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24. 旅立ち

 獅子の城で負った傷がすっかり治った頃、俺はエリオの依頼を受けて城門の前で人を待っていた。俺の正体を黙っていることと引き換えに、あいつが持ってきた仕事――その、依頼人が来るんだという。


『本当に大した仕事じゃないんだ。危険もないはずだしね』


 あの事件の後じゃ、あいつの言葉なんてそうそう信用できるもんじゃなかった。事実、聞こえの良い前置きの後に、エリオはさらりと付け加えた。


『ただの護衛だからさ。それも、身分のある人が、お忍びで旅をしたいってヤツだから。大げさにならないように、腕の立つのが一人いれば良い、ってさ』


 その情報で安心することは、どうあってもできないだろうに。


 要は金持ちのボンボンの物見遊山の見張りをしろって話で、常識を弁えない分の諸々の交渉や警戒や警告を、一手に引き受けさせられるとしか思えない。初対面の相手と組まされたことはこれまでにもない訳じゃないが、旅をするのに必要な常識は、当然のことながら持ち合わせてるヤツばかりだった。何より、何かおかしなことをやらかした時に殴って止めて良いかどうかで、気の持ちようは大分変わる。


 幾ら報酬は良いとしても、こんな忍耐力を試されそうな仕事を喜ぶ奴はそういないだろう。弱みを握った俺だからこそ、エリオもこれ幸いと押し付ける気になったに違いない。


 さあ、どんなヤツが現れるのか。俺の風体は伝えてるって話だが――


「ラヴィ様! お久しぶりです!」


 金ぴかの衣装を見せびらかして歩いてるとか、どうしようもなく高飛車な物言いなんじゃないかとか。悪い想像は幾らでも巡らせて身構えていたはずだった。だが、その声を聞いた瞬間、俺は思わず固まってしまった。


「お怪我はもうよろしいのですか? とても心配していたのですが……ああ、でも、お元気そうで良かった……!」

「あー……」


 俺の傷の具合を確かめるかのように、細い手が俺の腕や胸をぺたぺたと触った。前にも思ったが、男相手にちょっと親密過ぎて危なっかしい。忠告してやらなきゃ、という一心で、俺はやっと舌を動かすことを思い出せた。


「サララ姫? どうしてここに?」

「エリオさんのご紹介です。護衛をしていただけると伺っていますが……?」


 涼やかな声の主――サララ姫が首を傾げると、白銀の髪がさらりと揺れた。そう、今のサララ姫は耳も尻尾もしまって、ほとんど人間と変わりない姿になっている。この姿でも鋭い牙はなくならないが、よほど注意深く見なきゃ気付かれることはないだろう。目の覚めるような美少女の登場に、相当に人目を惹いてしまってはいるが。

 見慣れない姿かたちに目を擦るが、声と匂いで誰だか分からないなんてことはない。突然の再会以上に気になるのは、身に纏っているのも雪豹族の複雑で豪華な刺繍の衣装じゃなくて、簡素な綿の服だということ。関節を皮で守るその格好は、まるで女傭兵とでも言ったところだった。もちろん、こんな綺麗な傭兵なんてそうそういるはずもないんだが。


「護衛の依頼は、聞いてる……だが、まさかあんただとは……。というか、本当にあんたなのか? 嶺に帰ったんじゃないのか?」

「先日の件の後、父は獅子族との話し合いを続けていますの。他に攫われていた方もいたそうですから、その方々の氏族も交えて……」


 さすがに声を潜めて物陰に移動しながら問い詰めると、姫も俺の耳に口を近づけて囁いた。身長差があるから軽く背伸びして――それは仕方ないんだろうが、俺に寄りかかるみたいな感じになってるのは、これもまた問題がありそうだった。


「獅子族の長はあずかり知らぬことと主張していますが、どこまで本当か……。それは確かめようもないのですけど、獅子の中には今回の顛末が不満な者もいるようなのです」

「それは、そうだろうな……」

「ですから、事件の発端とも言える私は嶺にいない方が、余計な軋轢を生まないだろうと、父は考えたのですわ!」


 姫が高らかに述べたのは、とりあえず理屈が通ってはいた。アディリフの息子たちも、父親の約束を反故にして俺たちに牙を剥いたのを目の当たりにした訳だし。百獣の王の高すぎるプライドゆえに、一族への汚名は認めがたいといことはあるかもしれないし、鬱憤が姫に向くのもあり得そうなことだった。いや、それは実はプライドがないってことかもしれないが。

 だが、とにかく――姫の説明は、肝心なところへの答えになっていない。


「いや、だからってなんでそんな格好を……」

「私、今回のことで思い知りましたの。嶺に篭っているだけではいけないと。私が今ここにいることができるのは、人間の方々や――何より、ラヴィ様のご尽力のお陰です。一方で、条約の陰で悪事を企む同胞(じゅうじん)もいる――」


 どうしてこんな軽装で、(オレ)と二人で旅に出ようなんて思いついたのか。問い詰めたかったのに、サララ姫の真剣な目に意識を吸い込まれるようで、言うべき言葉は舌先で固まってしまった。


「――ですから、もっと世界のことを知らなければ、と思いましたの。そして、私だけではもちろん許されませんし、かといって一族の者も人の世界での旅には不案内ですし……」

「……だから俺って訳か」

「はい!」


 満面の笑みで頷かれると、納得させられてしまうような気さえする――が、俺としてはなるほどそうか、なんて言えるはずもなかった。


「男と女だぞ? 本当に長は俺で良いと言ったのか!?」


 あのお見合い計画はなんだったんだ。せめてクマルも一緒につけるとか――いや、子供二人のお守りを務めながらの旅も、それはそれで頭が痛いんだが。


「はい! だって、人の世で長く暮らしている上に、獣人の事情にも理解がある方は滅多におられませんもの。私を身を挺して守ってくださったことも含めて、父はラヴィさんのことを大変信頼しております。エリオさんのご推薦もありましたし……」

「…………」


 エリオは俺の身元のことをバラしたんじゃないだろうな、なんて思いも一瞬頭を過ぎる。俺を一族に連れ戻そうとしている動きの一環なんじゃ、とか。

 いや、やっぱりそれはないか。俺なんかのためにサララ姫を使うのはつり合いが取れないし効率も悪いはず。エリオだって、俺の秘密を盾に仕事を押し付けた以上は約束を反故にするのは考えづらい。ヤツの性格は信用できないが、情報屋としての評判はあいつも大事にしたいはず。そこの職業倫理ってヤツは、信じないと始まらない。その上で銀嶺の氏族の長をどう言い包めたのか、後で問い詰めなきゃならないが……。


「……この姿なら、人目につくこともないですし、攫われるようなこともないと思います。お邪魔にならないように、努めますから……」


 無言を通す俺に不安になったのか、サララ姫の表情が翳り声も震える。いつもの姿だったなら、耳も尻尾もしょんぼりと垂れていたことだろう。どうにか宥めて、諦めさせようとする言葉を探そうとした時――耳に蘇る声があった。


『邪魔にならないから! 一緒に行くの!』

『どうして一緒に来られないの? 私たちと何が違うの?』


 小さい子供――女の子の、高い声。いつ聞いたものだったか思い出せないが、絶対に譲らない意志の強さを感じさせる、必死の訴え。

 絶対に、姫は嶺に返した方が良いはずだった。獅子から身を隠すとか見聞を広めるとかは必要だとしても、付き添うのは俺じゃなくて良いはずだった。大人として、何とか言い聞かせる言葉を探す、そうしなきゃいけないはずだったのに。


 気付けば、口が勝手に動いていた。


「……もう、危ないことはしないか? エリオから知ってた上で攫われたと聞いたが。あんな風に、自分から危険に飛び込むようなことは?」

「――しません! 絶対!」


 サララ姫の金色の目が大きく見開かれる。きっと俺も同様だっただろうが。なんでこんな、一緒に来るのを前提にしたことを言っちまったんだろう。

 だが、言ってしまったものは取り戻せない。特に、サララ姫の目に歓喜が宿り、輝くばかりの笑顔を浮かべてしまった後では。


 それなら、俺に残された抵抗は、姫がまた何かしでかさないよう、あらかじめ約束を取り付けることくらい。これが呑めないなら連れて行けないぞ、と。精一杯の重々しさで言い聞かせる。


「……後は、俺の言うことには従うこと。入っちゃいけない路地や、話しかけたらいけない連中には近づくな」

「はい」

「当然のことだが、宿をとる時は部屋は別だ。寝る前には鍵を掛けたのをちゃんと確認させてもらうから、その後は遊び歩かないように」

「え……あ、はい」


 頷く前にちょっと口ごもったサララ姫は、やっぱり俺の目を盗んで夜遊びしようとでも思っていたのかもしれない。だが、そんなことはさせるもんか。しっかりと見張って――いずれ事態が落ち着いて姫が嶺に帰る時まで、傷一つつかないように守らなくては。


「……じゃあ、まずはどこへ行きたい?」

「あ、えっと」


 とりあえず言いたいことを言い終えて姫を見下ろすと、白い頬がほんのりと赤くなった。毛皮に覆われていない、人間の姿だからこそ見える変化――旅に出られるのがよほど嬉しいんだろうか。いつもの姿でもこっちでも、見蕩れるほど可愛らしいが、目を離さないように気を付けないと、と決意を改める。そうしないといつまでもバカみたいに口を開けて見つめてしまいそうだったから。


「……では、海の方へ。行ったことがないものですから」


 頭の中に、世界への憧れが駆け巡っているのだろう。サララ姫の目が遥か彼方を夢見る表情を帯びたのも、見たことのない景色からこちらに意識を戻して、俺に焦点を結ぶ。見つめられた、と思うだけで息が止まるような気がするのもおかしいんだが。


「そうか。……じゃあ、俺の行ったことがある国に案内しよう。城や名勝、途中の街の祭りや美味いもの……教えてやるから、何が見たいか言ってくれ」

「はい! ラヴィ様が教えてくださるなら何でも……でも、お話も聞きたいです!」


 姫に何を見せたいか――考えながら歩きだすと、姫が弾むような勢いでついてくる。鼻歌でも歌い出しそうな上機嫌、こんなに喜んでくれるなら二人旅も悪くない、か?


 不安はまだ、ありつつも。それを上回る期待のようなものが、俺の胸にも湧いてきて。俺はサララ姫と二人、旅の第一歩を踏み出した。

お付き合いいただき、ありがとうございました。

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