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4. 間近な笑顔

 事前に聞いていた通り、サララ姫のお付きの侍女たちはひとり、またひとりと主人の傍を離れて行った。それぞれビーズの飾り物だとか、華やかな刺繍の生地、可愛らしい花や蝶をかたどった菓子なんかに目を奪われて足を止めて、一行からはぐれてしまったという体で。あまりに自然な様子だったから、演技なのか実際に務めより好奇心を優先してしまったのか分からないくらいだが。山奥の里での暮らしに比べれば、栄えた人間の街は雪豹族の女の子たちには刺激が強すぎるのかもしれない。


 取り巻きが減っていくのに気づいていないらしいサララ姫は、中でも一番目新しい品々に心奪われているようだ。赤と青のガラス細工をそれぞれ両手に取って見比べて、どちらが似合うか侍女に尋ねる素振りをしていたり。店の者に菓子を薦められて頬張って、輝くような笑顔で相手をどぎまぎさせたり。気配を殺して物陰から後をつける俺の、常に斜め後ろから見る視界からでも、姫の闊達さはよく分かった。そうやって次から次へと目についたものに小走りに駆け寄っていくから、侍女がどんどんついていけなくなっている面もあるんじゃないだろうか。


 あ、また何か見つけたみたいだ。刺繍が重そうな衣装の裾と、それに長い尻尾を翻して姫が次の店へと急ぐ。


 これも、水鏡の像だけでは知ることができなかった姫の姿。あらゆる物音を聞き逃さないとでもいうかのようにぴくぴくとよく動く耳。金色の目は、獲物に狙いを定めた時のように目当ての品にしっかりと据えられて。全身に纏う薄い白銀の被毛も、太陽のもとでは姫の動きごとに煌いて。――正直に言って、見蕩れてしまう。


『ラヴィ? そろそろ良いんじゃないか?』

「……あ、ああ。ひとりになったみたいだな……」


 エリオの声に促されて我に返れば、姫の周囲からは銀の耳や尻尾を持った侍女たちは完全に消えていた。サララ姫は、小物を手に取って侍女に意見を求めようとしたところらしく、尋ねる相手がいないのに気付いて首を傾げている。侍女たちの手引きによって、大通りからも離れたところまで来ていて、ちょうど人通りも少ない。つまりは、計画を実行に移すなら今が好機(チャンス)ということだ。


 侍女たちは全員知っていたとしても、それどころか姫の父親や、この国の上層部までもが後押ししていることだとしても。姫は何も知らないんだろう。怖がらせてしまうんだろう。決して、気が進むようなことじゃないが――


『じゃ、頼んだよ。――ご武運を』

「言われるまでもない」


 これも仕事だから仕方ない。どこまでもふざけたようなエリオに短く答えると、俺はサララ姫の方へ足を踏み出した。




「どうした? 道に迷ったか?」

「あ……」


 小箱を持ったまま、途方に暮れたように首を傾けている姫に話しかける。二本足で歩いているとはいえ、俺だって野生の雪豹に劣らず音と気配を消して動くことができる。突然手元を(かげ)らせた影に、姫は驚いたように顔を上げて――そして、俺は初めて彼女の声を聞くことができた。高く澄んで、幼さと無邪気さを窺わせる声。容姿に見合って美しく涼やかな。

 久しく聞いたことがないような少女の声に、思わず言葉を失ってしまう。そんな俺に不審の目を向けることもなく、サララ姫は逆に目を輝かせて笑った。唇から細く尖った牙が覗いて、その白さも目に眩しい。


「あ、もしかして同族の方ですか? こんなところでお会いできるなんて」


 クソ、あんたを攫おうとしている相手だってのに、どうしてまた決心が鈍るような顔を見せるんだ? 俺の体格は、確かに雪豹族の戦士と並んでもそう変わらないだろう。金の目も銀の髪も、人の姿を取った時の雪豹族の特徴でもある。だから――見上げるような上背の男でも――姫は怖くないのだろうし、同族と思うこともあるかもしれない。本来なら獣人は匂いで同族が分かるもんだが、質問の形を取ったのは諸々の香料の匂いで鼻が麻痺していたからだろうか。


「いや、俺はただの傭兵だ。――ただ、困っているように見えたんでね」

「ええ、他の子といつの間にかはぐれてしまって。どうしようかとは……」


 長くふっさりとした姫の尻尾が、ゆらゆらと不安げに揺れる。貴重な雪豹族の姫だ。王宮とか、そうでなくても国の役所に出向けばしかるべき安全な場所に保護されるんだろうが、そんなことも思いつかないくらい、見知らぬ場所でひとりきりってのは心細いんだろう。さっきまで辺りの物音を拾って楽しげに動いていた耳まで萎れてしまったようで――つい、余計な言葉が口から漏れる。


「探してやろうか? この背丈だからな、あんたよりも遠くまで見渡せるかも」


 言いながら、何をやってるんだ俺は、という思いが脳裏を掠めるが。この場で引っ掴んで攫ってしまえば終わりなのに。姫に近づきながら、逃げるルートを探して――建物の隙間や、足場になりそうな窓枠なんかを見て取って、壁を駆け上がって屋根の上を走れば簡単そうだ、とか思ってたのに。なのに、どうしてこんなことを? この()ともっと話していたい、とでも? バカな、身分違いにもほどがあるのに!


 自分自身が言った言葉に呆れて、俺は不自然に黙り込んでしまう。と、鼻先に良い香りが漂って目を見開く。姫が、俺の手を握りしめてきらきら輝く目で見上げてきていた。


「――本当に!? ご親切に、ありがとうございます!」


 おい、箱入り娘だからって無防備過ぎないか? 見ず知らずの男に自分から触れてくるなんて危なっかしすぎるぞ。それだけ不安だったのか? それにしても知らない相手をすぐに信じちまうのは――いや、仕事のためなら好都合、ともいえるか? 侍女を探してやる振りでもっと人気のないところへ誘導すれば良い。その方が見られて騒がれる可能性を減らすことができるし。もう少し話すこともでき――違う、信用させてからの方がやりやすい、それだけのことだ。


 エリオたちも、俺の居場所は魔法で探知できるはずだ。そもそも近くに潜んでいるはずだし、声を届ける風の精(シルフィ)を辿ることもできる。隔話の魔道具を所持する者同士は見えない糸で繋がっているようなものだそうだ。俺にはそういう精霊の使い方はできないから、この場合は一方通行になる訳だが――


「あ、ああ。別に、大したことじゃ……」


 とにかく、俺の手をしっかりと握っている姫の手をそっと剥がすのが先決だ。こんな柔らかくてしっとりとした感触、ずっと触れていたらまともに考えが働かない。この良い香りも気が散るから、一歩二歩、距離を開けとかなきゃな。嫁入り前の女の子に慣れ慣れしくするのも拙いだろうし。そうだ、婚約者候補とやらが近くにいることでもあるし。


「……どこか、心当たりでもあるか? 待ち合わせとか、これから行くはずだったとことか……」


 やっと落ち着けるだけの距離を十分取ってから切り出したのは、そんなものがないのは分かった上での問いかけだった。エリオの話からして、公務の合間を縫っての物見遊山ということだから、アテがないのが楽しい類のことのはず。それが分かってて聞くのは――そうだ、姫に心当たりがないのを確かめれば、俺が主導権を握ることができるからだ。断じて少しでも言葉を交わしたいとか、嫌われるのを先延ばしにしたいからとかじゃない。


「そうですね、特には――」


 ない、と。サララ姫も首を振ろうとしたのだろう。だが、俺は言い切るところまで聞くことはできなかったし、艶やかな銀色の毛並みが揺れるのを見ることもできなかった。


「きゃ……!?」


 代わりに聞こえたのは、小さな悲鳴。視界を覆ったのは、白い煙幕。――これは、何事だ!?


「――っく……!」


 咄嗟に転がって身を伏せたのは、傭兵としての経験が為せる技。でも、それは自分が生き残るためだけのもの、守るための技術じゃなかった。無防備でか弱い存在が、すぐ目の前にいると分かってたのに。


 姫は。どうなった。


「何だ、この煙……!?」

「火事か!? 衛兵を、誰か!」


 異変に気付いた通行人が騒いでいるのがうるさかった。火の熱さも感じないのに火事な訳あるか。ただ目をくらますだけの仕掛けだ。事実、慌ただしく行き交う人が起こす風で煙は瞬く間に吹き散らされている。完全に人の目を塞ぐことができたのは、ほんの数秒あるかどうか。――だが、仕掛けた()にとってはそれで十分だったらしい。


 煙の臭いに顔を顰めながら俺が立ち上がった時。姫が立っていたところには誰もいなかった。ただ、彼女が持っていた小箱が落ちているだけ。


 攫った!? 俺以外の誰が、どこへ!?


 首を四方に巡らせる。何も見えない。そして更に上へ――すると、建物の屋根の端に、長い尻尾が消えていくのが見えた。

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