6. 雷精の加護
「これはまた……」
眼前に迫った敵の姿に、俺は思わず声を漏らしていた。姫を攫った連中を獅子の系譜の獣人と判じたのは、半ば当たっていて半ば外れていたらしい。
俺の前に立ち塞がって身体を低く構えている二人――あるいは二匹、二頭は、首回りに確かに黒っぽい鬣を生やしていた。これは獅子の雄の特徴に間違いはない。いずれも俺よりもさらにデカくごつい体格、太い腕や厚い胸には一応人間の服を纏ってはいるが、筋肉ではち切れそうになっているのが見て取れる。遠目にも尻尾が見えたことからも分かる通り、二本足で立つ獣の姿を取っている。獣人が本領を発揮するのは頑丈な四肢に爪と牙を備えた完全な獣の姿だが、人の手の便利さはしばしば単純な力の持つ利点を上回るから、五本の指は欲しいところだ。一方で毛のない人の肌は脆いから、折衷案として毛皮を顕させるのもよくあること。
そうしてできあがるのが、世間でよく見る獣人の姿、なのだが――俺が思わず呟いたのは、相手の毛皮の模様が問題だったからだ。獅子の茶色い毛皮にうっすらと浮かぶ黒い縞、その形は紛れもなく――
「虎と、獅子の……それも、双子なのか?」
獣の中でも最強の地位を争うであろうふたつの種族の特徴を露にした存在は、紛れもなく手強い相手だ。しかも二人とも! 獅子も虎も、雪豹と同じく数を減らしてしまった貴重な種族だ。しかも強さゆえにプライドも人一倍だから、異種族と番って子供までこさえようだなんて物好きはそうそういないはずなんだが――その珍しい存在を、同時に二人も相手取ることになろうとは。
「答える必要はない」
時間稼ぎとでも思われたのだろうか、俺の呟きは短いひと言で切り捨てられた。お前はここで死ぬのだから、とでも言うんだろうか。俺を始末した後で、悠々と仲間に追いつく――そんなことが、できるとでも?
「――死ね!」
「おっと」
眼前に白刃の鋭さの爪が迫り、俺は後ろに跳ねる。あまりにも予想通りの――芸のない言葉を吐いてくれたことに苦笑しながら。着地した瞬間を狙うかのように、もうひとりの爪が襲い掛かる、そちらは短剣でいなして。獣の王の毛皮は流石というか、剣の刃がかすったくらいでは傷ひとつつかない。
稲妻のように白い軌跡を描く爪。耳元で噛み鳴らされる牙。いずれも一撃でも受ければ致命傷になりかねない力を秘めている。それが交互に間断なく襲ってくる訳だが――俺には、不思議に思う余裕があった。
こいつら妙にお行儀が良いな。
獅子と虎と、最強の部類に入る種族の血はさすがで、一撃一撃は、重い。俺が避けたことでとばっちりを受けることになった屋根には、あちこち穴が開いて瓦の下の骨組みを露出させてしまっているほど。一人の爪を受ければもう一人が死角を突いてくる、その連携も息が合っているようだ。
だが、それでもこの二人の攻撃は単調だった。どこか型に嵌ったというか教科書通りというか。俺には縁のない世界だが、人間の軍で訓練された兵、それも実戦の経験がない連中ならこうなんじゃ、って感じを受けた。混血の獣人を迎える軍など――まして、こんな後ろ暗い真似をさせる国など、あるはずはないんだが。
「っ、と……」
余計なことを考えていると、一際鋭い突きを危ういところで弾く羽目になっちまった。腕を守る革の防具がぱっくりと裂け、その下の皮膚にもぴりぴりとした痛みを感じる。だが、それでも大した傷ではない。
「雑種の癖に……!」
「おい、あんたらも同じだろうが」
二対一にもかかわらず苦戦を強いられていることに業を煮やしたのか、顔を覆う縞模様を歪めてひとりが吐き捨てた。屋根の上を獣人を追って走る身体能力も、鋭い牙も見せてるから、俺にも獣の血が流れていると断じたのだろうが、それはお互い様というやつだ。
「我々は貴様のような有象無象とは違う!」
「そうかよ」
もう一人の蹴りを後ずさって――もちろん屋根の途切れる場所は見極めて無様に地上に堕ちたりなんかはせず――躱しながら、俺は鼻を鳴らした。金で雇われる傭兵なんざ、確かに塵芥みたいなもんだ。決して誉められた存在じゃないし、自分でも大層なもんだとは思っていない。
だが、こいつらは自分を何様だと思っているんだ? 何かしらの訓練を受けたことを鼻にかけてるならまだ良いが、親から引き継いだ力や図体を誇ってるなら――それは、お前ら自身のものではないんじゃないか? 獅子が何だ、虎が何だ。大事なのは、自分が何者か、ってことじゃないのか?
着地したのは、屋根の際だった。次の足場になる建物は、通りを隔てたところにある。助走なしでは跳びきるのは難しいであろう距離。地上からは、振ってくる瓦の欠片に何事かを察したのか野次馬が集まって騒ぐ声も聞こえてくる。
「追い詰めた」
「終わりだ……!」
逃げ場がないと見て取ったのだろう、二人の混血の獣人は、同時に俺に飛び掛かる。一人は首を、一人は腹を狙って、どちらを防いでもどちらかが致命傷を与えるように。まったく、これも教科書通りの追い詰め方だ。
だから対処もごく簡単だ。宙を裂く二条の閃光、いずれも俺の命を奪える力を持ったそれを、俺はいっそ微笑んで見据え――
「ぐっ――」
「何、だ……!?」
肉と肉がぶつかる音が、二つ。そして上がった痛恨の呻きも、二つ。|蜘蛛の巣のように絡みつく雷の精の放電の網に絡め取られて屋根の縁に転がったのは、獅子と虎の混血どもの方だった。
傭兵ギルドに出入りする者にとっては、ある意味見慣れた光景――受付嬢に絡んだゴロツキが、例の護符の反撃を受けた無様な姿だ。大抵の攻撃を無効化しつつ報復を返す術式は強力なもので、発動できるのは一度限り。だから実戦では大したアテになるものでもないんだが。こいつらほどの練度なら、完全に同じタイミングで攻撃できる――護符が一つの攻撃と見做す連携を食らわせてくれると、信じていた。
「人間の、道具……!?」
「バカな、獣人の血を引いていながら……」
だが、ばちばちと音をたてて絡みつく雷の精に締め上げられながら、言葉を発することができるヤツとは珍しいかもしれなかった。並の人間なら悶絶して警備の強面どもに連行されるのを待つしかできなくなるはずなんだが。ご自慢の獣の王の血筋――獅子や虎の体力が、こいつらに事態を把握し泣き言を吐く余裕を与えているらしい。
見下しているであろう人間の魔道具にしてやられたのを思い知らされたんだ、意識を飛ばしていた方が楽だったかもしれないが。
だが、俺はいささか意地が悪いし、場合が場合で結構頭にも来ている。だから苦痛と屈辱に唸る二人のプライドを、更に踏み躙ってやることにした。
「俺はつまらん雑種で傭兵だからなあ。役に立つもんはそりゃ使うさ」
嗤ってやると、足元から猫が威嚇する時のような音が聞こえた。だが、こんなものは負け犬の遠吠えだ――遠吠えにもなってないが。
とはいえ俺も勝ち誇ってばかりはいられない。城壁の方へ目をやると、ちょうど黒い影が天辺を越えて向こう側へと消えていくところだった。雷の精に縛られているヤツ等と同じ程度の身体能力だとすれば、姫を背負ったままでも城壁を越えるのはそう難しくないだろう。俺の方も、まんまと足止めを食わされたってことになる。
顔を上向けて鼻で風を受ければ、まだサララ姫の臭いを感じることはできた。このまま追いかけるか、と。脚にまた力を込めかけた、その時――
「――ラヴィ! どうなってるんだ!?」
地上から聞こえた声は、ごく馴染みのあるものだった。情報屋のエリオが、騒ぎを頼りに駆け付けたらしい。
「姫は!? サララ姫は……」
ついでに、子供の甲高い声も。名前を聞く暇もなかったが、姫の婚約者候補の雪豹族の若君だろう。
あいつらを無視して追跡を続けるべきか、それとも話を聞いた方が良いか。姫が狙われる心当たりに、この国の兵の協力。捕まえた二人を尋問するにも、専門職が当たった方が早いかも。口を割るかは分からないし、もちろん姫の救出は一刻も早くしなければならないが。虎と獅子の混血――奴らの素性も、気懸りで。
考えるべき事項は多く、それでも、迷う時間が何より惜しかった。だから俺は一瞬で決断を下すと、地上に向かって呼び掛けた。
「連中のうち、二人を捕まえた。縄を持って上がってきてもらえるか」