櫻井は選べない
なんで『バンド組もう』なんて口走ってしまったのかは自分でもわからない。
櫻井と一緒になにかやりたいとは思ったのだが…なぜそれがバンドだったのか…明確な理由はないが、たぶんどことなくそういうものにあこがれがあったのだろう。
だから思わず出てきた言葉がそれだった…たぶん俺にとってバンドなんてその程度のものでしかない。
なんにしても俺と櫻井はバンドを組むことになったのだが…問題は俺も櫻井もバンドの知識が0ってことだ。
とりあえず楽器がなければ始まらないということで、俺と櫻井は高校生活が始まるまでの春休みを利用して楽器屋に来ていた。
適当に始まったバンドなので担当楽器も適当でいいんじゃないかというわけで俺と櫻井は二人ともギターのダブルギターでバンドを組むことにしたのだが…目の前にずらりと並ぶ無数のギターを前に俺は相棒となる一本を決めあぐねていた。
あのデザインもいい…いや、あの色も捨てがたい…。
いかんせん初心者中の初心者ということもあって、ギターの良しあしがわからない俺は見た目しか判断材料がなかった。
「どれがいいかとかわかんないし…店員さんに聞く?」
隣で同じく初心者の櫻井がそんな言葉を口にした。
「いや、これから自分の分身ともいえる愛器を決めるんだぞ?人の意見に流されて決めるようじゃダメだろ」
「専門家の意見ほど尊重できるものもないと思うけどね」
櫻井はそう言って何のためらいもなく店員さんに初心者向きのギターを尋ねた。
そしてそのまま店員さんに流されるまま、初心者向きのギターを3分くらい試奏して店員さんにこう告げた。
「じゃあ、これ買います」
「いや、即決過ぎるだろ」
これから己の片腕とのなる愛器をものの10分で決めた櫻井に俺は思わずそんな言葉を吐き捨てた。
「だって、こうも候補が多いと誰かに決めてもらわないと決められないでしょ?」
「いや、その数ある選択肢から自分で選ぶからこそ愛着っていうものが湧くんだろ」
「確かにそうだけど…」
そうぼやきながら櫻井は店内にずらりと並ぶギターを見渡し、そして再びこう口にした。
「無理、絶対僕は自分で選べない」
「…ほんと櫻井は昔から主体性ってもんがないよな」
主体性がないといえばいいのか、欲がないといえばいいのか…なんにしても櫻井は昔から自ら進んでなにかをやろうと言ったことがほとんどない。
中学の卓球部に入る時も俺が入る流れで決めたようなものだ。
だが、自分でなにも決めないくせに付き合いは良い方だ。
俺が誘えば都合が悪くない限りは大抵のことは付き合ってくれる。
だから今回のバンドの件も二つ返事で返してくれたわけだが…。
そういうわけで今更櫻井にそんなものを押し付けるのも気が引けるし、櫻井のことは放っておいて、俺は俺でじっくり決めることにしよう。
その後、何時間もああでもないこうでもないと店内を右往左往しながら考えてはみたものの、俺はその日のうちにギターを決めることはできなかった。
そしてなにも決められずに時間だけを無駄にしてからお店を出る際、櫻井が俺に嫌味ったらしくこう言ってきた。
「ほら、決められないじゃん」
お店の中でギターを物色していた際も似たようなとげとげしい言葉を櫻井の口から何度も耳にしていたこともあってか、俺もいらついて悪態を吐いて帰りは険悪な空気になった。
後で冷静になって考えてみれば、何時間も買い物に突き合わせてなにも買わずじまいじゃ、そりゃあだれだって文句の一つや二つも言いたくなるわけで…温厚な櫻井のことだから怒っていたわけではないだろうが、若干不機嫌であったのは否めない。
そういうわけでこれ以上櫻井に買い物に付き合ってもらうのも申し訳なくなり、一人でギターを漁り回ることにした。
そのうちネットでも漁るようになり、早々に購入した櫻井をこれ以上待たせないためにも俺は夜な夜なネットを漁って愛器を探していた。
そして櫻井が先にギターを買ってから4日後の深夜…眠たい目をこすりながらネットでラインナップを見ていた俺の目に一つの楽器の写真が目に留まった。
無骨に黒い輝きを放つその楽器から目が離せなくなり、深夜の頭がうまく働かない勢いに身を任せて即購入した。
そして櫻井がギターを購入して1週間後…。
迷いに迷い、ようやく見つけた自分の愛器が家に届くや否や、すぐさま俺は愛器が入ったケースを抱えて櫻井の家に飛んで行った。
「ふっふっふ…これで今日から俺もギタリストだぜ」
自分がほれ込んだ愛器を手に、俺は誇らしげに櫻井にそう告げた。
「なんでそれにしたんだ?」
「デザインが好みなのもあるけど、決め手は普通のギターと比べて長いボディをしてるところだな。パッと見て一発で『これだ!!』ってピンと来たんだ」
そう言って俺は櫻井のギターと比べると長いスケールをしているその弦を指で軽く弾いた。
「うーん…この腹の底に響き渡るような重低音…素晴らしい」
己の愛器から奏でられる力強い重低音に感無量になり、俺は唸るようにそんなことを口にした。
やはり自ら選び抜いた至高の一本なだけあってか、俺が奏でたそれは櫻井のと比べるとずいぶん音が低く、重厚な音色をしていた。
「なんか僕のと音が全然違うな」
「そりゃあ俺が選び抜いた特別なギターだからな。これさえあれば世の中の女の子もイチコロよ」
自分の愛器が奏でる重厚な音色にうっとりしながらそういうと、櫻井があることに気が付いてこういった。
「なんで加藤のやつは弦が4本しかないんだ?。僕のは6本あるのに…」
「そりゃあ俺のが特別だからだろ」
誇らしげにそう語りながら自分の愛器が奏でる音色にうっとりしつつ、その後は黙々と楽器を弾き続けた。
さすがは俺が選び抜いた至高の一本だ。
この一本に出会うために日夜お店をめぐり回り、いろんなギターを試奏してきたが…そのどれにも劣らない力強い重低音…こいつは今まで出会ったどのギターとも違う特別な楽器だ…やはり俺の直感に狂いはなかったんだな。
きっと俺とこいつは、出会うべくして出会った運命でつながった楽器なんだ…。
ようやく見つけた俺の魂の楽器…もう俺は、お前を離さない…。
絶対に…離さない…。
そんな風に有頂天になりながら3時間ほど音色を奏でていると…
「なぁ、加藤、薄々気がついてたんだけど…」
櫻井が静かに口を開き、俺の愛機を指差してこんな言葉を突きつけてきた。
「それ…ベースじゃねえ?」
その一言がきっかけで自分の愛器がギターではなくベースであることに気がつき、俺はショックで3日ほど寝込んだ。
そういうわけで、結局ろくに練習できないまま春休みはそれで終わってしまい、そのまま俺たちの高校生活が…人類最後の青春譚が幕を開けることとなったとさ。
数あるギターという選択肢を前に『無理、絶対僕は自分で選べない』っていうさくらちゃんの一言が彼を体現していると言っていいだろう。