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 80 ソコから,聞こえる

 何も感じない世界は、真っ白なのか。真っ黒なのか。もう、目を開けているのか閉じているのかも判らない。その中で、その空間の中で、ボクは漂っていた。上も下も判らぬ中で、ただ存在している。いや、ボクは存在してるんだろうか。いや、いるんだろう。こうして考えている自分は、自分だけは感じる。ここにいる。多分、ボクという意思だけは『ここにいる』と言える。

 もう、どれぐらい時間が経ったのだろう。コムやマダール達は無事だろうか。戦は始まってしまったんだろうか。いきなり行方不明になったボクを、心配しているだろうか。

 あぁ、まだ考えている自分がいる。大丈夫、まだボクは壊れていない。多分。





 ……。もう、わからない。ボクは、何をしているんだろう。マダールとリリスと三線を演奏していたのが、とてつもなく昔のようだ。いや……長い夢を見ていたんだろうか。ボクは、ずっとココに漂っている存在で。僅かに夢を見ていたソレが、皆で過ごした時間だったんだろうか。浜でおばぁと謡っていた時も、父さんに殴られていた時も、それは長い長い夢だったんだろうか。母さんに持った憧れの気持ちも、コムに持った愛しさも、全て夢の藻屑の一部だったんだろうか。うん……そうかもしれない。ひどく、つかれたよ。もう、つかれちゃったよ……。





 『 ……タシ、タシ……』


 自分の思い以外の存在に、思わず意識が飛び起きた。真っ黒の空間に、全ての感覚を研ぎ澄ます。今、確かに何かを聞いた気がした。


 『 何も聞こえぬ時は、その内の音に耳を向けてごらん 美しい子よ 愛しい子よ その胸に意識を向けてごらん』


 柔らかな女性の声がした。どこから? あなたはどこにいるの? ここはどこなの?


 『 その胸の音は私の愛の証 幾代と続いた私の愛の証 流れる血潮の音がほら 聞こえるでしょ』


 声に導かれるままに、胸に意識を向けてみる。何も見えない世界で、自分の……いや、肉体がまだあったのならここだろうと思う場所へ、そっと手か意識かを伸ばしてみる。指先が、馴染みある感触に触れる。肌へ手を差し込めば、温かさと共に振動が確かに感じられた。あぁ、ボクはまだ生きている。肉体をもって、生きている。

 たったその事が嬉しくて、大きく息を吐き出す。ここに、音がある。自分自身の振動が存在していた。ボクは、ここにいる。


 『 その音は、世界の音。風が鳴る音、葉のザワメキ、大地の鼓動、水のせせらぎの音。空で星が瞬く音と同じ振動。全ては繋がっているのよ。ほら、感じて御覧なさい。その鼓動の音の中に天を巡る星の音が聞こえるわ』


 トクンと血潮を送り出す振動に意識を向けると、体の中で溢れるように存在した音に気付いていく。あぁ、なんで今まで気付かなかったんだろう。体内で空気のうごめく音から、風の音がする。血の流れる音に水のせせらぎが聞こえる。鼓動の奥底に、体温の奥底に、息づく音が聞こえる。遠く彼方の宇宙の熱が感じる。そう、遥かな先で生まれた瑠璃色の星の産声が聞こえてくる。

 これが、世界の理。空の向こうに広がる宇宙の熱は、ボクの体温。ボクの息吹はこの星の風の息吹。全てはボクの中に。全てはこの宇宙に。そう、これが


 「これがボクの生きる美しい世界の理」

 『 美しい子よ 私の愛しい、愛しい息子。迷ったらその胸の鼓動を感じなさい。空を見上げて星の瞬きを御覧なさい。私はいつもそこにいる』


 その声は光をまとい、少しずつボクの周りを明るく照らすように包んでいく。足元に広がる砂の感触。波が打ち寄せて砂が流れていく感触に、笑い声を上げていた。

 ボクは、里の砂浜にいた。ただ、沖に見える大岩は、ずっと大きい。そしてこの光景を、以前に見た記憶に気付く。そう、夢の中で見た。初めてダショーにあったあの日に。運命が動き出したあの日に見た夢。

 だけど、大きく違う。あの時の夢は、ダショーと駆け寄る子どもが海に沈む夕日を眺めていた光景を、ボクは離れて眺めていた。なのに、今はボクが子どもになっている。波打ち際ではしゃぎ笑う鈴の音のような声。海水をすくう手は小さい。全身で、全感覚で、この世界の美しさを感じていた。眩しいくらいに、全てが美しく見える。嬉しくて、この美しい世界に存在できる事が幸せで。この幸せの気持ちを伝えたい衝動で、小さな体を動かしていく。


 「父上ぇ。父上ぇ」


 走り出した先には、半島の先に立っている二つの人影。そう、ボクは知っている。今、父上と呼んでいるその影はダショー。エアシュティマスとも名を残した大魔術師であり、ボクの先祖であり。


 「父上ぇ! 」


 ためらいなく、その胸に飛び込む。そこが世界で一番安全な所だ。そう、ダショーはボクの父親。遠い遠い、夢物語の中の、父親だ。

鮮やかに、青く愛情を満たした眼差しが落とされる。そして子どものボクとダショー、二人の体を包む光。これは祝福の光、加護の光、母親の愛情の温かみ。


 『 私はいつも そこにいる。愛しい子 私の愛しいタシ……』

 




 「っ!! 」


 ビクンと、体が痙攣した感覚に飛び起きる。肌に感じる不快な微動に、自分の身に何が起こったのか思い出す。そして、今見てきた夢も。

 ゆっくりと目を開ける。久しぶりに感じる光の眩しさに、目を細めながら。その輝く光の中に青い瞳を見つける。今しがた見た夢と同じ澄み切った青い瞳が、心配そうに覗き込んでいた。


 「ダショー、さま」


 張り付いた喉から搾り出す声は、自分の声かと思うほど低い音だ。もう、何日寝ていたのだろう。不快感に思わず眉をひそめると、小さく笑った。涼しげな目元も、尊大な態度も、消えうせた姿に、不安になる。酷く疲れ、悲しみに満ち溢れた表情に、思わず手を伸ばす。ボクの手は、半透明の体をスルリと通り抜けた。掴もうと思った手が、宙ぶらりんに残される。


 『ナキアの、気配を感じた』

 「……ケホッ」


 喉の奥が張り付いたような感覚に、水を求めて起き上がる。話したい事は、山のようにある。格子の傍の板間に置かれた水鉢に気付き、頭を突っ込んで水を飲む。腹立つほどに念入りに、この水も沸騰させたものなのだろう精霊がいない。徹底した管理に、ムクムクと負けん気が立ち上がる。が、ずっと眠り喰わず飲まずの体は不調を訴えている。足元がふらつき格子に背をもたれ掛けて、ダショーを見つめる。


 「母上に、会いました」


 濡れた前髪から、水が滴る。その向こうのダショーは、泣きそうに顔を崩した。

 多くの言葉は、きっといらない。そう、ボクとダショーは、繋がっていたのだから。血の縁で、魂の縁で。


 『……そうか、ナキアが、ハルンツを助けたのだな。全て、思い出したのか? 』

 「いえ。でも、幸せな時を見ました。とても、幸せで。あなたは、ずっと母上を……いえ、ナキア妃を探していたんですね」

 

 五百年の時間も越えて、ただ一人の愛しい者を探し続けていた。なんて残酷だろう。なんて孤独だろう。死んでもなお魂を見つけ出そうと彷徨うのは、絶望の旅だろう。

 小さく笑ったダショーは、力なくもたれかかったハルンツの頬を撫でる。感触はなくとも、悲しみは感じる。慈しむ気持ちは感じる。


 『もう、随分と時が流れてしまった。もう、この世にはいないと判っていても、私は諦めきれずにいた。ナキアが生きていた証に、しがみついていたんだよ。ナキアは、弱い私の支えだった。彼女なしでは、怖くて生きていけない』

 

 この人に怖いものなんてあるのだろうか。そう顔に書いてあったのだろう。もう一度小さく笑い、ダショーは頬を撫でた。


 『私がクマリを出たのは、勢力争いをしていた当時の大連(おおむらじ)の者から逃げ出す為だった。そう、共生者としての力はあっても、その能力を人に使われるのは嫌だった。他人の都合で動かされるのは、真っ平だ。だから、人の少ないエリドゥへ逃げて神殿を作ったんだ。自分の居場所が欲しかった。子どもじみた、ただそれだけの気持ちだ。皆が伝えるような大志を抱いて事を成したわけではない。私は、そんなに強くない』


 神を祭る為ではなく、自分の居場所を作るため。ダショーの気持ちが痛いほど理解できる。そう、今のボクには居場所がない。戦の種火となりかねないからと、この身は不安定に動いてる。こんな事、望んでいない。この力は、戦をする為にあるものではないと思う程に、悲しくなる。

 突然語りだした物語に、背筋を伸ばした。相変わらず音叉(おんさ)から不快な振動は続くが、告白に耳を傍立てる。

 音叉(おんさ)からの振動のせいだろうか、幾分か半透明な幽体が薄く見えている。

 


 



 

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