日常! 大地編
美雨のカバンが盗まれた。
そんな、突然の出来事に驚きつつも、大地は焦らなかった。5人の男たちが美雨のカバンを盗んだ時に、5人の顔はしっかり覚えた。なので、今カバンを取り返せずとも、後で藤堂の調査力をフル活用して5人の身元さえわかれば、解決できた。ただ、カバンを盗った男のポケットから、ナイフの柄のようなものが見えたので、普通の物盗りとは違うような気がした。
「こら待てー!」
そう言って、美雨が走り出したので、
「あ、美雨待って」
大地は美雨を引き止めようとしたが、美雨は追いかける方に夢中のようだった。止むを得ず、大地はクレープを持ったまま美雨を追いかける。
追いかけはするが、美雨では到底追い付けないだろうし、まして運動能力皆無の自分ではもってのほかだ。そう考えて、大地は本気で走ろうともせず、小走りをする。
そうして自分と美雨たちとの距離がかなり開いた頃、大地は美雨たちの前方に誰かが立っているのを見つけた。藤堂家の証とも言えるその異常な視力で、大地は、立っているのが花音と要であることを認識した。
花音と要がいるなら、もう大丈夫かなーと考え、大地は歩きだした。しばらく様子を見ていると、案の定男たちが突然凍りついたり吹っ飛んだりした。
その様子を見て、大地は
「おっそろしーなー」
と苦笑した。
美雨がカバンを取り戻したのを見て、取り敢えずは一件落着かー、と大地が呟いた時だった。
ナイフを持っていた男が逃げ出したのが見えた。
「逃がさないよー」
大地は無い体力を使って走りだした。
大地の頭には、駅から藤堂邸に至るまでの完璧な地図が入っている。そのため、時折男の姿さえ見えれば、大地でも追いかけることはできた。
そうして、男と大地の密かな逃走劇がしばらく続いた。その最中、男の姿を見失ったので、大地は男が路地裏にでも逃げ込んだのだろうと予想した。
果たしてそれは正しかった。大地がぴょこん、と近くの路地裏を覗くと、男が肩で息をしながら立っていた。
「おーい、そこの君」
大地が話しかけると、男の肩がビクン、と跳ね上がった。
「な、何だよ、てか誰だよ」
そんな、男の怯えた声を聞いて、大地はにいっと笑う。
「誰だよってひどいなあ。君にカバンを盗まれた子の彼氏だよ」
その大地の言葉を受け、男は大地のことを思い出したようだった。
「あの役立たずっぽい奴か。俺は今気が立ったんだ、とっとと失せろ」
大地は驚異ではないと思ったら、この態度である。安直すぎる男に、大地は言い返す。
「気が立ってるのは僕もだよ。よくもまあ、美雨を傷つけるようなことをしてくれたね」
だが、男は大地の言葉に怯んだ様子はなかった。
「とっとと失せろっつったんだ。殺すぞ!」
そう言って、男はズボンの後ろのポケットからナイフを取り出した。だが、大地は動じない。
「それ、いいナイフだよね。持ちやすい形状だし、刃は人をなるべく傷つけるよう設計されてる」
「あ?」
大地の緊張感のない声に、男は不審感を募らせる。
大地は、一切そんな男の様子を気にするもなかった。
「ちょっとそれ見せてくれる?」
そう言って大地は一歩踏み出した。
大地は、身長180を超える長身である。そのため、いくらひょろひょろであるとは言っても、突然歩み寄らられば多少の恐怖は感じるものだ。
男は、反射的にナイフを振るった。ナイフは、大地の腕の肉を少しえぐった。血が一瞬飛び出て、傷口から腕を伝う。
それを見て、今度こそ大地は去ると思ったのか、男は勝ち誇ったように笑い、何かを言おうとした。だが、その目はすぐに、驚愕で見開かれた。
「な、何で······傷が······」
男の目の前で、大地の腕の傷がすうっと閉じていき、跡形もなくなった。
「何でって言われてもなあ。僕の能力だと言えば、理解できる?」
そんな大地の言葉に、男は呆気にとられる。
「能力だと!?」
「そう。まあ、体調を万全にする能力みたいなものと、理解してくれればいいよ」
「嘘だ!ありえねえ!」
男は、大地の言葉を受け入れない。なぜなら、
「いつ発動したんだ!速すぎる!」
能力を発動するには、大抵何らかの動作や、集中する時間が必要だが、大地にはそれがなかった。故に、男は目の前でおきたことを受け止められなかった。
男の問いに対する答えは、大地によってすぐに得られた。
「いつも発動させてるんだよー。だから、速いも遅いもないんだ」
大地は簡単そうに言ったが、能力の常時発動は本来あり得ないことだ。例えば花音が能力を使いすぎると体力切れを起こすのと同じように、発動には何らかのペナルティーが存在し、発動を継続できないのだ。
そんな不可能を、当たり前のようにできると言ってのけた大地が、どうやらただの運動オンチではないということを、男はようやく理解した。
その事実に恐怖した男は、我を忘れて大地に突進した。だが大地は、男をひらりと避けて、男が足を踏み込んだところに自分の足を突き出した。その結果、男は豪快に転び、顔をしたたかに打ち付けた。
大地は、男の、ナイフを持っている方の腕の手首を踏みつけた。途端、ナイフが男の手から離れた。そのナイフを拾い上げると、大地はナイフをじっくり見て、
「やっぱりいいナイフだよね、これ」
と呟いた。
男が、踏まれている手首の痛みに耐えながら、
「おお、俺の兄貴はな、や、やばいんだぞ、お前なんか一瞬で、こ、殺せるんだからな」
と言ったのを、大地は驚きもせず、肯定する。
「そうだろうね。こんなナイフ、かなり大きい犯罪グループに所属していないと、普通手に入らないからね」
それが図星だったのか、男の目が見開かれた。
「お前、一体なんなんだ······」
そんな呟きに、大地はにっこり笑って答えた。
「ただの高校生だよ。皆からは、落ちこぼれって言われてる」
そして、大地は思いきり男の顔を蹴り上げた。男はどうっと倒れ伏し、気絶して喋らなくなった。
そうして、大地の邪魔をする者がいなくなったところで、大地は改めてナイフをまじまじと見た。
程なくして、大地は、ナイフの柄にメーカー名が小さく彫り込まれているのを見つけた。
「国破産業、か······」
彫り込まれたメーカー名を呟き、大地は立ち尽くした。その頭は、これから起こるであろう事件を、予測していた。




