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15. 迎え撃つ

「――こっちも駄目だな……」


 身振りでサララ姫に留まるように指示しながら、俺は出来るだけ音を殺して舌打ちした。


 獅子の城は天然の洞窟を利用して作ったものらしく、壁も床も滑らかに削り出された部分もあれば、さほど手を加えていないのか、狭い通路が不規則かつ勾配さえ伴って入り組んでいる部分もあった。俺たちはちょうど後者の箇所に迷い込んでしまったところだった。それも、今いる通路が曲がった先から、獅子の臭いが漂ってきてる。戦士かどうかは分からないが、それでも見つかれば追手が集まってくることだろう。

 俺たちはこの城では異物で余所者だ。獅子たちが当然のように知っているであろう抜け道や近道を知らない以上、誰とも遭遇せずに外に出ることができれば理想なんだが。この分では、どこかで戦いを覚悟しなければならないかもしれない。


 俺ひとりならまだどうにかなるかもしれないが、心配なのは姫の気力と体力だ。――だが、当の本人はどうかというと、頭から被った薄布を摘まんでは物珍しそうに匂いを嗅いでいる。


「それにしてもこの布、不思議ですね……ラヴィ様の声も匂いもするのに、よく見えないような感じで……」

「ああ。だが、匂いは隠せないから十分気を付けてくれ」

「はい」


 これも、エリオから分捕った魔道具のひとつ。光の精(ルミナリア)を織り込んで、周囲の風景を映し出すように細工を施したものだ。身体を覆えば、その部分は――近づけば凹凸は誤魔化しようもないが――見えづらく、見つかりづらくなる。姫を助けることを想定して、ふたり分をもらっておいて良かった。嗅覚も警戒すべき獣人相手には絶対信頼できるものでもないが、あるのとないのでは大分気分が変わってくる。


 例の条約のお陰で、人間と獣人の間で争いが――少なくとも表向きは――なくなって久しい。かつては嗅覚をも遮断する魔道具も、もしかしたらあったのかもしれないが、今の時代だと隠密といっても視覚を誤魔化せば十分、ということらしい。


 エリオたちは、どうしてるかな……。


 あいつの片眼鏡(モノクル)を思い出すと、心臓が重く沈み込むような気分になった。獅子の領主は、雪豹族たちの言い分も聞いていたことを仄めかしていた。その上でさっきは城に戻っていたということは、彼らの言葉を撥ねつけたということだろう。取り決めていた手はずだと、次は転移陣を使って雪豹の長たちを呼び出す番だ。

 だが、それができるだろうか? 獅子族の関与は、もはや疑いではなくなってしまった。煩く詮索してくる連中を、大人しく帰してくれるだろうか? 獅子に比べれば弱い人間たち、戦士とはいえ数の少ない雪豹族、それにまだ幼いクマル――彼らは無事なんだろうか。


 そして無事でないと仮定すると、こちらも外からの助けは望めない――自力で、姫を守りつつ獅子の巣穴から逃げなきゃならないってことになる。




 不安を抱えながらも、俺は姫を伴って獅子の城を彷徨った。今のところ本来の住人と遭遇してはいないが、かといって外へ繋がると思しき道を選ぶこともできていない。まるで獅子の気配をちらつかされることで誘導されているかのような――焦りと、緊張で増した疲れが苛立ちと共に身体に蓄積していくのが分かって、良くない兆候だとは思うんだが。


 だから、心身が摩耗しきる前に――


「ラヴィ様、水飲み場のようですよ。少し、休みませんか?」

「ああ、そうだな……」


 と、光の精の偽装布を被ったまま、サララ姫がちょいちょいと俺を手招きした。はっきりと見える訳じゃないが、影や景色の揺れ方でそうと分かる、可愛らしくも品の良い仕草だった。

 曲がりくねった通路を抜けた先、ちょっとした大きさの広場のように空間が広がっている、その片隅に、確かに透明な水を湛えた泉があった。白く滑らかな石を積み上げて、底には入り口で見たのと同じようなモザイク模様が飾られている。侵入者(おれたち)がいるから非戦闘員は引きこもってでもいるのか、取りあえず人気(ひとけ)はなかったが、普段なら住人たちの憩いの場にでもなっているのかもしれない。


 円形の広場に繋がる通路は、俺たちがやって来たものの他に、二本。道が交差するところに広場を置いて、ひとつの出口を泉で塞いだような格好だ。二本の通路のいずれからも獅子の臭いが近づいてこないのを確かめて、俺はそっと泉に近寄った。サララ姫もぴったりと寄り添うようにしてついてくる。


 姫も疲れていたに違いない。嬉しそうに偽装布をずらすと、両手で泉の水を掬って飲み干した。白銀の毛並みに映える赤い舌がちらりと見えて、その鮮やかさに一瞬心を奪われる。


「冷たくて美味しい水です。地下水なのでしょうね」

「ああ……」


 森に入ってからここまで、思えば気を緩めた瞬間などなかった。姫が明るく振る舞ってるのは、もしかしたら俺を気遣ってくれているのか――だとしたら、歳上の男として情けないことこの上ないが。忸怩たる思いを振り払って、俺は懐から非常食を取り出した。これはエリオからのものじゃない、俺が自分で狩ったのを加工しておいた干し肉だった。


「鹿肉だ。硬いだろうが食べておいてくれ」

「大丈夫です。私も狩りをしますから! ……ありがとう、ございます……」


 少しだけ不本意そうに耳を立てた後、姫は礼を言って干し肉を口に運んだ。俺も、泉の淵に腰を下ろしてそれに倣う。詰め所で出されたタレ浸け肉の分の活力は、ここまでですっかり尽きてしまってたようだった。硬い肉を唾液でふやかしながら咀嚼して呑み込むと、戦う気力が蘇ってくるのを感じた。


「――これ、持っておいてくれ」

「これは……?」

「人間の魔道具だ。投げつけるだけでさっきみたいな爆発が起きる」


 手渡された水晶玉に首を傾げたサララ姫は、俺の言葉を聞いて更に目を見開いた。金色の、長い睫毛に縁どられた目を。

 姫は続けてなぜ、と尋ねようとしたのかもしれない。だが、その前にふん、と鼻を上向かせて、小さく叫んだ。


「ラヴィ様……!」

「ああ、来てるな」


 姫を落ち着かせようと、俺は静かに頷いた。獅子どもの臭いが、三方から近づいてきてるのがはっきりと分かった。これまで遭遇しなかったのは、ここへ誘導したつもりだったんだろう。だが、俺もそのつもりでこの広場に足を踏み入れたことを、あいつらは知らない。


 短剣を取り出して、通路のうちのひとつ、右手側の一本を指す。


「あそこから出てくる奴らは頼んだ。出鼻を挫く感じで炎と雷を食らわせてやれ」

「あの……ラヴィ様は……!?」


 押し付けられた役割への不安よりも、俺の心配を口にしてくれるのが嬉しくて、思わず笑ってしまった。あるいは、俺の力量への不安の方が勝ったのかもしれないが。いずれにしても、笑うのは正解のはずだ。何とかなると、姫には気を強く持ってもらわなきゃならないからだ。


「魔道具はまだあるから大丈夫だ。尽きたら短剣もあるしな。――ここでできるだけ粘って、獅子の領主を引きずり出す。話ができるとしたら、あいつだけだ」


 逃げ続けるのが無理なら、どう戦うかを考える時だ。それなりの広さがあって、泉を後ろに背中は守ることができて、かつ敵が現れる箇所が限られている――これで通路が一本道なら最高だったが、贅沢も言ってられない。

 獅子と混血の戦士たちをなるべく多く()()。獣の王のプライドとやらを派手に傷つけてやれ。領主が高みの見物を決め込めない程度に。対面できたからって話し合いの余地があるとは思えないが、叩くなら頭、ってのは戦いの定石のはず。無論、これは姫には言えないことだが。


「――はい。分かりました……!」


 悲鳴を上げるかと思ったが、姫は気丈にもしっかりと頷いてくれた。雪豹の戦士は、駆け落ちした姫を勇敢と評していたが、こちらの姫の方が相応しいんじゃないだろうか。

 とにかく、今の状況にはこの上なく頼りになる相棒だ。そして、獅子の臭いはもう間近、すぐにも奴らの鼻先が見えそうなとこまで近づいてきている。


「じゃ、行くぞ」


 努めて軽く――散歩にでも行くかのように呟くと、俺は短剣を右手に、魔道具を左手に立ち上がった。

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