13. 再会
「……――っ」
胸にこみ上げる感情が何だか分からなくて、俺は唇を噛み締めた。さっきまでも緊張で息苦しいと思っていたが、この心臓を締め付けられるような思いは、何だ。サララ姫を見つけられた。とにかくも、声が出せる程度には無事でもあるらしい。それなら素直に喜べば良いのに、次はどうやって脱出するかを考えなきゃならないのに、どうしてこんな苦しさが最初に襲ってくるんだ。
「……誰? 何しに来たの……!?」
それでも、牢の中から聞こえる小さな声に我に返る。掠れているのに強がって、でも、それが余計に可哀想だった。何やってるんだ、こっち側が黙ってちゃ怖がらせちまうだけじゃねえか。慌てて息を整えて、優しげな声を作る。意識したこともないような真似だ、どれだけ効果があるかは分からないが。
「――助けにきた。今、開けてやる」
「え……?」
姫が息を呑む音を聞きながら、牢の鍵の造りを確かめる。獅子の連中、爪と牙によっぽどの自信があるのか、扉には人をバカにしたような簡単な錠が取り付けられているだけだった。短剣の刃が毀れるのに目を瞑れば、数十秒と掛からず壊してしまえるような。
「ちょっと音がするが、じっとしててくれ」
周囲に獅子の影や匂いが近づいてないか、それに何より扉の向こうで姫が身じろぎする気配を気にしながら、俺は極力音を立てないように作業した。閂を乱暴かつ適当にぐるぐる巻きにした鎖、を止める錠に短剣の刃先を突き立てる。火花が散るのに目を細めながら、金属がぶつかる鋭い音を立てること、数度。錠はあっさりと壊れて地面に落ちた。そのがちゃりという音に心臓が跳ねる思いを味わいながら、今度は鎖に取り掛かる。ここまでくれば、後はもう早いものだ。
錠の隣に鎖がとぐろを巻いて落ち、さらに外された閂が続く。後はもう、牢の扉を開けるだけだ。
分厚い扉を、後ろ手に閉める。鍵はもう戻せないが、せめて遠目には何事もなく見えるように。
牢の中は、外から予想した通りのじめじめとしたカビ臭い空間だった。地面に直に敷かれた鹿の毛皮。家具はなく、洞窟を椅子や寝台っぽい形に切り出しただけ、って感じの殺風景さ。蝋燭の炎は揺れているから、どこかしら空気の流れはあるんだろうが、とにかく薄暗くて湿っぽい。――そんな陰気な場所でも彼女の白銀の毛皮は輝いていた。
「貴方は……!」
扉を開けた瞬間は明らかに身構えていたサララ姫が、俺の顔を見て嬉しそうな声を上げた。見開かれた金の目に浮かぶのは、驚き以上に喜びで。安堵したように微笑んだ口元に、またなぜか俺の鼓動が怪しくなる。
なんだ、よく覚えててくれたな。ほんの一瞬顔を合わせただけだってのに。
思わず俺も頬を緩めかけて、慌てて内心で首を振る。覚えてくれてたこと自体は何でもない、そうだろう? ただ、顔を覚えてることで逆に誘拐犯と一緒にされたり一から説明しなきゃならなくなったりとか、そういう面倒を避けることができたのは良かった――そう、そういう意味での安堵のはずだ。
そう、自分に言い聞かせながら、俺はサララ姫に目線を合わせて地に膝をついた。雪豹族の長の血筋のプライドがそうさせるのか、囚われの身でも縮こまることなく、背筋を伸ばして岩の椅子に浅く掛けている。目立った怪我はなく、縛られても鎖で繋がれてる訳でもないのを確かめてまたほっとしながら、できるだけ短く分かりやすく告げる。
「行き掛かり上ってヤツで、あんたの氏族に雇われたんだ。お姫様を助けてくれってな。国とか種族とか関係ない身の上だからな、ここまで来れたって訳だ」
「そう、でしたか……。あ、あの! それだけのご縁で助けに来ていただいたなんて、こんな獅子の棲み処まで……何て、お礼を言ったら良いか……」
「いや、別に……」
街で会った時と同様に、手を握りしめられて大いに焦る。ただ、あの時と違って姫の目に涙が浮かんでいるのを見れば、無下に振り払うこともできなかった。温かく柔らかい感触からどうにか気を逸らそうと目を明後日の方に向けて――そういえばどうして引き受けたんだろうな、と今さらながら不思議に思う。
直接的な理由はエリオやクマルに頼まれたからだが――それを言うと、お見合い作戦のことも言わなきゃならなくなっちまう。多分、姫はクマルが――陽を覆う影の谷の若君が近くにいるのは知らなかったはずだから。ま、クマルが姫のために頑張ってるのは事実だし、その勇姿をちらりとでも見せられれば「お見合い計画」の目的は達せられるだろう。口裏を合わせるのは、ことが無事に済んでからで良い。
「……獣人の血を引く者としては放っておけないからな」
「まあ、何て立派な……」
無難なつもりの言い訳をして、だが、すぐに妙に格好をつけた感じになってしまったのに気づく。姫のきらきらと輝く目は尊敬の色を浮かべていて、これは、絶対に誤解を招いた……ような気がする。
勝手に覚えた気まずさを振り払おうと、俺は勢いをつけて立ち上がった。俺はあくまでも引き立て役、姫と長々と話しても良いことなんてないはずだ。
「そんなことより、さっさと逃げ出すぞ。雪豹の戦士たちも、森の入り口までは来てるんだ」
「はい! あの、お名前は? 何とお呼びすれば良いでしょうか?」
さっさと脱出して終わり。そう思ってるってのに、このお姫様は余計なことを聞いてくる。この状況で、お互い名前を呼び合うことなんてないだろうに。――だが、無下にすることはできなかった。姫の問いかけが遠い昔の記憶を呼び起こしたからだ。
『お名前は何て言うの? 何て呼べば良いの?』
小さな女の子の声――一体、いつのことだったっけ? 人里離れた両親と俺だけの暮らしに、他の子どもなんていなかったんだが。同じ質問だからってだけか? どうして今思い出したんだ?
「『半獣』のラヴィって呼ばれてる」
不意に浮かび上がった記憶に戸惑って――だから、俺はつい正直に答えていた。綽名を添えたのは、取ってつけたような牽制みたいなもんだったが。雪豹族じゃないとは最初に伝えてたが、改めて違う世界の住人だと告げておこうと思ったからだ。お見合い計画とやらはバカバカしいが、サララ姫はそれだけ付き合う相手には気を付けなきゃならない存在だ。決して、はぐれ者の傭兵なんかと親しくなってもらっちゃこまる。それはもう、あのふわふわした子猫みたいなクマル以上に。
「ラヴィ様」
突き放したつもりなのに。はっきりと線を引いたつもりなのに――サララ姫は、俺なんかの名を大切そうに呟いた。
「足手まといにならないように、気を付けますね。――どうか、よろしくお願いいたします」
「ああ……」
ものすごくおかしなことだったが、姫の言葉はいつかの記憶――よく覚えてないが――
を呼び起こした。
『邪魔にならないから! 一緒に行くの!』
さっきと同じ女の子の声だ。俺には遊び相手なんていなかったのに。何だってこの大事な時に大昔の曖昧な記憶に惑わされるのか――混乱していたから、俺は姫の言葉にまともに答えることができなかった。
不愛想と思われても仕方ないのに、まだ危機を脱した訳じゃないのに、姫がにっこりと微笑んでいたのが不思議だった。