」
叫んだ言葉も震えで裏返った声も、自分の物ではないようで、耳が可笑しくなってしまったかのようだった。此処に自分だけが存在していないような感覚だった。だが、そんな可笑しな状況になっても目の前の危機的状況を突破はできなかった。目と鼻の先に迫ったモノノケに哉都は我知らず、嘲笑した。神王も神姫さえも現れない。絶体絶命のピンチ。嗚呼、失敗だったかな?どうやって神王・神姫が召喚に応じるのかさえ分からない哉都には失敗も成功も確かめようがなかった。大きく振りかぶられた狼か熊かも分からない腕の影が哉都を覆い尽くす。
「「カナ!!」」
「っ。くそったれ!」
その暴言は失敗した自分に吐いたのか、それともモノノケに向けて吐いたのか。哉都には分からなかった。強く強く、目を瞑り、来るであろう痛みに身を縮ませた哉都には分かるはずもなかった。そう、
「我が契約に先立ち、その縁を結びたいと願うのは、主か?」
凛と響く声を聞くまでは。
急展開~こうしないと進まない。うん、いつも書かない所を書くようなジャンルなのでちょっと楽しいです。
次回は木曜日です。