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 79 消える咆哮

 天頂で輝く太陽。その光を跳ね返すように白州は眩く光を湛えている。その中で、立ち尽くす人々。その中で駆け巡る想いの渦。戸惑いと驚きと怒りと悲しみ。怒涛の大波で押し寄せる感情に飲み込まれまいと、ハルンツは歯を食いしばっていた。眩暈がしそうな甘い血のニオイに意識を持っていかれまいと、眼を見開いて、稀代の美女を見据える。

 自分の言葉は、王妃の核心を突いた。その手ごたえを感じていた。「ナキアの血を皇子から微弱にしか感じない」という、言葉。エリドゥの皇子であれば、ナキア妃の濃い血を継いだはずの現エリドゥ王と自ら『王家との血縁が濃い公爵家出身』といった王妃の子故、その血にはナキア妃の血のニオイを強く感じるはずだ。それが少ないと言う事は、どういう事なのか。


 「それは、多分、吾に共生者の能力が極端に少ないという事だろう。神官殿、そなたの能力が少しにでも吾にあれば……母上や父上に心配をかける事はなかっただろう。羨ましいぞ」


 力なく零された皇子の言葉に、王妃の顔に動揺が走った。紅をひいた唇が震えだす。


 「エリドゥ王国の皇子がこのようでは……父上が病に倒れられるのも無理はないですね。母上、吾の力不足でございます。愚息をお許し下さい」

 「違う! そなたは頭を下げてはならぬ! 」

 

 悲鳴のような王妃の声が、白州に響く。


 「そなたは謝ってはならぬ! そなたは誇り高きエリドゥ王国次期国王じゃ! 王になる御身ぞ! 」

 「は、母上……? 」

 「その御身に流れるは、間違うなき王家の血じゃ! この神官になぞ……その血は、その血はいらぬ! エアシュティマス大魔術師とナキア大皇妃の血は、我が息子ベザドに引き継がれておるのだ! 」

 「違う、違う……貴方は、嘘をついていますっ」


 何故、こんなにも泣き叫んでいるのだろう。王妃から迸る嘆きの感情に、ハルンツは戸惑っていた。

 大陸に戦を誘い込もうとする王妃の心は、何故こんなにも悲しみと後悔で渦巻いているのだろう。それでいて、この皇子を必死に守ろうとしているのだろう。戦で、何を得ようと必死になっているのだろう。今にも折れそうな心の細さを王妃に感じ、ハルンツ自身の心にも痛みが走っていく。


 「貴方は、何を手に入れようとしているのですか? その結果、自らの手が血に濡れます。いえ、もう、貴方の心は血を流している。こんなにも苦しいのに、痛みに泣き叫んでいるのに、何故戦の火を立てようとなさるのですっ」

 「この身など、どうでもよい。妾には、守るものがあるのじゃ」


 一瞬、王妃からすざまじい炎が立ち上り白州を青白い炎が嘗め尽くしていく。自分の身が本当の炎に焼かれた灼熱の感覚に、ハルンツは思わず蹲る。


 「その口、二度ときけぬようにしてくれる。その見え過ぎる青い瞳に、火箸を突き刺してやろうぞ。その血を、一滴残らず絞り取ってやろうぞ」

 「ファリデ王妃殿下、この神官はまだ見習い。出すぎた言葉は多めに見るべきじゃ。落ち着きなされよ」

 「えぇい! グムタンよ、この場におよんでまだシラを斬るか。貴公がエリドゥの味方と見せかけクマリの生き残りを模索しているのは判っておる。小賢しくも使えるから放っておいたのが間違いじゃたわ! この忌々しい共生者と共に消し去ってくれる! 音叉(おんさ)を用意せよ! 」

 「母上! 下賎の者に何を言っておられるのです! お気を確かにお持ちください! 共生者に音叉など使うなど、非道の行為です……! 」


 強い腕が、ハルンツを立ち上がらせる。グムタンの屋敷から、エリドゥ側の従者が数十人と飛び出してくる。その中に見覚えのある藍色の外套の術者を見つけた。途端、グムタン側の家人や下人達までもが、何事が判らぬまま主人であるグムタンを守ろうと白州に飛び出してくる。掃き清められた白州に、何十人もの人垣が出来ていく。エリドゥと(ひつき)で、にらみ合っていく。


 「今のうちに逃げよっ。この混乱の中なら、ハルンツ一人なら逃げおおせる。ほれ、裏口を教えてやれ」

 「ボクは逃げません! 」


 グムタンが傍で控えていた家人の男にハルンツを押し付けようとしているのに気付き、慌てて身を離す。混乱は、ますます酷くなる。かき乱されていく白州の玉石を睨み、顔を上げる。


 「戦を止めに来たんだ。クマリを焼け野原に、させない。この地に、一滴の血も落とさせない! 」


 脳裏に、昨晩の夢がよみがえった。かき消したい。それが出来るのは、自分自身。腹の底に力を込めて、目の前を見据える。空気を切り裂くように、耳には聞こえない恍惚の旋律が流れ出す。遠巻きになっていた風の精霊が酔うように舞い飛び出した。突然に巻き上がるつむじ風の数々に、どよめきが周りを囲むグムタンの家人や下人達から起きる。


 「下がって! 命が惜しい人は全員下がれ! 」


 まだ精霊を扱えない。不完全な自分の力を知っている。そんな自分が出来る、この精霊達を解放する術は一つしかない。


 「八百万の神々の 住まう天地深淵の果て 全てに響かせ轟かそう」


 大祓を謡いだしたボクの周りから、一斉に人垣が引いていく。グムタンも何人もの家人達に引きずられるように離れていくのを確認して、空へ両手を掲げる。

 ボクの体よ、響け。万物の元を、整えよう。落ち着け自分。あぁ、自分の心臓の音が邪魔だ。違う、心臓の音ではなく、自分の心の音がずれている。拍子をとれ。自然の、周りの音を感じ取らなくちゃ……。

 エリドゥの風笛の音はますます大きく甲高くなっていく。頭の奥底までかき乱される振動に、自分の中の音と拍子すら取りにくくなっていく。


 「天地合わさる果てにまで 全てを包む 風にのせ 汝の僕ハル……ケホッ……汝の僕ハルンツ……っ」


 音が、聞こえない。体の奥の拍子の律動すら、感じない。空間の振動が、全て真っ白に塗りこめられていく感覚。大きく吸い込んだ息が、喉の奥で止まってしまう。音が、消えていく。耳の奥で木霊するように、風笛の音か鳴り響く。


 「やめよハルンツ! 逃げるんじゃ! 」

 

 グムタンの叫びが、聞こえる。視界には、動きを止めたボクを遠巻きに不安そうに見つめる人々が見えている。

 ボクだけが、なにかオカシイ。幾つもの風笛の音は重なり響いて、さらに高い音を奏でている。自分がまとう気すらかき乱していく。周りの空気が消えていく感覚。吸っても吸っても、息が出来ない感覚。まるで溺れる魚のように、何度もパクパクと口を開け閉めしても息が出来ない。

 見開いた目に、青い空が映る。そこには、天頂に円を描いて飛んでいる白い大鷹。

 あぁ、主様は知っていたのですね。


 「音叉を響かせよ! 」

 「お止めください母上! やめよ! 皆のもの、やめよ! 」


 ベザド王子の悲鳴が響いた直後、全てが消えた。耳に入る音も、肌に感じる音も。砂浜に残された足跡が波にさらわれるように、全ての振動が消えた。


 「あああぁ! 」


 喉の奥から最後の息が悲鳴になって飛び出していった。体から全ての力が抜けていく。喉から絶叫となって肺の空気が迸り消えていく。

 崩れ落ちていく視界に、人々の足の向こうに、白州の上で崩れた西瓜の真っ赤な果実が目に入る。

 世界に、いや、ボクの周りから、精霊の気配が消えた。倒れて地に伏せ、頬が触れる大地からも、空気の間から火も水も風も消えている。

 終わった。全てが、終わってしまった。





 音が消えた。ただ、静寂な世界が見えている。でも、今ボクが見えている世界は今まで見ていた世界ではない。

 運び込まれた座敷は、それは華やかな調度品が置いてあった。欄間には雲上を飛び回る玉獣の彫刻。襖や屏風には、風の精霊が山々を飛び舞う姿が書かれている。

 でも、本物の精霊はいない。風の精霊も、水の精霊も、土の精霊も、どの気配もないし見ることが出来ない。見開いた目に、何も映らない。これは、ボクの目がおかしくなったんだろうか。何度そう思っただろう。格子に囲まれた座敷牢でなかったのなら、格子の向こうにある『音叉』という二股の金属の棒が見えなかったら、ボクが精霊を見れなくなったんだと、信じていただろう。精霊のいない世に来てしまったと思っただろう。

 耳と肌をずっと微動させる、忌々しい音。頭の奥底をかき回し、心まで崩していく振動。

 板間に転がされたまま、体を動かす気力も消えてしまった。もう、この牢屋から出る事は叶わないんだろうか。風の音が聞きたい。マダールの二馬線とリリスの琵琶が聞きたい。鳥のさえずりが聞きたい。水のさざめきが、風の鳴る音が、コムの声が聞きたい。

 あぁ。壊れていく前に、ボクの心が壊れていく前に、あなたの声が聞きたい。美しい、あなたの声を聞きたい。





 



 


 

 

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