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19. 決闘

「――白猫風情には過ぎた話だというのに。ちっぽけな頭では理解できないことだったか……!」


 アディリフはまた雪豹(オレ)のことを白猫呼ばわりで嘲った。だが、そうと口にするまでにたっぷり十数秒は掛かったのは、勿体ぶったからなんかじゃないだろう。息子どもの前でみっともなく喚き散らさないために、それだけの時間を掛けて頭を冷やさなきゃならなかっただけだ。


「どうかな? 実際てめえのガキどもは俺にやられっぱなしじゃねえか。自分より弱いヤツの下についてどうする? 良い話だって言いたいなら、俺に納得させてみろってことだ!」

「おのれ。手足の一、二本も食いちぎってやらねば分からぬか……! 大人しく従っていれば良いものを……!」


 牙を噛み鳴らしながら、アディリフの輪郭が、()()()(たてがみ)がぶわりと広がって、体躯の大きさを強調する。丸太のような四肢はしなやかな筋肉に(よろ)われて。年齢のためか、毛皮はややパサついて色褪せているような気もしたけど、それでも――いや、歳を重ねているからこそか? ――獣の王に相応しい威厳と風格を、そいつは確かに纏っていた。


「雪豹の小僧! 尻尾を巻くなら今のうちだ!」


 俺よりも二回りはデカい身体。それに応じて太い喉が発する咆哮は雷のごとく風の精(シルフィ)を震えさせる。俺がさっき呼び込んだ冷気を吹き払うかのように。道具に頼る人間と違って、吠え声で精霊を従えるのが獣人の技だが――さすがは獅子とでもいうか。ただのひと声で相手を圧倒し戦意を挫こうとしてくる。


「ラヴィ様……」

「大丈夫だ。あんな老いぼれに負けて堪るか」


 それでも、後ろにサララ姫を庇っていると思えば、言われるがままに降伏するなどあり得ない。俺が退けばこの子が何をされるか、聞かされた後では。


「こっちの台詞だ、クソ爺! 年寄りが無理しない方が良いんじゃないか!?」


 露骨すぎる挑発に唸りを上げたのは、アディリフよりもその息子たちの方だった。まったく親孝行な連中というか。当の親父は、油断なく身体を低くして戦う構えに入っているのが厄介だったが。


「お前たちは手を出すな。儂が従えねば意味がないのだからな」

「ああ、一対一で負けたら文句ねえ。奴隷にでもなんでもなってやる。だが、俺が勝てば――」

「そこの子猫と一緒に逃がしてやろう。万に一つもあり得ぬがな!」


 言い切ると同時に、黒い風が迫った。ように感じた。この巨体と年齢にしてこの(はや)さ。まともに受ければ、圧し潰される。慌てて跳びすさったところを相手の牙が噛んで、俺の毛が雪のように舞う。野郎、真っ直ぐに喉元を狙ってきやがった!


 距離を置こうと跳躍を繰り返す。だが、洞窟の中では逃げる先も限られる――違う、逃げてなんかないんだが。太い前脚が殴りかかってくるのを、転がってよける。混血にぶつかったのはクッション代わりだ。そいつを踏みつけて、また跳んで。アディリフの爪が顔を掠るが肉にまでは届かない。血が滲んで、多少気が散るが――慌てるな。隙を狙え。


「逃げていても始まらぬぞ! 臆病者め!」


 そう――アディリフは、苛立っている。()()を仕留めるのに思いのほか時間が掛かって、体面を気にして焦っている。攻撃が、大雑把になっていく。骨を砕く気満々の重い一撃も、当たらなければ問題ない。


「――っ、ぐ……」


 いや、食らっても。雪豹の毛皮は厚いんだ、多少なら耐えることもできるはず。痛みも、気にするな。そんな余裕は、ないだろう!


「喰らえっ!」


 ほら、動きを止めればすぐにあの巨体が圧し掛かってくる。抑え込まれたら最後、どうあがいても首を噛みちぎられるしかなくなってしまう。

 アディリフの身体と地面の間の、狭い隙間をすんでのところですり抜ける。その勢いでまた雪のような毛が散った。今度は赤も混ざっているのは――少しは、やられているからか。俺の爪も、何度かは届いているはずだが。


「悪足掻きを……!」

「まだまだだ!」


 お互いに吠えれば、風の精がぶつかり合って空気が鳴る。ぱりぱりと、雷の精(ヴォルテーア)までもを呼んでヒゲをぴりつかせる。逆巻く風は、俺と相手のちょうど真ん中で拮抗している。気力では負けていないってことだ。だから、まだ、いける!


 アディリフが飛び掛かってくるのを、全身を()めて、待つ。興奮し息を乱してはいても、迂闊に腹を見せる程度の相手じゃないから。この城の長の地位を得るために、一族の中で争ったりもしたんだろうか。そんなことはどうでも良いが。俺が集中すべきは、一瞬の隙を捉えること。四肢のばねを存分に使って、相手の予想を上回る迅さを出すことができるかどうか。ただ、それだけ。


 そして――


「がっ……」


 俺の牙は、届いた。アディリフの首。皮だけじゃなく、しっかりと肉を噛んで。顎の力と相手の跳躍の勢いを利用して、そのまま地面に叩きつける。衝撃は俺の身体にも伝わるが、決して牙は緩めずに。相手が暴れる勢いで、牙を更に食い込ませて。


「ふっ、かは……っ」

「ぐ……ぅ、っ」


 お互いの喉から漏れるのは声にならない呻きだけ。アディリフは気道を塞がれて、俺は口いっぱいにヤツの喉を噛み締めてるから。

 獅子の巨体を抑え込もうなんて端から考えちゃいない。抑えるのはアディリフの頭、それだけだ。両前脚で獅子の頭を抱え込む。爪を鬣に絡ませて、頭蓋をも抉る力を込めて、食らいつく。力でも体格でも劣る以上は、狙えるのはただ一カ所、確実に止めを刺せる場所を。


 無論、アディリフが大人しく窒息してくれるはずもない。前脚だけじゃない、アディリフは身体を丸めて後ろ脚の蹴りでも俺を引き剥がそうとするが、耐える。目を潰されるのを避けて顔を多少は動かしても、牙は緩めずにヤツの気道を締め上げ続ける。やがて首の骨がみしみしと軋みを上げ始めるのが、顎に伝わるほどに。


「…………ぁ、……っ!」


 声にならない悲鳴を上げて、アディリフがますます激しく俺の頭を身体を殴り、蹴る。鋭い爪が頭を掠めて、視界が血の赤に染まった。だが、俺がすべきはアディリフの喉を離さないこと、ただそれだけ。痛みも流血も、それを邪魔することはない。それにほら、ヤツの抵抗はどんどん弱まっている。このまま何十秒か持ちこたえれば、俺の勝ちだ。

 だが――


「ラヴィ様、上……っ!」



 サララ姫の悲鳴と同時に、視界の端を影が()ぎった。アディリフの息子が、父親の窮地を見かねて手を出そうってのか。誇りを賭けた決闘なのに!

 避けるためには、アディリフを自由にしなきゃならない。そんなことはできない。だが、このままだと無防備なところに獅子だか混血だかのキツい一撃を喰らうことになる。どちらにしても勝ち目が消える。なら、残るのは――


「――っ!」


 俺は、顎の力を一段と強めた。踏ん張った四肢のうち、前脚はアディリフの身体を抑えつけながら肉を抉り、後ろ脚は地に食い込む。尻尾も、気合と勢いを表わして強く地を打った。そうして、全身をばねにして、全ての力をアディリフの喉に――首に、叩きつける。すでに不穏な音を立てていた箇所に。誇り高く強い雪豹の一族として、全力を込めて。


 ぼき、ともごき、ともつかない音――というか感触が、牙に伝わる。獅子の強靭な骨も毛皮も筋肉も、ついに押し負けたんだ。それを実感したか否かのところで、アディリフの身体を投げ捨てるようにして、転がる。回転する視界の中で、手出ししたヤツが虚しく宙を噛むのが見えた。


 転がって、十分な距離を取って――それから、すっかり感覚がなくなった顎を何度か開閉する。それで初めて、舌にざらざらした血の味が感じられた。肉食の獣の血なんて美味いもんじゃないが。勝利の味と思えば悪くない、か?


 アディリフの方に目を向ければだらしなく四肢を伸ばしてぴくりとも動かない。余計な横槍も入ったが――これが、決闘の結果だった。

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