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17. アディリフ

「雪豹……!?」

「純血だったのか! 聞いてないぞ!?」


 当然だ、誰にも言ってないからな!


 最後の最後に取っておいた、俺の切り札――一点の曇りもない雪豹の白銀の毛皮は、思った以上に獅子どもを混乱させてくれた。奴らが立ち直る前に、あるいは喉元に食いついて締め落とし、あるいは長い尻尾を鞭のように振るって目を潰す。


 そのまま一気に攻めようとして――だが、奴らは俺と姫を遠巻きにして下がった。逃げ道を塞ぐように三方の通路は塞いだまま、こちらを見る目には、なぜか混乱と同時に怯えも混ざっているような。


「純血を殺して良いのか……!?」

「アディリフ様に報告を――」


 アディリフ。それがあの領主の名か。配下の混血どもも、血筋にやたらプライドがあるような言い草だったが。俺が純血の雪豹だったら容赦してくれるとでも言うんだろうか? 根城に忍び込んで戦士たちを何十人と大怪我させておいて、そんな虫の良いことが期待できるとでも?


 目を細めて獅子どもと混血どもの出方を窺う。距離を置いたとはいえ、相手も油断してなどいない。こちらが飛び掛かれば手痛い反撃が待っているのは分かり切ってる。退くことも攻めることもできない――膠着状態になってしまった。


「ラヴィ様、どうしましょう……?」


 落ち着かない状況に低く唸る俺の頬に、冷たい湿った感触があたった。俺と同じく四つ足の姿になったサララ姫が鼻先を押し付けているのだ、と気付いて慌てて身体を離す。人の姿と獣の姿とでは感覚が大分変わるのは確かだが、それでもお姫様相手なら節度ってのが大事なはずだ。


「そ、そうだな……親玉が出てきてくれるなら重畳だろう。純血相手なら遠慮があるってことなら、話し合いもできるかも……」


 正直言って、ここまで派手にやらかした後で笑って帰してくれる見込みなんてまずないとは思うんだが。姫の金色の目が不安そうに揺れているのを見ると、余計なことは言えなかった。


 余計なこと――人間どもが、あのバカバカしい「お見合い計画」の影で誘拐犯どもと手を組んでいた可能性があること。姫が攫われたのは偶然なんかじゃなくて、全て仕組まれたものなのかもしれないこと。その上で、外の連中が無事じゃないかもしれないこと。

 ついでに、「半獣」だなんて名乗ったこの俺が、目の前で雪豹の姿に転じたことについても。正直言って、言い訳を並べようと今にも舌が動きそうなくらいなんだが。姫を混乱させるくらいなら、何も言わない方が良い。姫の目がもの言いたげに見つめてきているのは気付いているが、はっきり聞かれてもいないことだし。聞きづらくて言い出せないだけだとしても、俺から進んで説明する必要はない、はずだ。


「まだ何があるか分からない。この隙に少しでも休んどいた方が良い」

「……はい……」


 姫は、納得してくれてくれたかどうかは分からないが、とりあえず地にぺたりと腹をつけて休息の姿勢を取ってくれた。とはいえ獅子たちの視線が突き刺さり、怪我人の呻き声が聞こえる中でのこと、とても休めたもんじゃないだろうが。猫が喉を鳴らすのとは違う、不機嫌を表わす低い唸りが姫の喉から響く。呼吸の荒さも緊張と不安をはっきりと示していて、気の毒だった。

 思えば街で攫われてから気の休まる瞬間なんてなかっただろう。気丈に振る舞っていても、疲れていないはずがない。怖くないはずがない。手を触れてきたりしたのも、不安の表れだったとか?


「落ち着けって。守ってやるって、言っただろ?」

「ラヴィ様」


 それなら、と思って、姫の傍らに俺も寝そべる。子供の頃に親にされたみたいに、温めて安心させてやりたくて。毛皮をぴたりと寄り添わせれば、そこからお互いの温もりが伝わってくる。俺には弟も妹もいないけど、いたとしたらこんな感じだろうと自分に言い聞かせる――そう、群れの歳下を守ってやると思えば良い。何も後ろめたいことじゃない、と思う。

 姫の喉がやがてごろごろと優しく鳴り始めるのを身体で感じながら、俺はじっと、獅子の領主が現れるのを待った。




「ほう、これは……!」


 待たされたとはいえ、いざアディリフとかいう獅子の声を聞いた時は、苛立ちで尻尾で地面を叩かずにはいられなかったが。どこか人を見下したような声、どこか芝居がかった口調――事件の全貌はまだ分からないが、こいつのせいでサララ姫は散々怖い目に遇わされた、それだけは確かだ。


「雑種だと聞いていたが。気高い雪豹の血を引いていながら、なぜ人間どもに飼われているのだ?」


 さっきまでの戦闘で血を流し足を引きずる者たちも、領主のお出ましに一斉に頭を垂れて恭順の姿勢を取った。それこそ王様気取りってヤツだ。俺が答えるのを当然とでも思っているかのようなご下問も、気に障る。まだ二本足の姿を取った相手に見下ろされるのが気に入らなくて、俺は四肢を伸ばすと首から背筋の毛を逆立てて唸る。


「雪豹を気高いというならその姫にした仕打ちは一体何だ? 無理矢理攫って檻に閉じ込めて――獅子の誇りはどこに行った!?」


 そもそも姫を攫った混血どもが言っていたように、獅子こそ最も誇り高い種族なんだろうに。他の種族に敬意を払う心が少しでも残っている癖にこの言い草――さっぱり理解できない。怒りと苛立ちが募るばかりだ。

 どんな言い訳を並べられても収まらない。その気迫で睨みつけてやったのに。アディリフは、悪びれることなく両手を広げた。獣人の長というよりは人間の王侯とか政治家に似合いの、演説でも始めるのか、って大仰な仕草だった。


「獣人の未来のためだ。強く猛き種族たちが、あの忌々しい条約の枷に嵌められて人間どもに()()されるなど――あってはならなぬ!」


 ただ、獅子の咆哮は本物だった。力強い吠え声が俺のヒゲをびりびりと震わせ、傍らにいるサララ姫を怯ませた。まだ毛先を触れ合わせていたところから、姫の緊張が伝わってくる。だが――


「でも――でも! それと私を攫ったことと、何の関係があるというの!? 父だって――星降る銀嶺の一族が、黙ってないわ!」


 アディリフに噛みつくことができるくらい、サララ姫はやっぱり勇敢だった。俺の隣で、俺と同じように全身の毛を逆立てて。この場面でこの強気、頼もしいが怖くもあるから、そっと前に出て獅子どもの嘲り嗤う目から守ろうとする。


「そういえば縄張りの境にうるさい連中が来ていたな……ひ弱な人間どもと、条約で飼い慣らされた白猫ども……」


 とはいえアディリフは姫の勘気には取り合わず、遠回しに猫扱いして余裕を見せつけようとしたようだったが。森の中でも、獅子の戦士たちが雪豹を白猫と呼んでいた。この頭からバカにしたような物言い、この城の連中のお気に入りの言い回しだったりするんだろうか。

 獅子の色の薄い目――それゆえにどこか酷薄に見える一対の目が、俺とサララ姫を意味ありげに見比べる。


「あれらが探していたのは、雪豹の姫とそれを攫った混血の者。雑種の分際で純血の姫に手を出す不届き者は確かに息子たちが噛みちぎった――だが、姫は既に良からぬ仲間に引き渡されたらしく、どうにも見つけることができなかった、と。そういう筋書きにしようと思っていたのだが」

「そんなふざけた話が通るか。他ならぬ雪豹族たちが、俺に姫の救出を依頼したんだぞ!?」


 牢の前で最初に顔を合わせた時に仄めかされた理屈だ。とうてい納得できるもんじゃない、屁理屈にもならない無理筋だ。これが芝居というなら書いた奴は即刻筆を折るべきだ。俺に罪を押し付けて姫を返さない気か? そんな言い訳を、一体誰が信じるとでも?


 ふざけるのも大概にしろ、と。牙を剥いて凄んだはずなのに、アディリフは口を裂いて嗤うだけだった。子供の物分かりが悪いのを、嘲るかのように。


「はぐれ者の雑種を信用するなど愚かなことだろう? 本来なら手の届かぬ貴人を目の当たりにして、卑しい者が何を考えるか分かったものではないだろう? 人間の情報屋とやらの紹介に頼ったのがそもそもの間違いだったのだ」

「何だと……!?」


 人間の、情報屋。そうと聞いて、俺の脳裏に片眼鏡(モノクル)のレンズが光った気がした。俺に話を持ってきたのがエリオってとこまで知っている――なら、こいつはこの件にどこまで関わっているんだ?

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