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 85 青い蓮

 感覚が麻痺するような速さで、飛んでいく。意識と体を構成していた粒が、ものすごい勢いで水の精霊の繋いだ道を飛んでいく。

 ボクの体の粒と、コムの体の粒が、混ざり合いながら。その律動する精霊の道は、血管のようなのかもしれない。世界中のあらゆる場所へと繋ぐ、血管。その脈の律動を意識の感覚で感じながら流されていく。そう表現したほうがいいかもしれない。

 ただ、コムの意識を決して離さないよう。それしか頭になかった。


 『 開け 星の扉 水の気脈 その向こうへ 』


 水鏡でみた先に辿りつくまで、瞬きするほどの時間だっただろう。でも、その間ほど長く感じる時間はなかった。

 青い蓮が花開く。そんな光景が頭に浮かぶ。そう、ボクらがたどり着いたのは、茎を通り抜けた先。柔らかく閉じられた蕾の中。

 今、花が綻ぶ。青い花弁を開いていく。生まれていく。その浮かぶままに、唄う。


 『 水の途 たどり着く先 花開け 星の扉 』


 混ざり合ったコムの体の粒と、ボクの体の粒。螺旋を描いて、花弁の中で組み立てられる。

 一つから、二つへ。混ざり合った粒が、二つの体を組み上げていく。僅かに、コムの粒がボクに。ボクの粒がコムに。溶けあう気持ちも、分かれていく。

 


 「あぁ……」

 

 零れる光。薄く光る青い花弁が、開かれる。

 冷い風を頬に感じて、目を開く。そう、目が開いた。

 そびえる山のような純白の雲の中、大輪の青い蓮が開いている。その中にボクらはいた。強く抱きしめた自分の腕があり、その中にコムがいる事に安堵する。

 吹き荒れる風で乱れた髪を手櫛で直し、そっと耳元で囁く。


 「コムさん、もう大丈夫。目を開けて」

 「こ、ここ、どこやの? 」

 「雲上殿の上。大丈夫。このままゆっくり出るよ」


 まだ下半身は花から出ていない。しかも、上空の雲の中。周りはいつも見上げる空より青く、足元に広がる雲の群れ。

 恐る恐る開いたコムの瞳がその事実を確認したんだろう。掴まれる腕が痛い程掴まれた。

 

 「聞いてまへんえっ。こ、く、雲の、空の上に行くなんてっ」

 「ゴメンなさい。確実に雲上殿に辿りつくには、真上から行くのが一番だと思って。行くよ。ボクに掴まって」

 「これは上から行くんやのうて、落ちる言うんどす!」

 「大丈夫。落ち着いて」


 こんなに慌てるコムを見れた事に、少し歓びを感じる。そんな事いったら、怒られるだろうか。それも、いいか。

 口元に、どうしても笑みが浮かんでしまう。腕に感じる温かさと、抱き寄せた髪の中に顔をうずめてコムの香りを感じて、心が満ちてくる。


 「ほら、見て。空があんなに近い。手を伸ばしたら星まで届きそうだ」

 「あ! 」

 

 藍色より、黒色の空。その手前に見える水色の大気の色。母なる大地を包む、父なる大気。その壮大な光景が視界一杯に広がる。見下ろす空の雲。その幾重もの雲の下に見える大地は、曲線を描いて広がっている。陽の光を反射する海原。緑の大地。白い雪を被った山々の頂き。連なる山脈から銀の糸のように河が流れていく。

 見開かれたコムの鳶色の瞳から、一筋の涙が流れた。


 「世界は、こないに美しいなんて……私、死んでも、かましまへん……」

 「死んだら、嫌ですよ」


 耳障りな風鳴りの音は、風の精霊の冷やかしのようだ。

 ボクらが落ちないように、風が吹き荒れて包み込んでくれる。コムを抱いたまま、蓮の中から足を抜き取る。途端、青い蓮は弾けた。光の粒となって、消えていく。

 風に包まれて落ちていく。その中で、見つめた。強く強く抱いた。


 「ボクは、ずっと貴方の横で生きていたい。ボクは、貴方が」

 「好き」


 潤んだ瞳の中に、青い瞳を見開いたボクが映っていた。

 

 「私も、ハルンツはんの横で、生きてたい。許されるのなら……それが許されるのか、想像も出来まへんけど、それでも、せめて、ハルンツはんがエアシュティマス様の魂と共に生きるんなら、その荷を私も背負いまひょ。あの息苦しい深淵の底で、私も生きていきますよ。せやさかい……」

 「うん」


 それ以上の言葉は、ボクも同じだ。

 細い背中を、強く抱く。ボクの背に回されたコムの腕も、しがみついた。

 大気に包まれて、この星を抱いて、生きていく。


 「愛してる」


 これ以上の言葉なんか、ない。

 膨大な空間、永遠の時間の中で、貴方を見つけられた。共に生きてくれると言ってくれた。もう、何も怖くないんだ。知っている? 臆病者のボクに、怖いものがなくなったんだよ。


 「このまま雲上殿まで落ちていきます。怖かったら、目を閉じていて」

 「大丈夫。信じとります」


 お互いにしがみ付くように抱き合って、意識と体を一気に地上へ落としていく。風に包まれながら、大気を突き抜ける。雲を突き抜ける。その先を目指して。

 一枚の絵画のようだった大地が、細かくなっていく。大きくなっていく。

 銀色の糸は河になり、大地に貼られた金箔は麦畑に、灰色に反射する海は、クマリの京の瓦屋根に。

 疾風のように落ちながら、耳を澄ます。聞こえる。混沌の音がする。そこが雲上殿だ。

 自然の岩山のの上に大きな建物を落としたような、建物。漆喰で塗られた壁は真っ白で、汚れもくすみもない。窓がなければ、雪がここだけ解けずに残っていると思うだろう。その巨大な建物の正面に広場が広がる。色鮮やかな御旗で飾られた広場の中央には、二人の楽師。遠目からも判る、金色の髪の男に、ハチミツ色の髪の女性。


 「間に合いましたな」

 「うん」


 微笑むコムに、頷く。

 マダールとリリスは、逃げなかった。彼らが命をかけたものは、きっとボクと同じ。

 風の精霊に包まれて空から降ってきたボクらを見つけたのだろう。広場に集まった群衆や玉獣に乗った兵達が騒ぎ始める。

 指を鳴らし、旋律だけを鼻唄で流す。

 気まぐれな風の精霊は、楽しげに周りを踊りだす。空気をかき乱すように舞い、兵の騎乗した玉獣を煽った。手綱を強く引く騎士に抗うように玉獣はうなり声を上げている。しがみ付く騎士を背に、まるで踊るように宙を跳ね回る玉獣。その中をゆっくりと降りていった。

 コムの優美な袖が揺れる。袴の裾が音を立ててはためく。降りながら、視線が集まるのを感じる。

 雲上殿から伸びたテラスに並ぶ、鮮やかな服と宝玉で飾り立てられた人々。見目美しい人々が凝視する。その感情まで突き刺さる。

 恐怖と、驚きと、妬みと、歓びと。葛藤する感情の波を、睨み腹を据える。これが、今からボクが向かい合っていく世界だ。でも、ボク一人で立ち向かう訳ではない。懐かしい顔を見つけた。鷹の紋様が入った藍色の礼服を着たジクメと、亀と勾玉の紋章の入った漆黒の衣装に身を包んだ玄徳がいる。雲上の貴人に戻った二人は、驚きの表情をすぐに無表情な仮面に隠した。まだ他の王族は、呆けたように口を半開きにしたままだ。

 ゆっくりと、風の精霊を解放していく。テラスに降り立ち、大きく息を吸ってジクメを見つめる。

 一番奥まった席に座っていたジクメが、立ち上がる。微風に包まれたテラスを大股で進む。幾人もの他国の王族が耳打ちするのを一睨みで静止させ、その大きな目でハルンツを見据えた。


 「深淵の神殿大僧正の名代で参りました。従三上位禰宜コムと申します。この度の大霊会、まこと目出度き事。我ら神殿、こちらの次代大神官とともに参列したく参内いたしました」


 コムの言葉に、立ち並ぶ王族達からどよめきが起きる。小波のような音に思わず頭を下げかけた時、激痛が左腿に走る。


 「堂々と、顔上げなあきまへん。エアシュティマス様のように、偉そうにしといて下さいよって。難しい事は私が言いますさかい」

 

 そのコムの言葉に頷きかけた途端、再び左腿を抓られる。長い袖に隠して厳しい所作の指導。激痛を顔に出さないよう、黙っていても偉そうだったダショーの顔を思い出しながら顔を作る。精一杯の、威厳を作る努力をする。

 ただ、ジクメはそのやり取りが聞こえたのだろう。口元に笑みを浮かべてゆったりとした動作で頭を下げた。


 「新しき大神官様。お初にお目にかかります。拙者、この度クマリの族長となりました、昴家のジクメと申します。どうか、クマリの民と土地に光と祝福をお与え下さい」

 「祝福を、言うて、手をかざして」

 「しゅくふくを」


 コムの言うままに、下げられたジクメの頭に手を軽くかざす。が、笑い声で遮られた。

 含み笑いから、次第に大きく憚ることなく笑い出す。戸惑う他の王族や、接待役のクマリの人々が咎めるのも気にせず、紅の引かれた唇を歪ませて笑う。

 絹を贅沢に使った豪奢な淡い薄桃の衣に空色の布を肩からかけ、巧みな銀細工を施し宝玉を重いほどつけた冠を頭に飾った女が、笑い続ける。その異様な光景に、周りの王族が後ずさりをし、侍女達がオロオロと傍に侍る。腹の息を全て笑い声で吐き出してから、貴婦人はクマリの族長ジクメを睨んだ。


 「このような子どもに、頭を下げるのかえ? これで全て勝ったおつもりか」

 「彼は、子どもではない。その事は彼を襲わせ監禁した貴殿がご存知でしょう。ファリデ王妃殿下」


 


 


 


 


 


 


 

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