8. 混血強兵
「混血強兵……」
不安げな声で呟きながら、クマルが掛けている椅子を尻尾でぺしぺしと叩いた。落ち着きのない動作から見えるのは多分不安だけじゃない――恐怖と嫌悪も、混ざっていると思う。子供に見えても陽を覆う蒼い影の谷の若君なんだ。人と獣人の間の歴史もちゃんと教わってるってことなんだろう。
六王国と二十七種族による共栄条約は、もっぱら獣人の各種族の保護を謳っている。だから人間の中には――もしかしたら獣人の中にも――人と獣人の歴史は、もっぱら前者が後者を食い物にするものだと思っている者も多いらしい。
実際、通常の獣よりも遥かに大きな身体を誇る獣人は毛皮や剥製目当てでも狩られたし、人の姿に角や羽根や獣の耳、尻尾を纏った姿を珍しがられて愛玩用に捕らえられることもあった。
だが、忘れてはならないのは獣人はしばしば人よりも強い種族だということだ。確かに、混血により生殖能力が失われるという、種族としての弱さはある。世界を覆う精霊の神秘を、道具という形で誰にでも使えるものにする人間の器用さも、多くの獣人にはなかった発想だ。それでも、それらの後れを優に取り戻すほど、獣人の身体能力は人間を完全に上回っている。
単に爪や牙の有無だけではない、獣の能力の恐ろしさ。犬の嗅覚や猫の跳躍力、熊の強靭さに狼の持久力――それらを、人の知恵でもって行使すればどうなるか。多くの種族は、同種の獣よりも遥かに大きな身体を誇るし、獣人だって人の魔法のように咆哮や唸り声で精霊を操ることも可能なんだ。
つまりは、ちょっと昔――ほんの百年かそこら前までは、人の国々と獣人の各種族は熾烈な戦いを繰り返していた。土地や富や、労働力を巡った、今なら人間同士だけでやってるような戦争だ。そしてその争いの中で生み出されたのが、混血強兵と呼ばれる存在って訳だ。
それがどんな存在なのか――クマルと、あからさまに表情を強張らせた人間たちの表情も物語っていた。
「……まさか。条約以前ならいざ知らず、それこそ今時あのような存在を生み出すなど人道に悖る……!」
「それに、奴らは獅子と虎の混血だろう。どちらの種族も、一族の者を攫われて黙っているはずがないぞ」
役人と軍人が口々に言い立てるのは、つまりはそれだけ想定したくない事態だから。混血強兵――異なる種族の獣人を掛け合わせて造り出した、最強の兵士たち。かつて人と獣人の戦いにおいて活躍した彼らが、また生み出されているのかもしれない、などと。
異なる種族を掛け合わせた時、親のいずれよりも大きく強い個体が生まれるのはよくあることだ。馬とロバの間から生まれた騾馬が、両親よりも賢く頑丈で扱いやすい家畜となるように。だから獣人でも、と――かつて誰かが考えたのかもしれないし、あるいはごく当たり前に異種族の異性に惹かれた獣人がいたのかもしれない。
とにかく、虎と獅子、犬と狼など近縁と見做される種族同士なら、異種族とも子孫を残せる獣人種の組み合わせは幾つかある。そしてその混血の子供たちは、親よりも優れた戦士になり得る。最初は偶然や自然な恋に任せて生じていたであろう混血は、やがて各種族の長によって主導され、研究されるようになった、らしい。
敵の種族を利するために同胞を望んで差し出す者がいるはずがない。だから、混血強兵の出生には大体胸が悪くなるような所業が絡むことになる。別の種族の女を攫って犯す、捕らえた捕虜の自由を奪って種馬――もちろん種族は馬に限らないが――する。生殖の役を果たせなくなったらどうなったかは考えたくもない。そうして生まれた子供たちは、父親か母親の種族を、そうとは知らずに蹂躙することもあっただろう。
更に、獣人たちが始めたこの蛮行を、やがて人間も倣うようになった。種と畑の両方を他所から調達しなきゃならないから獣人側よりも手順は厄介だっただろうが。でも、組み合わせを幾らでも試行錯誤できるという点では、人間の方が有利だったかもしれない。そうして特別優秀な子が見込める交配が見つかれば、獣人たちの方もそれを取り入れた。今度は獣人が人間に倣って、二つの種族を襲って混血強兵の親を確保する――そんな、血が血を呼ぶ悪循環。
そして気付いた時には、多くの獣人の種族が地上から姿を消していた。混血の獣人は、それ以上は子孫を残せないから当然のことだ。争いに狂っていた間は、それも敵の種族を弱める手段のひとつとして魅力的に見えてたのかもしれないが。だが、混血強兵は純血の獣人たちも分け隔てなく殺したんだから、獣人は結果的に自分で自分の首を絞めたことになる。
ちょうどそれは、人間の側も度重なる戦争に疲弊しきっていた時でもあった。滅びゆく種族を守れ、と――それは、戦いを止めるには都合の良い口実だったのかもしれない。獣人の保護という名目で危害を禁じれば、当然、本人たちの意思に反して混血を生み出すこともできなくなる。人間同士の争いも悲惨なものだが、少なくとも混血強兵を恐れる必要はなくなるってことだ。混血でない獣人だって、人間にとっては敵に回せば厄介なことに変わりはないし。
条約の存在は、人と獣人、どちらの側にもメリットがあったって訳だ。
「――でも、それが今回の件とどう繋がるんですか? 虎と獅子の間に子供が生まれることだって、ない訳じゃないんですよね……?」
相変わらず尻尾であちこちを不安そうに叩きながらのクマルの言葉は、疑問というより願望のように聞こえた。それもかなり甘ったるい。本物の獣ならともかく、獣人は人と同じように故郷を離れて長旅をすることもあるし、見た目や性格に惹かれれば種族に関わらず恋をすることも、確かにある。だが、生まれた種族を離れて子を生そうって結論には、中々至るもんじゃない。何より――
「あいつらは明らかに戦闘の訓練を受けていた。一方で実戦の経験が足りなかったのも明らかだった。普通の両親から生まれたただの混血なら、そんなことにはならないんだよ!」
違う種族と番おうとすれば、生まれた種族の庇護は受けられない。それなら親は子供に生きるための術を教えるはずだ。子供が独力で生きて行けるように。後ろ暗いことには手を染めないで済むように。……俺の両親がそうしたように。
そしてそういうことなら、姫を攫った連中のような型に嵌ったお上品な戦い方には絶対にならないだろう。親子だけで頼れる者がいない生活の中、戦わないで済むはずがない。あいつらを見て即座に混血強兵を思い浮かべたのは、そういう、家族と生きてきたという背景がどうにも見て取れなかったからだ。
「でも……それじゃ……?」
クマルの指がまた尻尾を捉えてその先を口元に運ぶ。子供っぽい姿――だが、他ならぬ俺の怒声で混乱させ怯えさせてしまったことに気付いて、俺は人間どもの方に視線を映した。
「雪豹の姫を攫うメリットが、分からねえんだ。そりゃ闇で高く売れるってのはそうなんだろうが、雪豹族とこの国を敵に回してまで欲しい儲けじゃないだろう」
姫が街に下りる日程を漏らしたのはこの国の者の可能性がある。そして混血強兵――としか思えないような混血の獣人――は、その辺にウロウロしているようなもんじゃない。国や種族――大がかりで組織だった計画があって初めて生まれ、そして訓練されるものだ。人間どもの焦りは、雪豹族に対して面子を気にしているだけか? もっと重大な――周辺の国やその他の獣人の氏族までも、敵に回しかねない何かを、隠しているってことはないか?
「知っていることは全て教えてもらわねえと。こっちは命を賭けるかもしれないんだからな」
それに、サララ姫にクマル――雪豹族の若者たちの命だって。星降る銀嶺と陽を覆う蒼い影の谷、二つの氏族が後継者を委ねたのは、この国と、それに獣人の保護を掲げる条約を信じてのことのはずだ。もしも、条約を踏みにじってまでも獣人に危害を及ぼそうと考える何者かが潜んでいるなら――依頼なんかクソ食らえだ。金よりもエリオへの義理よりも、子供たちを守るために動かなければ。
「さあ、どうなんだ?」
相手の反応、顔色の変化や筋肉の緊張、汗の掻き方に至るまで見逃すまいと五感の神経を研ぎ澄ませながら。自分の方も、いつでも何にでも反応できるように四肢に力を込めながら。俺は、牙を剥きだして見せた。