夏休み その後
朝。
扉がコンコン、と叩かれる。その音で花音は目を覚ました。
「お嬢さまー、朝だよー」
扉の向こうで声がする。ついこの前までなら召使い長の声だったが、今日は自分と同じ歳の少女の声だ。
「はーい、今起きたわ。あとそろそろ敬語を覚えなさい」
「えー、同い年の子に敬語を使うのって違和感ない?」
「まあ、分からなくはないけど。あなたの妹は使えてるじゃない。ちょっと変だけど」
扉の向こうにいる叶と言葉を交わしながら、花音はベッドを出て、タンスから服を取り出した。言われてみれば、同級生に敬語を使えている美雨や、新しく召使いになった双子の妹の方、望が少し特殊なのかもしれない、と花音はぼんやりと思う。
水色の質素なパジャマを脱いで下着姿になりながら、花音は部屋の中を見渡した。元は必要なものしか置いていない、美雨いわく女の子らしからぬ部屋のはずだった。しかし美雨が来るようになったことで、少しずつ花やぬいぐるみなどが増えてきている。私も変わったな、なんて考えながら、花音は腕を袖に通した。今日は、白いへそ見せシャツと、ジーンズ素材のホットパンツである。
決着をつけたあの日から一週間。組織を制圧した翌日に、藤堂一家は自宅に帰ってきた。その後すぐに花音と大陸は美雨の家に行って、そこで待ち合わせた氷崎と心音、美雨と話をした。
美雨は初めは笑顔で振るまっていたが、大陸と話すうちにそれまでため込んできた不安が爆発し、泣きじゃくった。それをなだめる大陸を見て、花音は、ちゃんと彼氏やってんじゃん、と少し感心したりした。
源竜はというと、組織は警察が制圧したことにして、様々な手段を使って裏で情報を操作していた。そのかいあって、藤堂に関する噂は一時流れたものの、一週間経った今、藤堂邸にはいつもの平穏が訪れている。
美晴は政府に今回のことを説明しに行った。藤堂が勝手に動いたことに一部の者たちは嫌な顔をしていたようだが、美晴が睨みをきかせただけで黙ってしまったらしい。恐ろしい母親だと、花音は思った。
「ああそうだ、叶?」
ベルトを締めながら、花音は尋ねた。
「なにー?」
「美雨とか氷崎さんとかが、今日家に来てパーティをするから、あなたも客として参加したら?急に召使いとして働くことになったりして、いろいろ疲れたでしょ。今夜ぐらい休むのもいいんじゃない?」
「いいの?」
「別に構わないわよ。じいも許してくれると思うし」
「ほんとに!?ありがとう!望と一緒に参加するわ。あ、でも私服ないわよ」
「私のを着ればいいじゃない。ちょっと大きいかもしれないけど。部屋出るから扉注意してね」
警告したうえで、花音は扉を開く。
その先に、叶が立っていた。召使い長の趣味なのか、叶と望が望んだのかは知らないが、来ているメイド服は妙に似合っている。
「じゃあ、改めまして」
叶が口を開く。
「おはようございます、お嬢様」
「おはよう、叶」
それが改めて言うことでもない気がして、花音と叶はクスリ、と笑った。
「大地はもう食卓に向かったわ。急がないとパン全部食べられるわよ」
「兄ィがどうしようとあいつの勝手よ」
悪態をつきつつ、花音は食卓に向かう。
食卓のドアを開けると、大地はすでにパンを食べているところだった。望が次のパンを焼いている。
大地が花音に気付いて、手を振る。
「おはよー、かのーん」
「はいはいおはよう」
「なんかてきとー」
「何で兄ィに真面目に挨拶しないといけないのよ」
軽口を叩きながら、花音は席に座った。叶が、望が使っているものとは異なるトースターで花音の分のパンを焼き始める。
「望、今日の予定は?」
パンが焼けるまで暇そうだった望に、尋ねてみた花音。予想していなかったらしく、望が慌てて手帳を取り出そうとする。
「焦らなくていいわよー」
花音の声がかけられ、余計に焦る望。どうにか手帳を取り出して答えた。
「えっと、今日は大陸さんが午後から定時株主総会に参加します。源竜さんいわく社会勉強だそうです。花音さんは十時から須藤家との会談に参加します。それから、午後六時からパーティです」
「ああ、そのパーティーだけど、あなたも参加しなさい。叶にはもう言ったんだけど」
「え、いいんですか?」
「構わないわ。日頃のお礼よ」
「ありがとうございます!ほら、お姉ちゃんもお礼言って!」
「えー、私もう言ったし」
「望、パン焼けてるわよ」
「ええっ!?あ、ほんとだ。失礼しました!」
どことなく美雨に似た雰囲気を感じ、花音は微笑んだ。
こんな、騒がしくもほほえましい日常。こんな平和な日々も、当たり前だと思ってはいけない。こうして暮らせていることに感謝しなければならない。そんなことを、唐突に考える花音だった。
これは、世界最強の、妹の物語。世界最強の男の妹の物語であり、世界最強の少女の物語である!
場面は変わる。
電気も点いていない暗い部屋の中で、男が一人パソコンに向かっていた。パソコンの画面には、一人の少女の姿が写っていた。その少女は、茶髪を肩で切りそろえ、美しい見た目をしていた。
「こいつに、今こそ俺の真の力を見せてやる。すぐに達成してやるさ。エースの実力というのを分からせてやる」
そう言って、男は笑った。その不気味な笑いを止める者は、誰もいなかった。




