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20. 決着

 しばらくの間、洞窟の中の広間に響くのは俺の荒い呼吸の音だけだった。獅子どもも混血どもも、一様に目を見開いて息を呑んで、目の前の事態が受け入れられないようだった。


「ラヴィ様、お怪我が……!」


 そんな中、真っ先に動くことを思い出したのはサララ姫だった。雪を孕んだ一陣の風のように、白銀の煌きが間近に舞い降りたかと思えば、額の辺り、アディリフの爪に抉られたところに熱く濡れた感触が降って来た。傷を舐めて癒してくれてるんだ。そうと気付くと血が湧きたつような妙な熱を感じたが――(たしな)めてる余裕は、なかった。


「ああ……」

「父上、何という……!」


 アディリフの死に呆然としていた息子どもの目に、まず悲しみが。次いで怒りが浮かび始めている。最初の戦闘で手傷を負った者も、まだ無傷の者も恨みと憎しみに満ちた目を俺に向け、牙を剥いているヤツさえいた。


「俺が勝ったら帰って良い話だったが――」

「黙れ」


 念のために、とアディリフとの約束を持ち出してみたが、案の定というか低い唸りと共に却下された。


「父の仇を見逃すことなどできるか!」

「約束などどうでも良い、引き裂いてやる……!」


 それほど良い親でもなかったと思うが、などとは口が裂けても言い出せない雰囲気だった。他の種族の姫を攫ってまで強い兵を望む――俺には気が狂ってるとしか言えない計画だが、実の親ってのは特別なもんだ。それなら俺にも分かる。

 問題は、俺の傍にはサララ姫がいること、そして絶対に巻き込んではいけないってことだが――


「あんたは下がってろ。大人しくしてれば手は出されないかも――」

「無理です! そんなこと!」


 俺の傍らで毛を逆立てて唸る姫は、とても説得を聞いてくれるそうな様子じゃなかった。獅子どもの殺気にあてられてしまってるのか。この()は何もしてないんだ、俺の巻き添えで怪我や――あまつさえ、殺されてしまうようなことは、あってはならないってのに。姫は奴らにとっては大事な――こんな言い方は口が裂けても言えたもんじゃないが――()のはず。この場さえ生き延びれば、まだ望みはあるかもしれない。


「良い子だから。な?」


 女の子への遠慮は感じつつ、姫の頬に鼻先を押し付け、ちょっと舐める。それで落ち着いてくれれば、と。だが、それでもサララ姫は激しく全身を振るわせて拒絶した。


「いいえ! ラヴィ様は私のために戦ってくれたのに! 私だけ逃げるなんて! 絶対に、イヤ!」


 俺に対してまでも、姫は牙を剥いて吠える。耳はぺたりと後ろに倒れて怯えを示して、目には涙を浮かべているのに。それでもこんなことを言ってくれるのが――本当に、ダメなんだが――嬉しくなってしまって。俺は、姫の涙を舌で舐めとった。


「……じゃあ、一緒に戦うか」

「え……?」

「だが、無駄なことはするなよ。そうやって子猫みたいにフーシャー言ってるんじゃなくてな。落ち着いて、行け」


 姫がきょとんと呟いて、毛の逆立ちようも落ち着いた隙を見て、言い聞かせる。どうあっても引き下がってくれないのだとしたら、せめて無駄死にだけはしないように。さっきまでは状況を見て俺の窮地を救ってくれたんだ。たとえ勝ち目はなくても望みは薄くても――最後まで、諦めないように。


「……はい……!」


 瞬きを、一度。そうして涙を払い除けると、姫の目から激情(パニック)が消えた。金の目は理性を取り戻して、敵の動きを見極める戦士の表情を宿す。どこまで保つかは分からないが、とりあえずは上出来だ。


「後ろを振り向くな。逃げることを第一に考えろ。森の入り口には同族がいるはずだ」


 俺も身体を低くして構えながら、囁く。まずは俺が血路を開いて、姫を逃がす。それから殿(しんがり)を守ってできるだけ追手を減らす。一緒に戦うとは言っても姫の戦力なんか期待してないし、女の子を危険に晒すつもりもない。そうとは気付かせずにいかに先に行かせるか、そっちの意味でも勝負だった。


「……努力、します……!」


 姫は、俺の内心を少しは疑ったのだろうか。もの言いたげに見つめてくる、視線が刺さるのが感じられた。だが、そちらを向く余裕はなかった。


「たった二人で何ができる!?」

「父の仇を、思い知れ……!」


 俺たちの会話を聞くことなく、アディリフの息子たちがもう飛び掛かって来ている。姫を狙う爪の一撃を、身体で受ける。痛みは今さらのこと、構わずにそのまま体当たりしてそいつを吹き飛ばす。言い聞かせた通り、姫が通路を目指して跳躍するのを、尻尾が描く軌跡の残像で確かめて。俺も続こうと力を込めた後ろ脚に、だが、獅子の牙が突き刺さる感触があった。


「きゃあっ!」


 くそ、姫の悲鳴だ。助けなきゃならないのに、思うように身動き取れない。


「離せ、クソども!」


 喉を限りに叫んでも、思うように精霊を呼べない。獅子たちの気迫に掻き消されているのだとしたら――ここまで動き続けた、ツケが回ったのか。これ以上、何もできないのか。いや、奴らを一人でも一匹でも、多く……!


 食いちぎる相手を求めて口を大きく裂いた時だった。広間に朗々とした声が響き渡った。


「この騒ぎは何事だ! 誇り高い獅子の戦士が、なぜ女子供を追い回している!?」


 びりびりと肌を震わせる、雷鳴のようなその声は、俺ばかりでなく、怒りと殺意に任せて暴れていた獅子どもにもよく効いた。それこそ雷に打たれたように、父の復讐に燃えていたはずのヤツ等が()()をした、その理由は――獅子どもが服従して、視界を塞ぐものが何もなくなったことですぐに目に入った。


「アディリフは何をしている!? 信じて任せていればこの有り様とは……!」


 声の主は、――声の主も、というか――雄の獅子だった。(たてがみ)は色濃く豊かで、若さと力を誇示するかのよう。装飾として纏う獲物の数も種類も、アディリフよりも多く見える。怒りも露に吐き捨てた言葉からも知れる、こいつは獅子族の長だ。それも、飛び地の領地を治めるような器じゃない、もっと上位の、名のある氏族そのものを率いる男だ。アディリフの息子たちがこいつのことを知っているかどうかは関係ない。同じ種族なら咆哮を聞くだけで従うべき相手だと分かるだろう。


「アディリフなら……死んだぞ。俺が殺した」

「何……?」


 そんな存在に、横から声を掛けても良いものか少し迷ったが。答えるべきアディリフは実際死体になって転がってるんだから仕方ない。


「雪豹が、獅子を? そんなことができたのか」

「言っておくが正当防衛かつ一対一の決闘の結果だぞ。あと、俺は氏族に属さないはぐれ者だ。雪豹のどの一族も、この戦いに関わりは――」


 獅子の()()()長が、怒るよりも驚きと戸惑いに首を傾げているのを幸いと、俺は早口に事情を説明しようとした――が、遮られる。


「そう――その者は、この城に踏み入った上に父を殺しました! どうか、報復を……!」

「その方が、サララ姫です! 攫われた……やっぱり、ここにいたでしょう!」


 重なり合った声に、獅子の長が顔を顰めた。アディリフの息子たちが口々に訴えるのと、それからもっと高く澄んだ――子供の声。


「クマル殿。確かに仰っていたことは、一部は真実であったようだ。だが、だからといって――」

「ならば姫とそちらの――ラヴィさんの言い分を確かめてください。公平になるよう、獅子と雪豹と人間と、それぞれから立ち会い人を出して……!」


 倍近い背丈の獅子に対して、クマルの声はやっぱり少し震えていた。だが、どれほどの気力の賜物か、耳も尻尾もしっかりぴんと立っている。ふと気づけば、広場にはさっきよりも多くの人影が満ちている。人、というか――人間もいるが、白銀の毛皮を纏った雪豹たちも。獅子の長の出方を探るかのように身構え、眼光鋭く一挙手一投足に目を配っている。


 なんだ、これは? アディリフと人間の密約で、雪豹族は締め出されたんじゃなかったのか?


 混乱して、事態を見守ることしかできない俺を他所に、獅子の長は一層嫌そうに鼻に皺を寄せた。さっきの渋面も、クマルの甲高い声が耳に刺さっただけじゃない、一族の恥部を暴かれたからだと、今さら気付く。サララ姫と、混血の戦士たちと。いずれもいるはずのない存在を衆目に晒されて、下手な言い訳は通じない。


「……そうしよう。その、我が一族かどうかよく分からない者も含めて。誰も、この場から逃してはならぬ……!」


 いかにも苦々しげな長の言葉を契機にして、人間の兵と雪豹族の戦士たちが動いた。手が足りないのを手伝ってやると言わんばかりに、数人がかりで獅子や混血の戦士をひとりずつ取り囲む。そうなると、さっきまで血気に逸ってたヤツ等も、諦めたように項垂れて。


 事情の全てはまだ分からないが――どうやら、サララ姫は助かったらしいということだけは察せられて、俺はやっと全身から力を抜いた。

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