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14. 包囲突破

 獅子の居城を出た後の森で動きやすいよう、サララ姫は牢に豪華な上着を脱ぎ捨てた。茶と灰色の入り混じった色気のない土の床に、赤や青や金銀の刺繍糸が眩くてそこだけ花が咲いたよう。俺としては、姫の肌着――といっても長袖のシャツに踝までの下履き、まさに「下に着る服」でしかないんだが――の方が眩しくて仕方なかったが。


「これで身軽ですね」

「……おう」


 どこか得意げに、にこりと微笑む姫の頬で、ひげがぴんと伸びている。狩りもするとかいうだけあって、腹を括ると強いのかもしれない。

 冒険のつもりなら止めて欲しいが、薄着になった姿を直視するのは難しくて、諫める言葉も浮かばなかった。獣の姿になればどうせ素っ裸になる訳で、獣人が服を纏うのはもっぱら身分や立ち場を示す、装飾のため――だから、気恥ずかしく思う必要はないはずなんだが。俺は人間の世界で暮らして長いし、着ているはずのものを脱いだという状況が色々――何をだ――想像させてしまうのかもしれない。


「……森の入り口で、雪豹族が獅子族に話をつけようとしているはずだ。だから、この場内は手薄なはず……だが、油断しないでくれ。狩りの時みたいに足音も気配も消して――だが、今はこっちが獲物だと忘れないように」

「はい」


 それでも狩りに喩えて忠告すると、サララ姫は神妙な顔で頷いてくれた。助けられる者と助ける者というよりは、教師と生徒のようなやり取りかも。正直、この方がやりやすい。


 教えた通りに、狩りの時の足さばきで音もなく扉へと足を踏み出しながら――サララ姫が不安げに呟いた。


「私を攫ったの……ただの獅子族ではありませんでした。混血の……あんな人たちに連れて来られたのが、獅子の城だったなんて」

「そうだな……まあ、無事に帰れれば雪豹族から抗議もしてくれるだろうが」


 意識を失っていたように見えたが、姫も誘拐犯たちの姿をしっかりと見ていたらしい。混血強兵(クロスヴィゴー)にまで思い至ったかどうか聞く暇はないが、獅子族が誘拐なんかに関わっていたという一事だけでも異常事態だ。恐ろしく思ったとしても不思議はない。


「人間の国から魔道具も預かってる。俺の力と知識と経験の全てを賭けて、守ってやる」

「ラヴィ様……」


 俺の言葉で、姫の表情があっさりと緩むのが怖いほどだった。助けに現れたとはいえ、今日出会ったばかりの男を、どうしてこんなに信じてくれるんだろう。


 姫の手がそっと伸ばされて、俺の手に触れた。動きは多少制限されるが、これで姫が安心できるなら仕方ないだろう。なるべく力を込めず、馴れ馴れしくならないように小さな手を握り返しながら、俺の心に黒い稲光が閃いた。


 森の入り口に向かった獅子族の中に、誘拐犯の混血どもは見当たらなかった。堂々と人前に出られるような連中じゃないから当然だが――それなら、奴らは今もこの城内にいる。


 なのにどうして、今まであいつらに出会わなかった? 臭いさえも近づいては来なかった。折角捕らえた雪豹の姫なのに、お粗末な牢に放り込んだだけで見張りもつけていなかったのはどうしてだ?


 俺の手がちょうど牢の扉に触れようとしているところだった。鍵はもうないから、さっさと押し開けて。できるだけ急いでかつ静かにこの獅子の城から抜け出して、エリオたちが待つ森の入り口に駆け戻る――そうすべきだし、そうするしかないはずなのに。

 だが、そうしてはいけない、とも全身が訴えていた。勘や本能なんて大層なもんじゃない、もっとはっきりとした危険を、鼻が嗅ぎ取ったからだ。


 扉の外に、いる。例の混血どもと――純血の獅子。数が多い。気が立ってる、興奮した臭い。泳がされてた。待ち構えてる。


「――く……っ!」


 複数の思考が、電流のように全身を駆け巡る。混乱。それでも躊躇い迷う暇はなかった。敵の中に飛び込む恐怖はあったが、とどまったところで袋の鼠。それならこっちから攻めた方がまだマシだ。ただ、サララ姫がいる。


「きゃ……?」


 考えるより先に手が動いていた。姫を腕の中にしっかり庇いこんで、俺は体当たりするように扉を開けた。獅子の臭いが一層強くなる。そこにいたのは――


「ほう……まさかと思ったが、雪豹族の言い分は真実だったか。姫君を攫った混血が、我が城に潜んでいようとは」


 臭いが教えた通り、(たてがみ)を持った男たち。誘拐犯本人かどうかは分からないが、虎の縞で薄く体表を飾った者も、純粋な獅子の者もいる。目に入っただけで十はいるのが見て取れて数えるのを止めた。

 そしてその中にひときわ豊かな鬣を誇る、大柄な獅子の男。年配なのか、鬣の色こそややくすんで白い筋も混ざっていたが。こちらを見据える獲物を嬲る目の鋭さ、対峙した時の圧は若いはずの他の連中の非ではない。姫が脱ぎ捨てのに似た、豪華でたっぷりとした生地の衣装に、狩った獲物の骨を削った装飾品(アクセサリー)

 間違いなく、獅子族の中でもかなりの地位にいる男だった。


「てめえ……ここの領主って奴か……!」


 俺の腕の中で、姫が身体を硬くしたのが分かった。狩りのスリルと、多勢に無勢で囲まれて敵意をぶつけられる恐怖は全く別だから無理もない。女の子にそんな思いをさせてしまって、俺が声を荒げるのも良くないとは分かっていたが、唸らずにはいられなかった。

 領主の物言いは、おかしい。姫を攫ったのは獅子の混血なのに、実際その混血どもを従えてるってのに、この他人事のような言い方は、何だ!? まるで俺に罪をなすりつけでもしようとしているかのような。


「どこからどのように忍び込んだかは知らぬが全く不届きな。息子たちの牙の餌食にしてくれよう……!」


 咎めて憤る言葉とは裏腹に、獅子の領主は牙を剥いて笑っていた。雪豹のそれよりも遥かに太く長い牙が赤い舌に映える。その表情だけでも、知れる。こいつは全て分かった上で演技を楽しんでいる。


「ラヴィ様……!」


 身体を低くした俺の腕の中に、すっぽりと収まっているサララ姫が小さく鋭く悲鳴を上げた。領主の命に応えて、獅子族と混血の兵たちが姿を揺らめかせたからだ。彼らの輪郭がぼやけ、背が曲がり()()を地につき、口は尖り裂けて。獣人の力を最も発揮する、四つ足の姿に変化しようとしている兆候だ。


「――目を瞑れ!」


 四方から迫る殺意に、後ろに跳んで逃げたくなるのを必死に堪える。そんなことをすれば自ら道を閉ざしてしまうことになる。代わりに跳ぶのは――左! 利き手に姫を抱えて、余った左手に握るのは、エリオの魔道具。


「吹き飛べぇぇえ!」

「な――」


 情報屋の隠しポケットに倣って服の隙間に忍ばせていた、掌に収まるサイズの水晶玉。中には風の精(シルフィ)炎の精(サラマンドラ)雷の精(ヴォルテーア)が絡み合って小さな嵐を生んでいる。もっとも、じっくり眺める暇はないが。ましてこいつを投げた先にいた、運の悪い混血どもにも。


 水晶玉を地面に叩きつける。拘束から逃れた精霊たちは、本性のままに歌い踊る。それは、球体の中に止められていた小嵐が、辺り一帯に吹きすさぶということ。


「ぎゃあっ」

「ぐ……!」


 混血どもの悲鳴を聞きながら、俺自身も目を瞑りながら、その嵐に突っ込む。雷と炎に焼かれて身悶えする奴らを踏み越えて、突風に後押しされて前に転がる。嵐を突っ切ったのは一秒にもならない間、その間に目蓋の裏には幾筋もの光が閃いて。毛と肌が焦げる臭いは俺からも発しているのか。剥き出しの頬がぴりぴりする――が、姫は腕の中に守って。


 半ば風の精(シルフィ)に吹き飛ばされるようにして、かなりの距離を、跳ぶ。爆発に巻き込むことができたのは三人か四人か。奴らの数を減らしつつ、取りあえず包囲を突破することはできたはずだ。


「何をしている、追え……!」


 狼狽した領主の声に応えるのは、悲鳴と呻き声ばかり。直接は巻き込まれなかったとしても、不意に間近なところで起きた光と風の氾濫に、すぐに体勢を整えることなんてできるもんか。


「ラヴィ様……!?」

「走るぞ。それから――逃げる!」


 サララ姫がもがくが、離さない。どんな顔をしてるか確かめる暇もなかった。混乱から醒めれば、獅子たちがすぐに追ってくる。その前にこの城から脱出しなければならなかった。


 包囲を抜けるのに必死で、来たのとは別の方向に飛び出してしまったのが問題だが。

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