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10. 急行

 都の城壁を出たところ、街道を外れた草原を馬車が走っている。状況はまだ不透明だし、何が最良の行動かも分からないが、誰も座して待っているということができなかったから。だから、まずは星降る銀嶺の氏族の戦士が姫の匂いを辿ることができた地点――獅子の氏族の縄張りの手前まで行ってみようということになったのだ。


「連中は樹上に上がって枝を伝ったりもして痕跡を消していたとか。人間では足跡を追えるかも怪しかったとのことですが。さすが雪豹族です」

「ああ、雪山で獲物を追う体力と嗅覚はさすが――っ()ぁ」


 ちょうど車輪が石か何かに乗り上げたらしく、エリオが派手に舌を噛んだ。整備された道ではないからしっかり捕まっていろと言われたのにバカな奴だ。


 道なき道を強引に進む以上は、車体も乗り合い馬車や金持ちの行楽用のものとは違って、荒い道も走れる頑丈なものだ。多分、本来は兵や食料の輸送なんかに使うもの。だからこそ乗り心地も悪い訳だが。曳く馬も頑丈な軍馬で、俺やクマルを見ても怯えない賢さと豪胆さを持ち合わせているようだった。雪豹族の戦士たちが四つ足の獣の姿で走って先導する――ウサギやら鳥やらが驚いて逃げる光景にも、戸惑うことなく後をついて駆けてくれてる。


「あんたは走らないのか? その方が早いんじゃないか?」


 車中にいるのは、俺とエリオと、人間の役人と軍人が何人か。それに、クマル――陽を覆う蒼い影の谷の若君だった。純血の雪豹族である以上、当然獣の姿にもなれるはず。激しく揺れる馬車に、むさくるしい男どもと詰め込まれるよりは自分の脚で走った方が気分も良いだろうに、二本足の姿のままで乗り込んでるのが不思議だった。


「すみません……僕は、あまり谷の外に出ることがないので……こういうところを走るのは慣れてないんです」


 例によってしょんぼりと耳と尻尾を垂れさせたクマルは、目尻を下げて自分の掌を見下ろしている。白銀の被毛に薄く覆われたそれは、形は人間と変わらない。だが、雪豹の姿になった時は、そこにある肉球は飼い猫のそれみたいに柔らかいのかもしれなかった。


「お坊ちゃんだとそんなもんかねえ。狩りもしないんじゃつまらなそうだが」

「雪豹なのに面目ないです……あ、でも、サララ姫は嶺を駆けるのが好きで狩りも嗜まれるそうなんですけど!」

「……そうかよ」


 クマルは、多分雪豹族の評判を気にして言っただけだろう。俺の声と表情から批判的な空気を感じて、雪豹の美しさや、しなやかな強さを忘れていない者もいると言いたかっただけだろう。

 ……だから、白銀の毛皮を纏って雪山を駆ける姫の姿を想像するのは間違っている。黒い斑点の模様が敵や獲物の目を欺いて。それでも身動きする度に艶やかな毛並みが太陽を反射して、その肢体の優美さを見せてしまうんだろう。長い尾でバランスを取りながら、雪を跳ねて。舞うように飛ぶように、そして誇らしげに。


 そんな姿は、雪豹族なら誰だって同じはずだ。姫が特別綺麗だなんてはずはない。俺が妙な想像をしちまったのは、水の精(ウンディーネ)の水鏡や、一瞬だけ会った時の着飾った様子からは想像できない意外な面を知ったから。それで少し驚いたから、それだけだ。


「あの、ラヴィさんこそ窮屈じゃないですか……? 二本足でも、あんなに速かったのに」

「混血の中には四つ足になれるヤツとなれないヤツがいる。片親が人間かどうかとか、親の組み合わせによって出来ることと出来ないことは色々だ」

「……すみません、失礼なことを……」

「別に良いさ」


 余計なことを考えていたなんて知られたら、恥ずかしいことこの上ない。それにクマルが口にしたのは純粋な疑問で、悪意なんてないのは明らかだった。だから俺は――もしかしたら不敬ってヤツに当たるのかもしれないが――項垂(うなだ)れてしまった銀色の頭をぽんと撫でた。


 そう、混血の獣人は個体によって能力が違う。あの誘拐犯どもが二本足の姿のままで襲い掛かってきたのは、俺を舐めてたからってだけかもしれない。相手の戦力について、十分注意する必要がある――そう考えながら、俺は人間どもに視線を移した。クマルに対するのとは違って、大分険しいものになったに違いない。


「こんなに近くに獅子の縄張りがあるなら、どうして言わなかったんだ?」


 知ってることは全て話せといったのに、これだ。獅子の領域として有名なのは、もっと南の乾いた草原だ。獅子の混血が絡んでいると分かった時点で、こんな飛び地の縄張りの存在は思い至ってしかるべきだ。

 そんなことも分からない間抜けなのか、それとも何か企みがあってのことなのか――鋭く睨みつけると、相手はそっと目を逸らした。馬車の激しい振動で酔ったからという訳じゃないだろう。


「……条約締結前の戦争で領土を取られた、その名残がずっと続いている。領主は保守的な獅子族で、人間の国とは没交渉だし……混血に関わるような男とは、とても……」

「プライドの高い連中だからな。だが、混血強兵(クロスヴィゴー)を造り出したのは、まさにそういうヤツ等だろうが」


 人間の国まで攻め込む好戦的な気質。それを実現させるだけの力。それに自らの種族への誇りが組み合わされば、いかに強い兵、強い軍を作るかという発想に向かうのはそう意外なことでもないはずだ。虎と獅子の混血は、混血強兵の典型的な例でもあるはずなのに。


「条約の手前、っていうのがあるからね。獣人は保護すべき存在――人間の側から疑いをかけるような真似は、やりづらいってことさ」

「誘拐犯どもがそれを承知で逃げ込んだ、という可能性もあるが。同胞の血を引くからといって獅子族が庇うとも考えづらいが……少なくとも、人間の追及は躱せると考えたのかどうか……」


 エリオと役人の言い分は、もっともらしさと言い訳がましさが絶妙に混ざり合って同居していた。一応の理屈は通るが、だからといって頭から信じることもできない、という。

 ただ、こいつらを疑ったとしても、それはそれで事態が見えてこないのも事実だ。確かに人と獣人は手を組まないもの。獅子族の関与を疑えば、こいつらは(シロ)と考えて良い、と、断言することもできないが。どいつもこいつも怪しく見える状況の、どこまでが偶然でどこまでが仕組まれたものなのか。どこまでが意図的に見せられたもので、どこまでが予定外のことなのか。――今は、何も分からない。


 それぞれに理由は違うのかもしれないが、車内には行き詰ったような重苦しい空気が立ち込める。中でも不安な思いを明らかにしているのが、正直な耳と尻尾を生やしているクマルだった。


「雪豹族としても、どうすれば良いんでしょう……? 獅子の縄張りに勝手に入ったらそれも条約違反になりかねないし。父上――っと、谷の長か、銀嶺の長を通して獅子族に話をつけるとしても、時間が……」


 毛足の長い尻尾が、隣に掛けている俺をしきりに叩く。多分無意識に動かしてしまっているのだろう、痛いというかくすぐったい。もしかしたら口元に運びたいのを我慢しているんだろうか。


「空間転移の魔法陣をお貸しするのはどうでしょう? もちろん値段はそれなりですが、こちらの見通しが甘かったこともありますし、勉強させていただきますよ」

「勉強……?」


 辞書通りではない言葉の使い方を、多分クマルはちゃんと理解しなかったのだろう。エリオの方を向いてぴくぴくと動く耳が、提案の意味を必死に考えていると教えていた。


 こいつ(エリオ)、非常時だからって吹っ掛けるつもりだな……。


 それも、相場の分かっていない子供相手だ。さぞちょろい商売になるんだろう。まあ、確かに転移陣は良い手段だし、谷や嶺の長たちもこの事態で金を惜しんだりはしないだろうが。――それでも、獅子族の長が取り合ってくれるまでに、時間がどれだけ掛かるか分からない。獅子族が関わっているなら交渉はまず無駄になるし、そうでなくても同族の血を庇って雪豹族の声が聞こえない振りをするかもしれない。


 それなら――


「獅子の巣には、俺が入ってみる」


 ぽつりと呟くと、車内の連中の目が俺に集まった。きょとんとしたクマルの目、人間たちはさすがに意味が分かったのが驚きに目を見開いて。エリオがにやりと笑ったのは、少し気に障ったが。


「人でも獣人でも絡みづらいなら、俺が行けば良いだろう。何しろどっちでもないはぐれ者だからな。姫を助けられれば良し――少なくとも、様子くらいは見て来れる」


 エリオは最初、俺にぴったりの仕事だと言った。バカバカしいお見合い計画とやらに適役と言われたのには腹も立ったが、こうなると本当に俺で良かったことになる。それすらも出来過ぎな気がしないでもないが――気にしている場合じゃ、ない。


「獅子どもの気を逸らすのは、頼めるな?」


 疑問にも懸念にも蓋をして。俺は危険と、あるかもしれない戦いへの覚悟を決めた。


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