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 87 流れ落ちる血の想い

 血やら痛い表現が少し出てきます。 苦手な人はごめんなさい。

 白い顔からさらに血の気が消えていく。美しい顔に、表情がないまま緑の瞳が見つめてくる。その中にある表情を読み取ろうとしても、何も感じない。

 異様な王妃の様子に、テラス中の人々は戸惑っていた。エリドゥの家臣達や侍女達も、立ち尽くす王妃の様子にうろたえている。

 

 「ファリデ王妃殿下? 」


 言い過ぎただろうか。やりすぎただろうか。追い込みすぎただろうか。

 不安が、心の奥底を波立たせる。チラリと玄徳と視線を合わせた瞬間だった。

 王妃の体が風に吹かれるように傾いた。光り輝く冠が頭から落ちていく。結い上げられた髪が、解けて宙へ広がる。

 ゆったりとした衣の影に、海より深い蒼の宝玉が煌めく。結い上げていた王妃の髪に飾られていた髪飾りだ。

 倒れこむように飛び出してきた王妃を視界に入れながら、側に居たコムを玄徳へ押し倒す。何も考えず、手が動いていた。足が前へと踏み出していた。

 その鋭い髪飾りの先端めがけ、自分から飛び込んでいた。


 「きゃあああ! 」


 耳にコムの悲鳴が届いた瞬間、腹に灼熱の痛みが走る。思わず掴んだ王妃の腕に、生暖かい血が飛び散る。これは、自分の血だ。

 王妃の薄桃と空色の長衣に、鮮やかな紅の紋様が出来上がる。


 「ハルンツ! 」

 「ハルンツはん、ハルンツはん! 」

 「捕らえよ、いや、王妃殿下を止めよ! 大神官様をお助けせよ! 」

 

 悲鳴と怒号が交錯するのを、遠くなりそうな意識の端で聞く。

 駄目だ、これじゃ、駄目だ。

 王妃の荒い息が、頬にかかる。手の奮えが、腹に突き刺さった髪飾りから内臓まで伝わる。王妃の動揺と、恐怖が染みてくる。

 駆けつける人々が、王妃の手に触れた。思わず、その手を叩き落としていた。


 「下がれ、下がって! 」


 ここで、離れる訳には、いかない。やらねばいけない事がある。言わなきゃ、いけない事がある。


 「大丈夫。だから、下がれ! 」


 腹が焼けるように痛い。熱い。ドクドクと、体の中に心臓の脈打つ音だけ感じる。生暖かい血が流れ落ちるのを感じながら、コムを振り返る。

 大粒の涙を零し、玄徳(げんとく)に抱きかかえられるように立って泣き叫んでいる。


 「大丈夫。ボクは、死なないよ」

 「まだその口は喋るかえ! 減らず口、閉ざしてやろうぞ! 」

 「うぁ! 」


 刺されたままで、手首を反転される。傷口を抉られ、さらに押し込まれる。思わず王妃の腕を放し、激痛の腹部を抑える。

 流れ落ちる自分の血の元に、ありえないほど深く髪飾りが刺さっているのを見てしまう。飾られた青い宝玉が血にまみれて禍々しい光を放っているのを見て、意識が遠のく。それを、コムの悲鳴がなんとか耳に届いて意識を踏みとどまらせた。

 

 「許せぬ、許せぬ、私のベザドを、ベザドの幸せを踏みにじった! あの子は」

 「王子の幸せは大陸の覇者じゃない! 」 

 「判らぬであろ。王族としての共生能力が少ないあの子が、王宮でいかに肩身が狭いかなど、判らぬであろ! ならば、絶対的な権力を手にせねば生きて行けぬのよ! あの子にとって、大陸の覇者こそ生きる唯一つの道じゃ! 」

 「自分の行為を棚上げして、勝手を言うな! 」


 抱き合ったまま、罵りあう。腹に刺された髪飾りで繋がれたままで、気力を振り絞る。流れ落ちる血が、少しずつ多くなるのを感じながら、息がぶつかるほど迫った美しい顔を睨みつける。


 「あなたが、王子を追い詰めているんじゃないか! 親なら、親となるなら、生れ落ちる子どもの運命を考えてヤれ! 子どもは、何時だって、どんな親だって、愛してるんだぞ! 」


 そうだ。自分の魂をこの世に繋ぎとめてくれた人だから。それがボクの父さんのように殴り飛ばす親だろうと、王妃のように過酷な道を歩ませる親だろうと、無条件で子どもは親を慕う。


 「愛してればこそ、じゃ! 全ては、ベザドの幸せを思って」

 「そう思うなら、ただ抱いてあげればいい! 」

 

 全身全霊で、抱きしめてくれればいい。それ以上、何も望まない。多くを望みはしない。


 「ただ、傍らで生きていてくれれば、それでいいんだ! ただ、認めてくれればいい。ありのままの、無力な存在でも認めてくれればいいんだ! 」

 「そんな事は出来ぬ! ベザドは、王とならねば、生きてゆけぬ! 」

 「そんなもの、捨てればいい! 生きていけないなら、王なんてそんなもの、捨てればいいんだ! 」

  

 小刀を握る王妃の手を掴む。髪飾りを抜こうと、最後の力を込める。見据える王妃の緑の瞳が、大きく揺れた。


 「母が、そこに居れば、何も望まない……ああぁ! 」


 焼ききる痛みと共に髪飾りが王妃の手に残って抜ける。ふらつく体を、テラスの壁が支えてくれる。鮮血が流れ落ちる腹を押さえ、痛みで乱れる呼吸を何とか抑えようと、肩を揺らして息をする。

 真っ赤になった王妃が、呆然と立っていた。髪は乱れ、血で豪奢な衣を濡らして立ち尽くしていた。さっきの勢いが嘘のように、うろたえていた。緑の瞳が宙を彷徨い、色を失ったままようやく視線が合う。


 「本当に、傍にいればいいのかえ? そなた、死ぬのかえ? 妾は、人を殺めたのかえ……? 」

 「勝手に、殺さないで下さいよ……ボクは、死なない」


 息を整え、ゆっくりと口笛を吹く。辺りの精霊達が光を差し出してくれる。体の奥の振動に意識を向けて、粒を構成していく。

 傷んだ内蔵に、切れた血管に、粒をつなげていく。流れ落ちていた血が、少しずつ止まっていく。

 息絶え絶えの口笛で、精霊の光が腹の周りに集まっていくのが見えるのだろう。コムは泣き止み、貴賓席の王達から歓声が上がる。

 歓声ではなく、一緒に唄って助力をして欲しいぐらいなんだけどな……。

 恨めしさ半分、力不足の自分への苛立ち半分、顔を上げて王妃を睨みつける。

 

 「貴方も、死んだら、駄目ですよ。王子と、これから生きて、いかなきゃ。罪なら、生きて、償わなきゃ……」


 逃げるな。犯した罪から逃げるな。どんなに辛くても、この世界に生まれさせてもらったんだから、死んで逃げるな。

 あの王子に、母を失くしたボクの思いはさせない。ボクと同じ、戦を避ける為に、運命に向かい合おうとしている王子に、こんな思いはさせない。


 「もし、死んだら、黄泉の世界まで、連れ戻しに行きますからね……」

 「おおぉぉうう」


 真っ赤な手から、血にまみれた髪飾りが落ちる。獣のように叫び崩れる王妃に、駆けつけた武人達が丁重に、その身を取り囲んだ。

 それを確認した途端、体中の力が抜けていく。


 「ハルンツはん! 」


 悲鳴と共に、コムが駆け寄ったのを感じた。ただ、耳鳴りがする。視界がかすんでいく。握られた手も冷たく感触が曖昧だ。


 「やだな……傷は、塞いだよ。ただ、少し血が流れすぎただけだよ……大丈夫」

 「大丈夫やない! あぁ、あぁ、精霊を! 加護の光を! 」

 「玄徳(げんとく)さん、いる? 」

 

 駄目だ、もう、あんまり見えない。濡れた感触のするコムの頬を撫でながら、気配だけで話しかける。


 「後の始末、お願いします。ボク、少し、寝るから」 

 「ハルンツ! 」


 ただ、寝るだけだよ。まるで死ぬ人に叫ぶようにしないでほしいな。


 騒然となったテラスの音の向こう、慌ただしい足音の向こう、懐かしい声が聞こえてきた。


 「ハルンツ! 」

 「ちょっと玄徳(げんとく)! なんでハルンツ守ってやんないのよ! 」


 あぁ、この罵声は、マダールだな。下の広場からこの混乱を聞きつけて駆け上がってきたのだろう。

 この広い世界の中、李薗(りえん)の皇子だろうが、皇帝だろうが、彼を怒鳴りつけられるのはマダールしかいない。

 皇帝を呼び捨てで罵倒する奏者。見物だっただろうな。この光景、見てみたかったのにな。


 口元が、緩む。

 そう、感じたかったのは、この温もり。聞きたかったのは、この声達。

 遠くなる意識で、コムに抱きかかえられる温もりを満喫しながら微笑んだ。


 

 

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