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 86 調律

 「ここで、妾を愚弄するか? クマリの新族長よ。列国の王達の前で、妾を侮辱するかえ? このエリドゥの王妃を」

 「王妃殿下こそ、深淵(しんえん)の大神官を侮辱するのか」

 「この子どもが大神官だという証は? 下級神官の着物を召された大神官など、笑止よ」

 「下級神官が空から風の精霊と舞い降りる。そんな事はありえないでしょう。いえ、いくら深淵(しんえん)の神官といえども、空から降りられる者などいないでしょう。各々方、答えは明白。我らの新しい時代の旗頭を……」

 「黙りぃ! 李薗(りえん)の皇子ごときが何を言うても戯言よ」

 

 ファリデ王妃の放った言葉に、玄徳(げんとく)の周りが色めき立った。玄徳(げんとく)が片手を挙げて周りの武人を制止させる。が、ファリデ王妃へ媚びるような笑みを浮かべて頷くもの達もいる。

 貴賓席の雰囲気がクマリと李薗(りえん)側、エリドゥ側とで別れていく。


 世界を左右しようと、いうのか。その欲望で、数多の民を道連れにするつもりか。

 可哀そうなほど、何も判っていない。何も判ろうとしない。何も受け入れない。


 「ベザド王子殿下は、グムタン様と海軍将軍へ会いに行かれましたよ」


 ボクの一言で、王妃の赤い唇が固まった。


 「王子は、全て察していました。だから、戦を止めようとしています」

 「そ、そなたらが謀ったか! あの子に何を吹き込んだのだ。グムタンの屋敷に留まらせた上に、妾から離したのはそなた達であろう! 何を企むのだ! 」

 「貴方は、何も信じていないから。だから疑うんでしょうね。王子は、自らの意思で屋敷に留まったんです。本当の自分を知るために」


 白い肌が、見る見る紅潮していく。美しく引かれた眉が歪み、耳にあしらった宝玉が小刻みに揺れる。

 美しさが、崩れていく。湧き上がる感情で、歪んでいく。

 その変貌を見つめながら、ここにベザドがいなくてよかったと、心底思う。こんな母親の激変を見せられない。


 「王子は、何も望んでいません。ただ、今の幸せを」

 「その為には、そなたが邪魔だ! 」

 「貴方と、王子の幸せは違う」

 「違わぬ! そなたに何が判る! 」

 「うん。ボクが判る事は僅かだ。でも、このままではいけないのは、判る」

 「小賢しい! 」


 周囲のざわめきを払うように、大きく手を振り上げた。細く白い腕が、天を指す。


 「風笛を! 音叉を鳴らせ! 」

 

 広場の群集の中から、甲高い音が鳴り響く。精霊を使役するその音が捉えられるのだろう。幾人かの貴賓席の王族達が耳を押さえて崩れていく。コムでさえ、顔を歪ませて耳をふさいだ。切り裂くような振動を感じなくとも、突然現れる疾風に群集がうろたえ出し、広場のあちこちから騒動が起きる。


 「その身、やはり邪魔だ! 」

 「リリス! マダール! 」


 音が要る。この忌々しい振動を断ち切る音。

 広場に向かって叫び、口笛を鳴らす。細く、遠くへ、より響き渡るように。そう、この音が欲しい。風笛と相反する振動の、この音が欲しい。

 この息吹は、風の音。大気を乱す振動を、吹き飛ばす。

 これは人の声。これは大気と溶け合う音。血潮を送り出す音。この星の響き。

 口笛の音と重なるように、琵琶の音が響く。三線の弦が震える。そう、欲しかったのはこの音色。この響き。

 弦が震える。共鳴する。響き渡る。空気を清める、この音色。螺旋を描いて昇る光。水面の波紋のように広がる振動。

 その時、疾風と共に純白の大鷹がテラスに飛び込んだ。うずくまる人々の頭上から奥に飾られた一振りの太刀に飛びかかり、鋭い爪で太刀を掴むと翼を広げて飛びあがる。そのままテラスの上を一回りし、ハルンツの上で太刀を落とす。

 手中に落ちてきた太刀を夢中で受け止めた途端、脳裏に光が爆発する。放つべき旋律が飛び出した。


 「 唄え子どもら 精霊と共に 舞え子どもら 星の光の下で 」


 漆黒の闇が広がる。そして、相反する力。溢れる光。眩しくて何も見えない。絶対的な、力。

 そう、二つは同じ。ただ、二つがあるから、互いが存在できる、危うくも絶対的な関係。これが世界の始まり。

 これは、星の雫。


 「 回れ回れ 世界と共に 太陽と月と この星星と 光輝いてゆけ 」 


 感じるままに手の中の太刀を、抜く。黒光りする刀身が、空気に触れる。そこから音が途切れていく。風笛と音叉の振動が切れていく。

 握る太刀が、震えていた。次第に強くなる振動に手が震える。しっかりと握るほどに、振動が体の奥底の粒まで揺らしていく。

 鞘を抜き放ち、宙へ捧げ持つ。

 琵琶の音、三線の音、ボクの唄、太刀の振動。全てが合わさって、世界に響く。

 

 「 回れ回れ 千夜を巡れ 地と時の果てまでも 」


 空気の粒が整えられる。肌で感じる感覚。琵琶が震え、三線が震える。その心地よい唄が零れていく。自分の中から、溢れていく。

 心地よいこの響き。これを全てが感じて欲しい。心の奥底へ、届け。その凍りきった心へ。乱れきった地の軸へ。

 天へ上っていく振動が、光を帯びていく。これはまるで、天鼓(てんこ)の泉で見た光の柱。

 

 「これは……これこそ、大神官の証ですな。今年の奏者も、決まったようだ」


 風は収まっていた。音叉の振動も、風笛の音も消えている。歓声が広場から沸きあがっていた。希望溢れる声が、雲間から差し込む光のように明るくテラスまで届いていた。

 最後の弦の残音が消えていく。立ち上がった光の柱も薄く淡く消えていく。広場では、リリスとマダールが空を見上げていた。もしかしたら、自分達の音が作り出した光の柱が見れたのかもしれない。ボクも立ち上がったコムと、その壮大な光景に見蕩れていた。

 立ち尽くすボクの横に、ジクメが鞘を持って傍にやってくる。


 「大黒丸は、ハルンツをも選んだようだ。よくぞ、鞘を抜けましたな」

 「これが、大黒丸……なるほど」

 「私ですら先の継承式でようやく触る事を許されたのに、刀身をさらして唄う事を許可されるとは。ハルンツ殿は主様によほど好かれておるようだ」

 

 抜き身の刀を渡しながら、苦笑するジクメが奥の席に目配せをした。

 ジクメが座っていた席に、白い大鷹が留まっていた。当たり前のように佇むその堂々とした迫力に、大半の王族達が固まる。テラスのあちこちから息を飲む音が起きる。

 そこには、本当の王がいた。このクマリを統べる、もう一人の王。

 ジクメから大黒丸を受け取ったアシが、微笑む。色鮮やかな緋色の袴をはき重ね衣を纏い、貴婦人の仕草で袖で器用に刀を王座の後に置く。

 その間に、テラスに二人の若者か駆け込んでくる。狩衣の衣を乱して跪いた一人は、息を一瞬整えてから朗々と宣言した。


 「申し上げます。東の八番関所を李薗(りえん) 帝国 禁軍(きんぐん)第一大隊が通過。指揮官は大極(たいきょく)殿右大臣 周偉(しゅうい)殿! 」


 言葉にならないドヨメキがテラスに起きる。ざわめく座を大股に、玄徳(げんとく)が駆け寄った。若者が、懐から一巻の書状を捧げた。

 無言で玄徳(げんとく)が受け取り、紙を宙に飛ばすように広げ紙の上に視線を走らせる。驚きの表情が、隠す事なく現れる。読み終わり、僅かに空を見上げてからジクメを見据えた。


 「吾は、今から李薗(りえん)帝国 禁軍(きんぐん)を受け取る。全軍、吾の手中にあり。李薗(りえん)は、たった今から大神官と共に唄う事を宣言する! 」

 「この御恩、クマリは地が果てるまで忘れませんぞ。新しき皇帝陛下に、祝福を」

 「祝福を、皇帝陛下」

 「李薗(りえん)帝国新皇帝陛下に幸ありますよう」


 クマリ側の人々が、玄徳(げんとく)に次々に頭を垂れていく。幾多の王達も、その国の流儀で玄徳(げんとく)に軽く礼をしていく。しれは、この戦で李薗側に組みするという意思表示。

 殿下から、陛下へ。それは、玄徳(げんとく)玄武(げんぶ)家の皇子から帝国の主へと変った証拠だ。

 李薗(りえん)から、最大の援軍がたどり着く。それ以上に若く力のある皇子が皇位を継いだ事が、最大の脅威だろう。居並ぶ王達の姿を見て、腹を据える。ここで、自分が言わなければいけない事がある。


 「深淵(しんえん)の底から申し上げる。私の友、新しき李薗(りえん)の皇帝に祝福を。偉大な先代の冥福を」

 「ハルンツ……礼を、礼を申し上げる。その優しき御心、黄泉路へ旅立たれた先代も喜びましょう」


 玄徳(げんとく)の瞳が、僅かに揺れていた。戸惑う心が伝わった。

 途方もない重い荷を背負った事。ここで折れる訳にいかぬと、叱咤している事。ハルンツを大国の思惑に組み込んでしまった事。

 陛下と呼ばれる事になっても、礼装で雲上殿にいても、玄徳の心根は何一つ変っていない。共に旅をした時と変っていない。笑いあい、語り合った時と、何も変らない。

 それでも、言わなければいけなかった。

 深淵(しんえん)という存在を、ここで宣言する事。李薗(りえん)とクマリ側につくという事を。

 圧倒的な存在感を、ここで表わせば、エリドゥ王国に加担する国がなくなる事を。エリドゥ王国だけで、クマリと李薗(りえん)深淵(しんえん)ををはじめ、今次々と頭を垂れて従属の意思を表わした国々をも相手にする事は不可能と思わせなければ。

 先は王妃に媚びるような笑みを浮かべていた王達も、何ごともなかったように玄徳(げんとく)に祝福の言葉と従属の握手を交わしていく。

 

 「ファリデ王妃殿下。新しき李薗(りえん)の皇帝へ挨拶を」


 ここで、頭を下げさせなければいけない。その振り上げた手を下ろさせなければいけない。居並ぶ王達の前で、戦を放棄させなければ。

 ボクの言葉に、テラス中の視線が王妃に注がれた。


 

 


 


 


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