21. 事件の裏側
「サララ姫っ、無事でよかった……!」
「クマル……?」
ぱたぱたと軽い足音を立てて、クマルがサララ姫に駆け寄った。二本足のクマルと、獣の姿の姫と。姫が辺りを見渡そうとするかのように首を伸ばせば、ちょうど良くクマルが少しだけ姫を見下ろす形になる。歳の差はあっても、何とか似合いに見えるような。
なんだ、顔見知りだったのか。まあ、有力な氏族の後継者同士、そういうこともあったかもな。クマルのヤツ、みっともなく涙ぐんで格好悪いじゃねえか。――だがまあ、これで姫を助け出したことになるのか? これで、お見合い計画は成功したことになる、のか? 全て丸く収まった、大団円、ってやつになるのか。
達成感と安堵と――それからなぜか、寂しいような名残惜しいような気分が胸に迫って、俺は地面にごろりと横たわった。落ち着いてみると身体のあちこちが痛んだ。とはいえ後に残るようなもんじゃない、少し休んだら、人間や雪豹たちと一緒に街まで戻れば良い。獅子の連中も、もう襲ってはこないだろうし。
そんなことを、ぼんやりと考えていた時だった。
「ラヴィ様……」
白銀の毛皮がすぐ傍に迫っていて、目を瞠る。今は俺自身が雪豹の姿だし、獣の姿を取った戦士たちも大勢現れてはいるんだが。この――姫の毛皮の色は、一際白く眩しく輝いているように見えた。
「ありがとう、ございました。貴方がいなければ、私、どうなっていたことか……」
「いいんだ。それより同族のヤツ等を安心させてやれ。こっち見てるぞ」
クマルの方に戻らせようと、鼻先で姫を押し返そうとする――と、更に横から割ってはいる声があった。
「そうですよ、彼には手当が必要でしょうしね。傭兵ギルドにとっても大事な人材ですから、責任をもって治療しますよ、お姫様」
どんな時でも飄々として気易くて胡散臭い。エリオも、獅子の城までやって来てたとは。鍛えてない人間にはキツい道のりだったろうに、よくついて来れたもんだ。どうやって固定しているのかは知らないが、例の片眼鏡も健在だ。
いや、そんなことより――アディリフの話だと、人間の国はヤツ等と組んでたということじゃなかったのか?
「……よう。口封じされたかと思ってたぜ」
「はは、心配してくれた? それとも、僕もグルだとか思ってた? ……っていうか、ラヴィ、だよね? しばらく見ない間に毛深くなった?」
不審と嫌味を滲ませた俺の言葉はあっさり躱され、揶揄うような軽口が返ってきた。そういえば、確かにこいつは俺の正体を知らなかったっけ。片眼鏡のレンズの向こうのエリオの目は好奇心に煌いて――というかはギラついていて、こっちはこっちで面倒なことになりそうだった。
「まあ、色々とな。事情は説明するが――そっちでは何が起きてたのか、俺にも知る権利はあるよな?」
できれば誤魔化したいな、という思いを込めて、尻尾で地面を叩く。雪豹ならではの仕草の意味を、エリオが気付いたかどうかは分からないし、気付いたとしても簡単に逃がしてはくれないだろうが。
「もちろん。馬車を用意してるからさ、街に帰る道々に話そうか」
とにかくも、エリオは朗らかに笑うと大きく頷いたのだった。
エリオは、獅子の城まで馬にしがみついて辿り着いたらしい。褒めるべきはこいつの根性じゃなくて、下手な乗り手に耐えた馬の方だったということか。人間の兵士にとっても雪豹の戦士にとっても、さぞ足手まといだっただろうと思う。
「この辺りで獣人が行方不明になる事件がたまに起きると、人間の方でも憂慮していてね――」
森の入り口に辿り着いて、待っていた馬車に乗り込んで。そして、往路と同様の悪路に揺られながら、エリオは口を開いた。俺はというと、雪豹の姿では乗りづらいから、人の姿に戻っている。
「獅子のヤツ等が犯人だった、てことか? あの――混血強兵もどきを生み出すために?」
「そう。でも普通疑われるのは人間だろう? 条約違反の疑いを掛けられちゃ適わないからね、必死に調査したそうだよ」
「だが、獅子も認めなかっただろうな」
「そうだね。あまり強く言えば、それも条約に抵触する恐れがある――というかそのように脅されたとかで。頭を痛めていたらしい」
結局のところ、条約は獣人を保護するためにあるものだ。そしてその前提にあるのは、獣人を虐げるのは人間だという思い込み。アディリフめ、条約を不服に思っていたようだったが、利用のし方はよく分かっていたらしい。
「君が着てる服もね、もしかしたら監禁されてる獣人がいるかも、ってことで準備してたんだ。獣人にはいらないかもしれないけど……獅子の計画がそういうことなら、身に纏うものが欲しいだろうから……」
「ああ……準備が良いとは思ったんだ」
珍しく声を潜めて神妙な面持ちをしたエリオが匂わすことは、分かる。獣人の行方不明事件が混血強兵を生み出すためだとしたら、消えた獣人たちの扱いもおのずと知れる。誇りを奪われた被害者に人間らしい格好を、ってのは気遣いとしては真っ当なものに思えた。
そう――エリオもクマルも俺が獣の姿になれることを知らなかったんだ。すっかりボロボロになってしまった元の装備は、獅子の城に置いてきてしまってた。だから、雪豹の姿で馬車に乗るか、同乗者がエリオだけとはいえ素っ裸になるか。一瞬悩んだんだが――俺にとっても、その準備はちょうど良かったらしい。
まあ、それは今はどうでも良い。
「――人間どもは、アディリフ――獅子の領主を嵌めた、ってことで良いのか?」
端的に切り込むと、エリオは真面目な顔のまま頷いた。質問というよりは確認に過ぎなかったから、それ以外の答えはないだろうとは思っていたが。
「ああ。条約を破ってまで混血強兵に手を出すほど、この国の上層部は愚かじゃなかったってことさ。混血強兵が何人かいたところで、人の国と獣人の氏族の全てに睨まれたら勝負にならない」
得意げに語っていたアディリフも、人間を侮り過ぎていたということか。あるいは、造り出した混血強兵の力を過信していたか。言われてみればエリオの主張の方が真っ当で、踊らされていた獅子どもは滑稽でさえあるかもしれない。今、何とか無事で済んだからこそ思えることではあるが。
「じゃあ、結局は最初に言ってた通りに、ってことか」
「ああ。転移陣でクマル君を雪豹族の居城へ、それから長たちを連れて獅子族のもとへ。獅子の長も薄々は勘づいていたのかもしれないが――今踏み込めば、動かぬ証拠が揃ってると分かってたからね。誘拐事件も、人間側に掛けられかねない疑いも、一緒に解決する、またとない機会だったんだ」
証拠――つまりは、サララ姫ってことか。獅子の混血に攫われたという姫の証言があれば、アディリフの一族を纏めて罪に問うことが、確かにできる。獅子の長の渋面は、都合の悪い現場を抑えられたからでもあったんだろうか。
それで、事態のひと通りの説明はついた。だが、こうなってくると気になるのはサララ姫のことだ。獅子どもを捕まえるためには姫の存在が不可欠。それなら、誘拐事件もまた、仕組まれたものってことになる。姫は、同族の企みであんな怖い目に遇わされたのか――それなら、許せないと思う。
「あの、『お見合い計画』は――」
「雪豹族がその計画を持ち掛けたのは、本当。この国も、獅子の動きがあるからって最初は難色を示してたんだけど。どうせなら、一石二鳥といこうじゃないか、ってことになったんだ」
俺の声が低くなったのに気付いたのかどうか、エリオはにこりと微笑んだ。まるで良い考えだろう、と誇るかのよう。だが、俺は同意することはできない。獅子の暗躍を知りながら姫を無防備にするなんて正気じゃない。それを俺に知らせず依頼してきたのも。情報屋としても、不誠実にもほどがある。
回答次第ではただではおかない――そんな脅しも込めて、俺は牙を見せながら訊ねた。
「サララ姫は? まさか、知らせないで巻き込んだんじゃないだろうな」
「姫は、お見合い計画は知らない。でも、獅子の陰謀を放っておくと危険なこと、今のうちに潰さなければいけないことは理解している。だから囮の役も引き受けてくれたそうだ」
「そんなことを……!」
思わず上げた怒声は、エリオに対してなのか雪豹族に対してか――それともサララ姫に対してのものか、俺にも分からなかった。姫が覚悟の上で臨んでいたならまだ良かった、なんて安堵とはほど遠い。
狩りにも出る勇敢さとは聞いていたし、実際にこの目でも確かめた。獅子の企みを放っておけないのを、高潔と言うこともできるかもしれないけど。それでも、手放しで褒めることなんてできなかった。そんな危険なことを、どうして引き受けたのか。そう思うと、怒りと苛立ちが湧いてくる。俺も危なかったからじゃない。あの娘の命も誇りも奪われかねなかったこと、それをどこまでちゃんと理解していたかどうかが怖くて仕方ないんだ。
荒れ狂う内心を言葉にすることができる前に、エリオはにやりと笑った。場違いとしか思えなくてそれも気に障ったが。
「雪豹族と人間の一国が全力で追うんだから安心だ、と言ってくれたとか。――何より、信頼できる傭兵を雇うと約束したしね」
「ん……?」
だが、続く言葉に気勢を削がれて、思わず首を傾げてしまう。その隙に、エリオはますます笑みを深めて――気色悪いことに俺に顔を近づけて、囁いた。
「姫の勇気も、君がいてこそだった、ってこと。実際、君は迷わず姫を助けに乗り込んでくれた訳だしねえ。見込んだ通りの仕事をしてくれて、紹介者としては誇らしいよ!」