夏休み 始まり
「いいか、事故や事件に巻き込まれないようにしろ。長期の休みだからと言って、浮かれすぎるなよ」
そんな担任の言葉を、クラスの半数はまともに聞いていない。浮ついた雰囲気の漂うクラスを、花音は気だるげに眺めていた。
鳳凰学園は、明日から夏休みを迎える。普通の学校に比べると夏休みの始まるのが遅い分、生徒の夏休みに対する期待は大きいのだ。こんな状況になるのも当然ではある。クラスのほぼ全員が、担任の挨拶が終わるのを今か今かと待っていた。
「では委員長、挨拶」
「気をつけー、れー」
委員長が言い終わるか終わらないかのうちに、何人かが教室を飛び出し、一瞬遅れてクラス内がざわめき始めた。担任も、今日ばかりは特に注意することもなく教室を出て行った。
そんな有象無象とは対照的に、花音は席に着いたままため息をついた。
「ああー面倒だわ」
うだうだと花音が呟いているところに、美雨がやってきた。
「かのーん、ついに夏休みですよーやっとですよー嬉し楽しでーす!」
美雨の猫耳が、暴れまわっていると表現できるほど動いているのを見て、花音は
「美雨はいいわねー······」
とだけ言った。
「花音は楽しみじゃないんですか?」
という美雨の問いに、花音は
「夏休みになると、私までいろんな接待に付き合わされたりするから、面倒なのよ。むしろ夏休みでない方が、用事は少ないわ」
と答えた後、思い出したように、
「あ、そう言えば、美雨や氷崎さんとショッピングするという話だけど、申し訳ないけれど私と兄ぃは辞退させていただくわ。本当にごめんなさい」
と切り出した。
「そうなんですかー······。まあ、仕方ないですね」
と納得した様子ではあるものの、美雨の落胆ぶりは見てて悲しくなった。
「ごめんなさいね。他に、誰か誘えそうな人はいないの?」
「うーん、そうですねー」
考え込む美雨。その後ろから、忍び寄る人物がいた。
「あのー」
美雨の後ろにいる人物に話しかけられ、美雨と花音はその人物に初めて注目した。
「うっわ」
「はい、何ですか?」
花音と美雨がそれぞれの反応を示した先にいたのは、花川心であった。
「あの、僕行きましょうか?」
「いやいやいや駄目でしょう」
「いいんですか?」
やはり花音と美雨で、意見が異なってしまう。
「あなた、ほとんど知らない人たちと一緒に遊びに行って、楽しめるの?」
花音の正論に、美雨も
「まあ、それはそうですよねー」
と納得しかける。
ところが心が、
「実は、おにい······氷崎先輩とは、面識があるんです。昔、面倒を見てもらってたことがあって」
と言ったことで、状況が変わった。
「そうなんですか!じゃあ、オッケーですね。一緒に行きましょう」
「えー、そいつ連れて行くの?」
「花音は来ないんだから、別にいいじゃないですか」
「う······」
正論を言われ、今度は花音が納得せざるを得なかった。
···どこまで続いているかもわからない真っ白な空間に、男が2人立っていた。向かい合って立つ2人の顔は靄がかかっているようでしっかりとは見えない。ただ、どちらも薄ら笑いを浮かべているというのは、何故か理解できた。
「いやあ、久しぶりに起きたぜ。最近全然起こしてくれねえから、寂しかったじゃねえか」
1人が、口を開いた。
「悪いねー。まあ、君の出番がないということは、それだけ平和ということだよ」
もう一方が言葉を返す。
「だが起こされたってことは、平和じゃなくなったってことなんだろう?」
「正解。さすが僕、聡いねえ」
「おいおい、兄貴と俺を一緒にすんじゃねえよ。俺は兄貴より頼りになるぜ?」
兄貴と呼ばれた男は、平謝りを続ける。
「それで?何があったんだ」
そう尋ねられ、兄貴と呼ばれた男は、少し考え込むような仕草をする。
「なんて言えばいいのかなあ。最近、大きめの犯罪組織を見つけてね。もしかしたら、喧嘩を売るかもしれないし、売られるかもしれない」
「なんだそりゃ」
兄貴と呼んだ男は首をかしげ、呼ばれた男は再び考え込む。
「まあ、弟君が思いきり暴れられる機会があるかもって、思ってくれればそれでいいよ」
そう、兄貴の方は結論付けた。
弟君の方が、凄みのある笑みを見せる。
「そうか、ついにか。体がなまっちまうとこだったぜ」
「いやいや、能力的にそれはないでしょ」
「比喩だ、比喩。それぐらい考えろ馬鹿兄貴」
「馬鹿とはなんだ、失礼だなあ。言葉に気を付けたまえよ、弟君」
「なんだ、やるのか?」
そう言って、弟君は身構える。その体から、パキパキという音が鳴りだし、体が少しずつ膨張する。
その様子をしばらく見ていた兄貴だったが、ふっと笑って、
「いやあ、やらないよめんどくさい」
と首を振った。
兄貴の反応を予想していた弟君は、すぐに構えを解いて、にやっと笑った。
「たまにはやろうぜ。雑魚相手じゃ張り合いがねえ、やっぱ兄貴じゃねえと」
「絶対いや」
兄貴は本気で嫌そうな顔をした。
「それで、いつ頃なんだ、俺が戦えるのは」
そんな弟君の質問に、兄貴は
「さあ。もしかしたら戦わずに済むかもしれない。でもまあ、あり得るとしたら、海に行ったときかな」
と、曖昧な答えを返した。
「海?」
「うん。組織の構成員の1人が、海の家を経営しているらしいんだ」
「おっかない話だな」
弟君の言葉に頷く兄貴。
「ま、とりあえず戦うかもってことだけ覚えてて。要件はそれだけだよ」
「そうか、分かった」
2人は、拳を作って相手の拳と突き合せた。
「大地の名にかけて」
それが、2人の別れの言葉だった。弟君は、突然倒れ込み、静かな寝息を立て始めた。
「さて」
兄貴の方は、全く眠る気配はなかった。
「美雨にあげるネックレスのデザイン考えないとなあ」




