第三十二ノ契約 初夏の香り
カァカァとカラスが鳴いている。電柱に止まっているのか分からないが大きな声なので近くにいるのかもしれない。オレンジ色に染まった空の下、静けさに支配された神社には荒々しい空気が漂っていた。半壊もなにも起きていない阿吽の狛犬が何処か不気味に見下ろす先には冷たい石畳の上に大の字で寝転がる哉都と刻がいた。二人共に肩で大きく息をし、話すこともままならない。そんな彼らの近くには同じく座り込む茶々と両膝に両手を当て、大きく深呼吸を繰り返す国久、そして項垂れたように座り込む鈴花がいた。彼らの背後ではヒビ割れた異様な空がピシピシと音を立てながら修繕されて行くところだった。修繕されていく隙間からこちらに向かって哀愁漂う寂しげな表情で手を伸ばす人物がチラリと見えた。がそれもすぐに見えなくなってしまった。彼らの呼吸を整える音が合唱となって神社に響き渡る。それと同時にカラスもよく鳴くのでなんだか可笑しくなってしまう。
「……みんな、無事!?」
バッと顔を上げ、国久が安否確認のために叫べば、カァカァ!と突然の声にカラスが飛び立った。黒い羽が階段に舞い落ちる。国久の問いに一番最初に反応したのは茶々だった。国久の方へ上半身を逸らせながら片手を軽く挙げた。
「ボク、無事~……体痛い……」
「私も、よ……足痛い……」
茶々の次に鈴花が答え、刻の代わりも担っているのか哉都も大丈夫と片手を挙げた。もう片方の手はいまだに刻と繋がれており、離さないと言わんばかりに指を絡め、握りしめられていた。片腕をついて上半身を起こした哉都はいまだに刻と手を繋いでいることに気付き、頬にカッと熱が灯ったのを感じる。振りほどいてしまえばそれまでだが、『神祓い』に強制破棄されなかったことと無事だったことに心底安心してしまいたくなる自分もいて。戸惑った挙げ句、哉都は振り払う事を諦めた。
「刻、大丈夫か?」
「嗚呼……主君はどうだい?」
「俺?俺達は大丈夫だよ。刻と、茶々のお陰で」
顔だけを哉都の方へ向け、刻は言う。哉都の言葉に刻は本当に嬉しそうに微笑む。それに哉都も嬉しくなって笑った。そんな二人を鈴花と茶々がニヤニヤと笑いながら見ていたが気にしない。刻もゆっくりと起き上がるが右腕に痛みが走るらしくすぐに片手で腕を押さえた。図らずも哉都と刻の繋いでいた手はほどけてしまったが、今は良かった。哉都は苦痛に顔を歪める刻に慌てて駆け寄ると大丈夫かと彼女の顔を覗き込んだ。そうして両手をわたわたさせ、無事であろう片腕の袖をちょんと掴んだ。自己再生能力が効いているのか、刻の表情が再び大きく歪む。
「茶々、茶々来て!応急措置するよ!」
「主様ー此処で!?鈴花ちゃんもいるんだよ?!」
「そんなこと言ってる場合かしら茶々?私の事は良いから治療されなさい!」
「……鈴花ちゃんが男前ー」
そんな二人の傍らでは救急セットが入ったポーチ片手に茶々の前で国久が仁王立ちしていた。一瞬慌てていたが鈴花のさっさと治療しろと言う男らしい態度に茶々が先に完敗したようで、ノロノロとしたゆっくりとした動きで上着を脱ぎ始めた。茶々の場合、大きな負傷は肩なため動きが鈍い。国久は心配そうに茶々に手を貸し、その間鈴花はポーチを預かっていた。ふと、階段の方を見れば先程まで空いていた穴は既に修繕されなくなっていた。人物から逃れられたという事実にドッと疲れと安心感が全員に襲いかかる。
「……なんで『神祓い』、動き止めたんだろうね?」
「嗚呼、さっきのこと?なんか理由があったと考えるしかないけど」
「そこんとこ、情報が少ないから迂闊だったわ……はい」
「ん、ありがと鈴花」
鈴花からポーチを受け取り、中から様々な物を取り出す。刻と茶々が来た頃から中身を改めたらしいが、たくさん出て来る。もはやお家芸になりつつある国久のポーチに茶々は上着を脱いだ状態で苦笑していた。その両肩は紅く染まっており、幸いなのは出血が止まっている事だった。
「多分、多勢に無勢だと思ったんじゃないかい」
「嗚呼、一応俺達も入れれりゃ一対五だもんな」
回復している刻を不安そうに見上げながら哉都は云う。緊急と称して体力を変換させても良いんじゃないか?そう思う哉都だった。が案外治りが早いようで安心である。
「でも、それで止まるかな?」
「『神祓い』情報によると動きが止まること、結構あるらしいわ。八咫烏警備隊の見立てでは以前負った傷が原因なんじゃないかって」
茶々の手当てをする国久の問いに鈴花は以前入手した情報をもとにそう答える。哉都が調べた時もそんな情報があったようななかったような……自信はない。だが確かにそれならば動きが止まるのも無理はない。学ランやマフラーの下に隠れていたのだろう。ちょっとだけ腑に落ちないが、あちらにだってなにか考えがあるのだろう。知りたくもないが。手当てが終わったのか、イソイソと鈴花に見せないようにとでも言うように茶々は上着を着る。が肩の痛みが響くらしく、バサッと上着は彼の手から滑り落ちた。その上着を鈴花が拾い上げると茶々の片に羽織らせた。
「刻、大丈夫か?」
「本当に主君は心配性だねぇ。もう大丈夫だよ」
片腕を掴んでいた刻はその手を「ほらね?」と見せびらかすようにして振ってみせながら哉都の頭を優しく撫でる。それに安心感を求めて、安心してしまっている自分に哉都はちょっと照れてしまった。全員無事だ。結界から逃げ出したは出したが『神祓い』がまた此処に来ないとも限らないので、さっさと退散しようとなった。茶々はまだ両肩が痛いらしく、足元もふらついていたが、国久が支えとなって歩き始める。当たり前のように国久から荷物を貰い、鈴花も歩き始める。哉都は不安そうに刻を見ていたがいつものようにキビキビと歩き出したのを見て、今度こそ安心した。……がやはりまだ万全ではないのか茶々と同じように足元がおぼつかなかった。
「刻、無理するな!」
「あら大変。カナ、代わる?」
「頼む!」
「でも身長……」
「良いわよ行ける行ける!」
鈴花が持つ二人分の荷物を受け取り、彼女が刻に近寄ろうとすると刻は大丈夫だと首を振った。
「大丈夫だから、ね?鈴花ちゃん」
「……刻ちゃん、たまには甘えなきゃ。頼るともいうけどね」
鈴花の言葉に刻は一瞬目を見開いたがすぐに「そうだね」と笑った。それがなんだが哉都には異様に嬉しそうに、心の底から嬉しそうに見えてまたあの笑みを思い出した。刻は鈴花に甘える事にしたのか、彼女の片に腕を置いた。だがやっぱり国久の心配通り、身長が少しだけ仇になってしまい、不安定な状況になってしまった。慌てて哉都が助太刀に入り、三人分の荷物を持つことになってしまった鈴花から国久がさりげなく自分の荷物を引き抜き、助太刀に行く際に哉都も自身の荷物を引き抜いた。結局巡りに巡って自分のところに戻ってきただけである。なんだこれ。それに茶々が含み笑いを浮かべていたのは言うまでもない。
そうして階段を慎重に降り、ようやっと帰り道である通路に辿り着いた。オレンジ色の空に黒いカラスが飛んでいる。なんだが描きかけの絵を見ている気分だ。
「さて、今度こそ帰るわよー!」
「順番は決めた通りで?」
「そうしとこう」
「かーえーろー!」
「ゆっくりにな」
『神祓い』に襲われていたなんて事をすっかり忘れたかのように彼らは言い合う。いや、忘れたふりでもしないと怖くて耐えられなかったのかもしれない。八咫烏警備隊に一応通報しておこうとも思ったが、すでに人物がいないのは明らかで。まぁそんなこんな。哉都達は此処へ来た時よりもゆっくりとした足取りで帰り道を歩いて行った。何処からか早くも夏の匂いがした。
「またテストねー」
「「嫌だぁあああああ」」
唐突に思い出したかのように呟いた鈴花の言葉に哉都と国久が悲鳴を上げたのはしょうがないと思う。二人の叫び声に何処かでカラスが飛び立った。その夕暮れに浮かぶカラスは、本当にカラスで合っている?後ろを飛ぶそいつは。
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可笑しいと思った。何故気づかなかったのか?それはモノノケの出現率が増えたせいだが今は置いておく。
普通ならばあんな大型を新人達が倒せるはずない。自分達の中で決められたモノノケの種類。あの時出たモノノケは大型種・危険に分類される。そんなモノノケは先輩である契約者組が行っても危険なものなのに、何故新人が倒したなんて信じたのだろう。いや、あの状況でいえば誰でも信じてしまうだろう。……そういえば新人は否定していたような。嗚呼なら、そういう事だ。あの時、あそこには神王・神姫と契約した者がいたはず。そいつと契約した奴が強者だったに違いない。それは、喉から手が出るほどに欲しい逸材だ。『神祓い』によって戦力不足が露見し、被害が増えている今、特に。
「なぁ、お前の時代の神王・神姫で強かった奴って?」
「私の時代でですか?……えーと、いなかったかなぁ。全員同じくらいだったし……あ!でも、一昔前は最盛期だったらしくて刻と茶々、紗夜が特に強かったらしいですよぉ。話によれば、幼馴染でもあったみたいで一緒が多かったらしいです。三人寄れば文殊の知恵、なんて言いますけど、あの三人は三人寄れば最強の矛盾と言われていたようですよぉ」
「へぇ……」
だとすると召喚されたのはその三人のうちの誰か。欲しい逸材、なら、手に入れない選択肢はないだろう?八咫烏警備隊は。
……書くことが思いつきませんでした……




