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 78 血のニオイ

 白州の上の果肉に、蟻が群がっている。赤い果肉が見えないほどに群がったその様子に、生唾を飲む。

 エリドゥが大霊会(だいりょうえ)に開戦を仕掛ける理由。まさか、力を削ぐ為に幾多の国にもクマリを攻めさせるとは思いもよらなかった。


 「ジクメもそのあたりは考えておるようだな。李薗(りえん)の皇子と手を組んで周辺国を懐柔しようとしておるわ。まぁ、その努力は認めるがな……ツメが甘いのよ。最後が自らが勝つと信じておる」

 「グムタン様は、勝つと思われないのですか? クマリが勝つと、思われないのですか? ボクが戦を止めようと思っていても」

 「では聞こう。そなたに何が出来る? 何故戦おうと思う? 」


 赤い果汁で濡れたグムタンの口元が、自虐的な笑みを浮かべた。


 「確かにそなたには、エアシュティマス様の力がある。だが、見れば呪術も満足に使えぬ様子。旗頭に立てようと……切り札の戦力にはならぬ。こんな不完全な陣をひいて戦に勝てるのか? いや、万に一つの可能性で勝てたとしよう……クマリの地はどうなる? 幾多の国を巻き込んだ戦になれば、どうやっても国は荒れ果てる。そうなれば喰われるのも時間の問題だ。クマリの地を荒らさぬ為には、大国に組みする他はないであろう? その結果神苑(しんえん)の気が澱もうとも……民が無事であるのなら仕方ない。そうは思わぬか」


 この人も、クマリを愛している。ただ、ジクメ達と考え方が違うだけ、違う道を選んでいるだけ。話を聞けば聞くほど、現実的な道を見据えている感じすらある。

 目の前で二切れもの西瓜を平らげ、濡れた口元や指先を拭くグムタンの小さくなった髷を眺めながら、頭を抱えた。自分が今まで考えてきた事は、なんだったのだろう。いや、グムタンの言葉を素直に信じるもいけない。どう、すれば、いい?


 「迷ってよう考えなされよ。ただな、今回の戦でそなたの存在だけが邪魔なのだ。どうか、ほとぼりが冷めるまで隠れてはいてくれまいか」

 「……それで、下屋敷の早乙女祭に来られたんですね」

 「そういう事だ。今エリドゥにそなたの存在が知られれば、確実に手中で潰そうと思われる。戦に使えると思えば、旗頭に使うだろうし、邪魔と思われれば殺されようぞ。深淵(しんえん)に隠れようとも……神殿の神官達はエリドゥに対抗する大きな力を得たとばかしに、そなたを掲げようとするだろう。そなたは深淵(しんえん)には隠れられぬ。だからどこか遠くに飛ばそうと思うておったのに……あのアシ姫の機転というか悪巧みに、まんまと引っかかったわい。女楽師に変装させるとはの」


 グムタンの言葉を聞き、首を傾げる。この人の言っている事は筋道が通っている。ウソではないのだろう。今までエリドゥと内通しているとの考えていたが、むしろエリドゥの懐に片足を突っ込みながらも、戦を避ける道を探している感じだ。今までの流れで、てっきりグムタンはエリドゥと手を組んでいると思っていた。


 「では、昨日の騒ぎはグムタン様が知らせたのではないのですか? 」

 「昨日の、とな? 」

 「南北大路で襲われたんです。ファリデ王妃殿下の前で薄布を飛ばされて……」


 頬肉をぷるんと痙攣させたグムタンに、エリドゥの呪術師に襲われた話をする。グムタンは見る間に顔を曇らせ、かいつまんだ話が終わると同時に白州に降り立つ。


 「グムタン様が情報をエリドゥに流したのではないのですか? だって、昨日の騒ぎの後にマダールを誘い出そうと、そこからボクの居場所を洗い出そうとしたのでしょう? 」

 「そうだ。あの下人を使いそなたの仲間を誘い出して、居場所を探ろうとした。だが……だが、大路の騒動は指示しておらぬ。ハルンツよ、すぐにここを立ち去れ」


 濁声を抑え、ボクの体を門へと押しやる。


 「ここにいるのが判ってはマズイ。一刻も早くこの場を去れ! どこか海の果てなり、隣の大陸まででも身を隠せ。そうせねば」

 「ベザド王子殿下、おなりでございます」

 「! 」


 閉じられていた門が、開かれる。気遣わしげな下人達の視線と、入ってくる輿に慌てて駆け寄る家人達。突然の成り行きに固まってしまう。何故、ここにエリドゥの皇子が現れるんだ。

 グムタンの太い腕を掴むと、その大きな背に隠される。

 

 「帰ってこられたんじゃ。忍びで京を散策したいと申されてな、しばしお出かけになっていたんじゃ……このままそ知らぬ顔して裏口から逃げろ」

 「な、なんで逃げなくちゃいけないんですかっ。戦を止めにきたんですけどっ」


 相手がエリドゥの王子なら話が早い。そう思いグムタンの肩を押しのける。白州に、幾人もの従者に囲まれた少年が輿から降り立った。

 傷一つない伸びやかな手足を、エリドゥ特有の足首までの衣と、その上に重ねる幅広な薄絹で複雑な襞を作りながら包んでいる。その淡い青色が、程よく日焼けした肌に映えていた。強い日差しを受ける栗色の髪は、金色に輝いている。覗く緑の瞳は好奇心と知性を湛えている。まっすぐに、慈しまれて育てられた宝物。そう、何処も汚れてなく曲がってもいない気配。


 「グムタン殿、散策などと勝手をしてお手を煩わしすまなかった。母君は怒っているだろうか」

 「……心配なされますな。ささ、こちらへ」

 「そこの神官殿は……客人か? 」

 「えぇ、まぁ。王妃殿下がお待ちです。こちらへ」

 「ベザド様! お話しがあります! 」


 思わず声を出していた。グムタンの濁った眼が見開かれる。傅かれるまま、先導されるまま屋敷へと歩き出していたグデアが立ち止まった。緑の瞳には、疑いの色が混ざる。


 「あ、あの……なぜ、何故にクマリを狙うのですか? 何故、海軍を動かされたのですか? 何故にクマリへこられたんですか」

 「神官殿、何を言っているのだ? 」


 まっすぐな声が、まっすぐに疑問を返した。淀みなく明瞭に発音される声は、落ち着いていた。が、戸惑いの言葉を口にした。


 「クマリを狙うだの、海軍を動かしただの、吾には意味が判らぬのだが。クマリへは、父君であるエリドゥ国王の代理として大霊会(だいりょうえ)に参列する為に来ただけだ」

 「殿下は、何もお知りにならないのか? 」

 「何をだ? グムタン殿まで、何を言うのだ」

 

 明らかに怪しいと思われている。その顔にも声にも、偽りの様子は見られない。この皇子は何も知らないようだ。エリドゥの海軍が動いているのも、戦を仕掛けようとしているのも。

 では、誰がエリドゥ王国海軍を動かしたのか。昨日の騒ぎを指示したのはファリデ王妃。ならば……


 「グムタン殿。そこの客人を妾にも紹介してくれないかえ」


 突然投げかけられた声に、振り返る。グムタンが、その巨漢から想像できない速さでハルンツの前に立ちふさがる。

 「母上。只今帰ってまいりまいした。心配をおかけしました」

 「無事な帰り、待ちわびましたぞ。ささ、奥へ上がりや。母はこちらの神官殿に用があるゆえ、先に茶でも飲んでおれ」

 「いえ、そういう訳には参りませぬ。しばし聞きたい事があります」


 離れの座敷から渡し橋を歩いてくる女性に、眼を奪われる。王子と同じように、陽をうけて金色に輝く髪は、緩く結い上げられ肩に流されている。同じエリドゥ出身のマダールとよく似た髪に肌。そして美しさをもった女性。なのに印象は全く違う。マダールは朗らかな春を印象させる。見る者が大切に愛でたくなる真珠をイメージさせる美しさ。だが、この王妃は違う。北風のような鋭さがある。精巧な飾りを施された白銀のナイフのような美しさ。見る者を誘い、傷付けていくような、その血でさらに輝いていくような危うい美しさ。

 目蓋に青を塗った緑の瞳が、微かに蛍火を宿す。どんな事にでも欠点を見つけ出しそうな視線を強くして、ハルンツを見据えてきた。その威力に、武者震いが起こる。あぁ、この人の瞳に完璧なものは映らないのだろう。全てを疑い、全てに不満を抱いている瞳。その内面から底なし沼に引き込まれるような暗闇が垣間見えた。

 そして、どこからか覚えのある甘い香りが漂う。この香を知っている。昨日の騒ぎで、輿の近くで嗅いだ香。

 

 「ほう、近くで見ればなるほど綺麗な瞳をしておるの。まこと、是ほどの青ならば精霊はおろか天界まで見れそうじゃ。のう、グムタン殿」

 「母上、この者は海軍が動いていると言っております。そのような事ないと思いますが……いえ、このような事を申す神官に何用なのでございますか」

 「グデアや、先に座敷へ」

 「母上! 」


 近づくほどに、香はきつく頭の芯を痺れさせていく。本能のような衝動が下腹部から沸きあがる。風でうねる稲に波を感じた時のように、血が滾っていく感覚に襲われる。この女性の気配が、この甘い血が欲しい。頭の奥底でそう叫ぶ声がする。違う、これは自分の声ではない。そう、こんな感覚、この単語を聞いたことがある。


 『微かに甘いその血が囁くのよ』『李薗と同じ血を持つその甘い血の香りが囁くのよ』


 故郷の砂浜の強い陽の光の下で、刀を掲げた白楊燕(はくようえん)の言葉がよみがえる。

 そうだ。この甘い香りは、血のニオイ。愛する相手にのみ感じるニオイ。恋して流す心の血のニオイだ。でも、玄徳(げんとく)の時も、楊燕ようえん)の時はさほど感じなかった。なら、この差はなんなんだ。そう、恋しいと思う程のこの香り。ボクの中に流れるエアシュティマスの血が恋しいと思うほどの血は、一つしかない。


 「あなたは……あなたの中には、ナキア妃の血があるのですか? 」

 「ほう。それまで判るのかえ。妾は王家の血を引く公爵家の出身。陛下ほどではないが、確かに始祖ナキア大皇妃の血は引き継いでおる」

 「でも……変だ」


 甘く骨の髄まで蕩かすような香りで、頭の芯までクラクラする。必死に気を落ち着かせ、前の二人を見据える。外見はよく似た、美貌の貴人の親子を。その内面は対照的な程に似ていない親子を。


 「何故……その血が貴方からしか、王妃殿下からしか感じられないのですか? ベザド皇子殿下には、ナキア妃の血を感じない……いえ、微弱なニオイしかしていないようです」

 「!! 」

 

 美しい王妃の顔が、固まる。紅を引いた形良い唇が、わなわなと震えていく。


 


 


 


 

 

 

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