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 81 繁栄の術

 一体ボクはどれだけ寝ていたのだろう。体がだるく重い。喉の奥の粘膜は乾ききって痛い。声は低い音に変ってしまっている。

 あいかわらず不快な振動は続いている、自分の中の音に意識を向ければ耐えられない事はない。深呼吸をして、まだ回りきらない頭を整理する。

 目の前に現れたダショーに、聞きたい事は山とある。


 『今、タシの記憶を思い出したんだろう? そんな寝言を言っていた』

 「少しだけ、です」


 先の夢で思い出したとは、言えないだろう。目覚めてダショーが居なければ、音叉の悪夢から逃れられた幸運な夢で終わっていたかもしれない。


 『捜し求めていたナキアの気配が、ハルンツからするとは思わなかった。この身でエリドゥまで行っていたのにな』

 「そう、それです! 今、クマリは大変な事になっているんですっ」

 『知っている。戦が起きるようだな』


 明日雨が降るようだな。そんな口調で言うと、ダショーの口元が歪んだ。


 『好都合だよ。長年の夢が叶う』


 手にしていた杓子から、水が零れ落ちた。今の言葉が信じられずに、目の前のダショーを見つめた。頭の中で駆け巡る言葉が、幾つもの記憶に引っかかっていく。

 ダショーはナキア妃を愛していたこと。

 エリドゥ王国と深淵の神殿が敵対している事。繁栄の為に王国が自らナキア妃を差し出したのか、ダショーに求められての結果なのか。

 ダショーが五百年経った今、幽体で蘇った訳。


 『エリドゥの王族に復讐をする。安心しろハルンツ。この戦、エリドゥの負けだ。じきに劫火と大洪水によってあの国は消える』


 言っている言葉が判らず、見開いた目に映るダショーを見つめた。

 エリドゥが負ける? いや、王族に復讐する? 


 『私がいない間に、随分と苦労をかけてしまったな。エリドゥの者にこのような仕打ちを受けてしまって……。何代も経た故と、同情をかける手間もなくなった。私がハルンツの分もきっちり返した。安心しておれ』

 「あ、安心とか、そういう事ではなくって……」

 『大丈夫だ。父に任せておきなさい』


 半透明の手が慰めるように頬を撫でる。幼子にするような仕草に、不安と焦りが胸を焦がしだす。

 ダショーは、正気ではないのか? 


 『忘れたか。あいつらが幼いそなたとナキアを人質にした事を。エリドゥに永遠の繁栄を約束させたことを』

 「あいつら? 永遠の繁栄? 」

 『そなたの祖父と伯父だ。初代エリドゥ王国国王と二代目。ナキアの父と兄だ。孫と娘を人質に『繁栄の術』を望むなど、狂気の沙汰だ! 』


 昔話は、真実を隠していた。『繁栄の対価に娘を』という事実はあっていた。事実から生まれた二つの話のひとつは、王国が我が身の保身から生まれただけの話。

 王国は、交換条件を持ち出した。『繁栄の対価に、娘』を求めた。繁栄の為に自らナキア妃を差し出したという、神殿側の言い伝えはあっていた。


 『こちらが「繁栄の術」の魔術を行使したと確認した途端、王位継承権と神殿の後継者の可能性を持ったタシの存在を恐れた奴らは、タシすら殺そうとした。それを許せるか! ナキアがそなた一人でもと王宮から逃がさなかったら、あいつらの刃にかかりそなたは死んでいたんだ! あいつらは大陸の果てに逃げた私を笑っていたが、全ては戦を好まぬナキアの想いを考えての事。欲に目が眩んだ故の過ちと耐え忍んだが……再びタシの魂が、私の血の者が再び脅かされる時は、報復してやろうと心に決めていた。五百年たった今、戦を起しタシを巻き込もうとしているのなら、遠慮はせぬ』


 微笑んでいた。満足げな笑みを浮かべ、頬を撫で頭を撫でる。

 恐ろしいほどの激情を秘めながら、穏やかに呪いの言葉を語ってゆく。


 『再び目覚めたのは「繁栄の術」を解くため。神苑で突然消えてすまなかった。心細かっただろう、苦労もかけたな。だが「繁栄の術」は解いてきた。もう、これ以上の悲しみは味あわせぬ。もう、エリドゥに振り回されぬよ。「繁栄の術」を解いた今、次の雨季で河が氾濫すればエリドゥは混乱の極みに陥る。王宮も王都も大河に流されては、国の機能が崩壊するのは目に見えている。安心するがいい。中州の神殿は、信仰が根ずくいている限り何度でも復活する。だが民の心を掌握しきっていない王国は崩壊する。タシよ、報復が始まるぞ。』

 「ダショー様……」

 

 ボクとタシを混同している。青い瞳は、すでに怒りによって怪しい光を宿している。頬を撫でていた指先から、青白い炎が飛び出していく。この炎は先のファリデ王妃の怒りの感情の炎と同じ。感情の炎が、格子を舐めていく。

 流れ込む闇の感情に、恐怖で体がすくむ。青い瞳を見つめたまま、身じろぎ出来ない。

 ダショーは五百年もの間、復讐を願っていた。妖獣が現れたクマリの変化から世界の豹変を嗅ぎ取ったあの神苑の夜、姿を消したのは復讐を決意したから。その好機を捉えたから。

 きっと「繁栄の術」が消えれば、崩壊は容易い。混乱は膨れ上がる。大波が全てをさらう様に、エリドゥ王国は消し去ってしまう。

 たくさんの人々が、苦しむだろう。その日の雨露をしのぐのも。その日食べるものにも。病を抱える者や老いた者幼子には、過酷な未来になってしまう。


 『恐れを知らぬ恥知らずな輩め! その身を劫火で焼けば良い! 氾濫する河で国土を流し去ればいい! 支配する国土や民がなくなれば、王族など消える! 』

 「それは、それは違う! 落ち着いてください! 」

 『四人の御子を四大国に送っただと……ナキアに何をしたのだ! その血は、王族に流れる共生者の血はナキアのものだ! 私が愛した、私だけが愛したナキアのものだ! 私は認めんぞ! その半身に流れる男の血など、根絶やしに燃やし尽くしてやる! 』


 青い炎に包まれたダショーが叫ぶと、その炎が爆発するように格子の外へ飛び散る。途端、本物の炎となり舐めるように炎が燃え広がっていく。音叉の振動を響かせていた根の箱も燃え出し、見る見るうちに金属の棒が倒れていく。

 見る間に炎は勢いを増していく。床を舐めるように広がった炎は、柱へとその手を伸ばしている。屋敷の奥から、異変に気付いた下人達が悲鳴を上げながら水を降りかけ、木槌で壁や床板を破壊していく。炎を止めて延焼を止めなければ、屋敷が燃やされてしまからだ。

 

 『今こそナキアの仇を! その身を冒涜したエリドゥの血を絶やしてやる!』

 「これは一体、何が起こったんじゃ!」

 「グムタン様これはどういう事です! エリドゥの介入を防ぎファリデ王妃を納得させる為に結界牢に入れたと聞きましたが、これでは燃え死んでしまいます! 」

 「早く出して差し上げないとっ」


 火の向こうから、濁声が聞こえる。慌ただしい足音と、聞き覚えのある声が聞こえる。ずっと聞きたかった声に、思わず立ち上がり叫んでいた。


 「コム! コムさん! 」

 「ハルンツはん! 」


 格子越しに、ずっと夢見ていたコムが駆け寄る。所々に炎が立ち上っていただ、構わず手を差し込む。指が触れあい、絡み合い、手を繋ぎ止める。

 どれほど、この瞬間を夢見ていただろう。その声を、その温もりを、ただ感じたかっただけなんだ。


 「どうしてここへ」

 「それはこっちが聞きたいどすな。とりあえず、エリドゥの王子に感謝しなあきまへんえ。神殿に助けを呼びはったんやから」

 「ぺザド王子? 」


 格子の鍵を外そうと、四苦八苦しているグムタンの後に、控えめにいた人影に気付く。白州で会った時より、幾分か顔がやつれていた。


 「貴方に聞きたい事があったのです。それに……共生者に音叉の結界を使うなど、あまりに非道。母の誤り、謝って許されるものではありませぬ。本当にすまぬ」

 「音叉を使われて、正気を保つのは難しいどす。ようご無事で」

 「いいから、早くここから離れて! 」

 『……エリドゥの、王族か? 』


 ダショーの声で、先の叫びを思い出す。ここにエリドゥの王族がいては危険だ。明らかに正気を失った声色に、駆けつけた三人が固まる。

 青い炎の中のダショーが、ゆらりと立ち上がる。氷ような微笑を浮かべて、ベザド王子を見つめていた。

 

 『いや……違うな。李薗の玄徳より、汚らわしい血が酷く薄い。それともエリドゥはここまで落ちたか。まぁ、よい。その身を砕いてやろう。感謝するがいい。私は慈悲深い。苦しみなく終わらせてやろう』

 「ダショー様!! 」


 凍りついた三人に、ダショーから迸る青い炎が噴出す。格子前のボクに、炎が襲い掛かる。


 「ぅわあ! 」

 「ハルンツはん! 」

 『何たる事か! どけ! ハルンツ! 』


 精霊を排除した結界の中だからだろう、青い炎は肉体を燃やさなかった。激痛が全身を襲い、まるでダショーの感情が乗り移ったように怒りの感情が思考の全てを支配する。

 憎い、憎い、憎い! 全てを奪った義父王が!

 腹立だしい! ナキアを守れなかった自分は、なんと情けない!

 涙が枯れ果てるほどの悲しみよ……愛しい者は、全て去っていった。

 寂しい……この気持ちを判る者など、この世には居るまい。力を持ってしまった故に妬まれ、疎まれ、謀略の世を渡っていく虚しさを、誰が判ってくれるのか。たった一人の人を、失ったこの寂しさよ。

 ダショーの放った負の感情の炎を全て受け止めながら、自分の体を青い炎で包まれながら、心の中で光を感じていた。湧き上がる光の歌声を感じた。

 ボクの、大切な唄。大切な心の支えの唄を今、唄おう。


 「貴方は、一人じゃ、ない……」


 憎いのなら、ボクがその手を握ってあげる。怒りで震えるその拳を、ボクの手の平で包もう。

 情けないのなら、ボクがその肩を抱こう。

 悲しいのなら、ボクも共に泣こう。涙枯れるまで、嗚咽する喉を焼くまで嘆こう。

 寂しいのなら、ボクが傍に居てあげる。ずっとずっと、この世界が終わるまで。

 疎まれるのも、妬まれるのも、虚しさすら、共に味わおう。貴方の息子として、力を受け継いだ者として、この闇を抱えていこう。

 望まざる力をこの手に、深い闇をこの胸に、抱いて生きていく。

 この命の限り、共にいこう。

 だから。


 「 帰っておいで 荒れる波の向こうから 帰っておいで 私の大切な宝よ その手でもう一度 抱いておくれ 」


 思い出して。

 貴方が唄ったのでしょう? ニライカナイからエリドゥへ、愛しい人を呼び寄せる唄を。

 御魂(みたま)返しの唄を。


 


 



 



 

 

 

 

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