藤堂大地という男
ああ、まただ。
緊迫した空気の中、花音はただそう思った。敵の前に立った大地の様子はすっかり変わってしまい、そこにいるのは周りを威圧する人の形をした化け物だった。美雨が怯えた顔をする。だが、花音には美雨をなぐさめることができない。花音ですら、大地に恐怖していたのだ。
あらかじめ大地と打ち合わせていた通り、花音は美雨の鼻に、睡眠薬を染み込ませた布をあてがった。驚いた様子の美雨だったが、間もなく静かに寝息を立て始めた。花音は安堵からため息をついたが、その手は震えていた。
美雨を眠らせたのは、大地が闘う姿を見られたくないという、大地自身の要望のためだったが、親友にこんなことをしたのは心が痛んだ。しかし、その痛みを気にしていられるほどの余裕が、花音にはなかった。
ああ、まただ。
花音はまた、どうしようもなく思った。そんな状態の頭の中では、ある記憶が思い出されていた。
花音が小学校に上がってすぐの頃。大地が今のように軽薄ではなかった時のことだ。
その頃はまだ、花音は大地に憧れていた。大地は、小学生にして何を任されてもそつなくこなせた。すでに源竜から仕事方針の質問をされるほど、その知能レベルは高かった。藤堂の歴史上でも類を見ないようなその様子に、誰もが期待し、藤堂家にとって最重要の人物になることを誰も疑わなかった。
だが、大地にも1つ苦手とすることがあった。それは、人を傷つけること。優しかった大地は、人を傷つけることを好まず、進んでやろうとはしなかった。しかしそれも、成長するうちにどうとでもなるはずであり、子供のうちは気にすることでもないはずだった。ただ、当時はちょうど、藤堂に対抗しようと連携した複数の企業を、源竜が容赦なく叩き潰していた頃で、大地もかなりえぐい場面を目撃していたりした。
そうして、いつの頃からか、大地がもう1つの人格を持つようになった。大地はその人格を「弟君」と呼び、自分が嫌な仕事は「弟君」に任せるようになった。花音が直接訊いた訳ではなかったが、大地は仕事を「弟君」に押し付けるのを嫌がっているらしかった。だが、大地の精神的負担になることは、「弟君」が勝手に引き受けてしまうのだった。
大地がそんな状態になってしまってもなお、大地は花音の憧れだった。強くて、源竜に頼りにされていて、花音にとってまさに英雄的存在だったのだ。
しかしそれも、ある時を境に変わってしまった。
花音が小学2年生になった年。藤堂に対抗するために連携したはずの企業が、全く藤堂に勝てないために、強硬手段に出た。花音と大地が2人きりでいたところを、大の大人たちが襲ったのだ。
今なら圧倒できるはずの雑魚も、当時まだ幼かった花音にとっては脅威でしかなかった。花音はただ、怯えているしかなかった。
その時、自分にもう少し勇気があったなら、と花音は思う。もしそうなら、大地は優しいままだったかもしれない。
大地だけでなく花音まで危険にさらされ、大地は能力を使わざるを得なくなった。それは、人を傷つけることを意味していた。そしてそれは、間違いなく大地に精神的苦痛を与えるものだった。
その時、大地は自ら、体の主導権を「弟君」に渡した。
その瞬間まで、大地は確かに英雄だったのだ。花音にとって、憧れで、希望で、ヒーローだったのだ。
だが、その思いは打ち砕かれた。大地は、怪物に成り代わった。言葉遣いが変わり、大人たちをためらいなく殴っていく小さな姿は、今でもなお、花音に深い傷を刻んでいる。そしてその事件以降、大地は今のように軽薄な態度をとるようになった。
その大地が、再び怪物となって、花音に背を向けて立っていた。服が裂けて露わになった背筋は、どこか悪魔の顔のようにも見えた。
緊張で動けない男たちに、大地が凄みのある笑みとともに声をかけた。
「おいどうした、かかってこないのか?さっきの威勢はどうした?もっと楽しもうぜ?」
その言葉をきっかけに、異様な緊張感に耐え切れなくなった男たちが奇妙な叫び声をあげ、一斉に発砲した。味方に当たることも構わず放たれた弾は、しかし大抵は大地を狙えており、冷静さを失わなず咄嗟に伏せた笠井や国破が怪我をすることはなかった。
無数の発砲音が響き、大地を確実に仕留められた、と男たちの誰もが確信した。だが、音が鳴りやみ、何秒かが経っても、大地は倒れることはおろか、血を流すことすらしなかった。
「鉄の身体」
大地がにやりと笑って呟く。鈍い金属音がして、無数の何かが地面に落ちた。
それを見て、笠井と国破の目が驚愕で見開かれた。
「まさか······弾丸か?」
地面に散らばっていたのは、潰れた弾丸だった。
「効かないんだよなあ。俺、硬いから」
「硬くなる能力だとしても、何故跳弾しなかった········?」
「俺が調節したのさ、決まってるだろ」
大地が平然と言ってのけた事実に、男たちは戦慄する。大地には銃は無効という事実に。
その理不尽な能力にさしもの笠井も、誰が対象かもわからない無益な怒りを覚え、苛立ちを隠せないままに国破に尋ねた。
「おい、あいつは落ちこぼれだと聞いたが?」
対し国破も、同じように腹立たし気に答えた。
「ああ、そのはず。実際、僕もあいつの学年の順位表は確認したが、名前はなかった」
そのやりとりに、大地はぷっと吹き出した。
「おーいおい、名門国破の御曹司がそんなのでいいの?兄貴は順位表に名前が載っていないだけで、自ら自分をネームレスと紹介したことはなかったぜ。周りが勝手に思い込んだだけ。実際、氷崎は真実に気付いていたさ」
「だが、順位表になくても気付かれない順位など!」
言いかけて、国破は気付いた。ある1つの可能性に。大地が順位表に乗っていないことがばれない順位に。
「やっと気づいたか?のろまさん」
そんな大地の言葉も、もはや国破の耳には届かなかった。
「笠井、あいつは落ちこぼれなんかじゃない。僕の、いや僕たちの思い違いだ。あいつは底辺から最も遠い存在、天才だ」
大地は、否定する訳でもなく、ただ立っていた。それが、男たちにとっては一番の肯定だった。




