空は永遠にそこに在る
空は永遠にそこに在る
しかし、そことはどこのことだろう――
妖精が見えると言ったら狂人だろう。だが、妖精を見たいと言ったらどうだろう。
冷ややかで硬質な床に、天井からの雨漏りが水溜まりを作る。水溜まりを泉に見立て、壁の苔や茸を森としよう。私は狂気に彩られた視界を想像してみた。狂おしい視界のもたらしてくれる世界は、果たして仕合せを運ぶだろうか。それとも、妖精たちの世界に閉じ込めて、現実的な生活から切り離してしまうだろうか。
空想の遊びは、僅かな悦びを与えてくれはしたが、いわゆる現実逃避でしかなかった。なんにせよ、今ここで絶望と退屈を同時に味わう私にとっては、妖精の存在は昨日までの自分を忘れさせる一時の慰みでしかない。
明日の見えない塔の一室で、なんど過去を夢見たことだろう。それはいつも温かい日の光で始まり、薄ら寒い曇り空に包まれた後、爆発したような雨で終わるのだ。繰り返される夢は私の人生そのものだった。気分の良い所から怪しい雰囲気に手を引かれて、行ってはいけない場所で落ちていく。嗚呼、せめて一生の支えとなるなにかさえあれば、暗雲の上で輝き続ける太陽のようななにか……。
私の物思いは、外からの轟音でそこで途切れた。
俄かに屋内が騒がしくなる。私以外の住人の様子はよくわからない。けれども常識的でない空気というのは感じられた。命に関わる不穏さが鎌首をもたげていた。数か月の間に、何十回もあの轟音を聞いている。正体を教えてくれ。あの音に慣れるということはなく、ひたすら恐怖だった。
それから数日もしない内に、爆発が起きた。物理的な現象だったかも知れないし、比喩的に用いられる言葉の綾だったかも知れない。よく覚えていない。今でも思うのは、絶望と退屈に興じていた爆発より前のあの頃こそが実は、少なくともこの塔における、最も安穏とした時間だったということだ。
高い鉄格子の窓を見上げると、雨が降っていた。雨音は聞こえなかった。大勢の走る音が掻き消しているのに違いない。私は扉を叩いて、事態の説明を求めた。その試みはまるで、突風に話しかけているようだった。
風はいつか止むものだ。風が嵐なら、荒涼さを残すこともある。扉の覗き穴から窺える情景は、まさに嵐の後の有様だった。
私は扉を打楽器のように扱って、叫び、誰かと連絡が取れるのを期待した。その期待は裏切られなかった。私以外の住人が、私と同様に、扉と声によって意思の伝達を図ったのだ。私と彼らにとって不幸だったのは、私たちは同じ境遇だったということで、幸福だったのは、隠しようのないほど落胆しようが、隠す相手は強く隔てられていたということだ。
最初の数日は、渇きにせっつかれた呻きだった。渇望の呻きが消えると、餓えと親しむ羽目になった者のぼやきだった。悲痛なぼやきが収まると、神に祈りを捧げるように神妙な時が流れて、沈黙だけが私たちの会話だった。時折に静寂を破るのは微かな生活音の他になく、それも徐々に小さくなる。
ある時分から、生活音とは異なった、なにかを引っ掻く音色が聞こえた。日を追うにつれ、その音色は合唱に似た気色を帯び出す。私は始め、それを心地よく聞いていただけだった。けれど、何気なく音色がなんの音であるか考えたとき、すぐに明らかとなった。私は即座に音楽の一員となった。
やがて希望の音も絶え始めた頃、ついに一つの扉が倒れ、その重々しい金属音が空間全体に響いた。私を含めた生き残りの幾人は、久方ぶりに大声を上げた。やり遂げた仲間に救いを求めたのだった。いくら声を張り上げても、一向に変化はない。気付くのに長い時間は要さなかった。なにが仲間だ。顔も知らず、名前も知らず、唯一の接点になりえた声すら交わさなかったのだから。
この日を境に、物音を立てるのは私だけとなった。きっと、みんな疲れたのだ。今の状況に追い込まれて身に染みたのは、人は精神によって生きているという事実。食物や水はそうだが、それ以上に、生命への期待を失った者から死へと向かうのだ。推察するに彼らは、不意に高い期待の位置に持ち上げられ、容赦なく落された。それでやりきれなくなってしまったのだろう。私も同様だったが、私には生命への期待が残っていた。
食物や水が途絶えたあの日から、私はこの部屋にあるものを口にせざるを得なかった。以前から雨漏りからの水で喉を潤すことはあったが、それとは別にあるものを口にしようなどとは、一切考えていなかった私にとって、命を繋ぐとは苦痛であった。
最初に試したのは茸だった。これは運良く無害の種類だったようで、以降私の食生活を支えた。しかし茸を食い尽くせば待っているのは破滅だ。だから私は、苔を口に含んだ。これは私の腹を害した。とはいえ、少量であるならば私の嫌悪感だけで済むことも後に解り、食べないという選択肢はなかった。そして、時たまこの狭い房に迷い込む昆虫。間違いなく高い栄養源だった。一度か二度、鼠にありついたこともある。鼠の通る穴は、私に利用できそうもなかったが、その穴を見つけたときの喜びといったらなかった。いや、喜びはなかったかも知れない。皮肉めいた運命への空疎な憤りと、自嘲めいた微笑みだけは確かに存在していたようだが。
当初、私はそれらのものを食することについて忌み嫌った。茸を口に運んだときでさえ、限りない不安と二度と目を覚まさない可能性の恐怖とによって、涙が滲んだ。苔を飲み込んだときには屈辱感すらあった。ゆっくりと私の人間性は剥奪されていた。昆虫を必死で捕らえたとき、私の頭には空腹を満たすことしかなかった。鼠で腹を満たしたとき、神に感謝すらしたのだ。
冷静に考えれば、私は茸と水だけで生き、そして私の息が止まるのを待っていれば、そのような思いもしなかった。そうしなかったのは、揺るぎない精神的支柱が、私の胸にあったからに違いない。その柱が、私に生命の継続に期待を抱かせたのだ。
私は空を見上げていた。高い位置にある窓、鉄格子が十字に埋め込まれている。私は何度だって腕を伸ばし、空に触れることを思い描いた。空には澄み切った色があった。穢れなき色があった。それはつまり、光そのものが持つ色であった。私の小さな心臓は震え、呼吸は咽た。立っているならば膝を屈さずにいられない、深く計り知れない感動をどれほど体験しただろう。一度や二度などと、形容にしても馬鹿馬鹿しいほどの回数、私は空に打ち震えた。
かつてはなに一つ見出せなかった空に対し、私は何遍も屈服し、感謝の言葉を胸中で反芻した。思えば、空への憧憬は、私が生命を繋ぐことへの苦痛を感じなくなることに比例して、増していったらしい。具体的に言えば、昆虫を口にする前の私と、昆虫を口にした後の私、そして日常的に昆虫を口にしてなにも感じぬ私とでは、順に空への愛が深くなっていったということだ。空は私に生き甲斐を教えてくれたのだ。さらに空は私に命を供給してくれた。雨のことだ。私の房の雨漏りは、晴れの日でも続いた。おそらくは、雨が建物のどこかに溜まり、それが偶然にもここの天井から滲み出しているのだろう。そうして、晴れは私を勇気付けた。雨は私に水を寄越し、私は空によって生きていたのだ。
私は空に触れたくなった。空こそが私の命を照らす唯一のものだった。私は空をこの手で感じたかった。いくら手を伸ばそうと、届かない鉄格子の窓が、空から私を阻むのだ。
空に触れたい。その想念は私の行動の意味を変えた。いつからか合唱となりやがて消失することになった、扉の蝶番を削り取るという作業は、私にとって明日への浅はかな希望ではなくて、果たさなければならない使命となった。房を塞ぐこの扉は、地面と少しばかり隙間があった。扉自体も鉄製で重く、蝶番が弱まれば自重で壊れ、脱出できるという寸法だ。以前は無謀で実現の見込みもない計画だったが、今では仲間ではなかった誰かが現実にできると証明せしめた計画だ。
スプーンを用いて、時には素手も使ってみたりしながら、私は幾日も幾日も蝶番を削り取ろうとした。尿を掛けることが、蝶番の腐食を進行させる限られた手段だった。今日が駄目なら明日、明日が駄目なら明後日、私はひたすら今日ではない明日に賭けた。閉じ込められ、助けの来る憶測すらない身の上では、無駄になる時間など存在しなかった。一瞬一瞬が、いずれ来る諦めの日の光景かもしれず、だったらそれを打ち破るために行動している今は、最上級の価値を持つはずだった。
全ては簡単なことではない。虚しさに首を絞められるような日があった。閉塞した世界へ殴り掛かったこともある。生命にまつわる活動のなにもかも一切合財が苦痛であり苦悶を呼んだ。どれだけ不感症になったところで、苔やら昆虫やら鼠やら、旨く感ぜられるわけではない。どんな希望を掲げたところで、望み通りにゆくわけではない。私にとって実際的であり、真の救済足りえたのは、やはり空だけだった。空だけは確かにそこにあり、いつでも私を一人の人間にした。触れられない空を思う度、私は執念を燃やすことができた。
今日こそは、そう思ったことも数え切れない。裏切られた数も同じだけある。そんなときは空を見るのだ。空は永遠にそこに在り続ける。逃げもせず、隠れもせず、故に空は空なのだろう。私の生命活動が途絶えても、空は空に存在し続けるだろう。その当たり前の事実は、驚くべき奇跡だった。私は奇跡に触れんがため、苦痛を繋いで命を繋いだ。
空は無限に昼と夜を供給した。あるときは夏の日差しを、あるときはささやかな雪を、慰みに私にもたらしてくれた。暑さ寒さの中でも、私は生き延びていられた。ひとえに、空によって紡がれた私の魂の気力だと思う。私は夏と冬の間で秋を知り、冬と夏の間で春を知った。重ねた年月は、そろそろ私の活動が限界であると告げ始めていた。私によってではなく、私のいる建物に寿命が来たのだ。度々、崩落の音がそこかしこで聞こえるようになった。急がなければならない。
脱出を、空への接触を目指してからどれだけの時が過ぎたことだろう。私に終わりの時が来た。積み重ねた歳月は、ついに私を裏切らなかった。私は、扉を突き倒すことに成功していた。蝶番はついに破壊され、扉は自重で自分を責めた。鍵もいよいよ圧し折れた。私はとうとう自由を手に入れた。
念のため、他の房を見て回る。私を除いた全員が、干からびてしまっていた。中には、瓦礫に埋もれてしまって、全くわけのわからない状態の者までいた。私の頭上でいつ崩落が起きても不思議はなかっただろう。その意味で、私に命を与えた雨漏りは、私の命を奪うこともできたのだ。浸水しているということは、盤石でないことの証左だから。
私は運命的な驚きを覚え、自らの為すべきこと、したかったことを思い出した。私は思うように動かない足を引きずって、空へと近付くことにした。
狭い房での長い生活と足りない栄養は、私の体から力を取り払ってしまったらしい。二本の足だけで階段を上ることができない。辛いけれども、それ以上の歓びが待っている。
そうして、私は随喜の頂上に居た。私から空を遮るものはない。四角く切り取られた空でもない。無際限の空がそこにあった。私は腕を、あれほどにまで夢見た空に向かって、伸ばした。
私の指は風を撫で、空には触れなかった。そう、空は依然としてそこに在り、私の眼前から障害物は取り去られているというのに。私の手は空を触れなかった。
なにかがおかしい。私は周りを見回した。ここより高い場所などない。こここそが空に最も近い場所であり、空と親しむ位置であるのに、私は腕を伸ばしてみても、倒れそうになりながら背伸びをしても、一向に、空を感触することがなかった。
理由を考えたとき、私はすぐに直感した。思い当たる節があったのだ。どうということはない。私は妖精に触れようとしていただけなのだ。
自分の身に起きたことが分かった私がどうなったか、もはや語るまでもないことだろう。聞いてくれる人がいたならば。




