77 甘い果実
「わ、わわわ……」
門番は意味不明な言葉を続け腰を抜かしたまま、這って門を押し開く。門前の騒動を察知した者が、僅かに屋敷へと駆け出していく。広がる白い砂がしかれた庭先は、何処までも綺麗に掃き清められている。その整然とした様子は、アシの下屋敷と大きく違い静粛な感じすらする。これが、上屋敷というものなんだろうか。庭に茂る木々にも造られた品のよさが漂う感だ。
「待たれよ、待たれよ! 」
「で、出会えいっ。皆のもの、出会えいっ」
「グムタン様に会わせぬのなら、ここで炎を解放させる」
遠巻きに集まりだす私兵に、掲げる炎をこれ見よがしに見せる。まさか、コムと術を共にした経験が、さっそく恐喝に使えると思わなかった。でも、ここでは有効なようで、ハルンツは大きく身を翻し、白州の四方八方に囲んだ私兵に炎の塊を見せる。
背後で門の大扉が閉じる音。逃げ道は無くなった。
「何の騒ぎだ。えぇい。何奴だ」
どすどすと板間を踏み揺らす音と共に、聞き覚えのある濁声が聞こえてくる。奥から表屋敷への渡り橋を渡ってくる巨体が、ゆっくりと歩み寄る。幾人もの家人が、恐る恐るハルンツとの間に入ろうとするのを、一振りの手の動作で止めて差し出された履物で白州に降り立ち、向かい合う。
「さて、このように荒々しく乗り込むとは」
「貴方のした事は荒々しくないんですかっ」
街中で襲わせたのも、趙健を使ってマダールを誘い出した事も。
思い出した途端に風が吹き上がり、火の精霊が勢いよく巻き上がる。悲鳴とどよめきが白州を満たす。
「今すぐ、約束してください。屋敷奥で進める戦の準備を中止してください。マダールの、昴家の楽師のニオイを追う呪術師を止めてくださいっ」
「ふん。あの下人が言っていた事は本当か。よい。今すぐ呪術者に引き返すよう命をだそう。それでよいか」
「今、この場で! 目の前で命令を下して人をやってください! 」
「まぁ、よい。そなたがここに来てくれたのなら、全ての工作は無用だ。おい」
傍に控えた若い家人に言いつけ、その場で走らせる。足をもたつかせながら門の外へ走り出した家人の後姿を確認して、振り返る。グムタンに穏やかな顔で見つめられていた。「次はお前の番だ」と無言で言われたような気がして、掲げた手を下ろす。火の精霊が四方八方に飛んで炎の塊は消えたが、ハルンツの周りを吹きまわる風に時々火花が混じる。
「これ少年、まだ火が舞っておるぞ」
「ボクの感情で動かしているんです。完全に鎮めたいのなら、納得できる答えを求めます」
「これはまた厄介だの。座敷で茶を飲みながら話が出来んとは。ワシは座らせてもらうぞ。あぁ、お前達も下がれ。奥には少々時間がかかるゆえ、菓子を出すなり散策なりと所望の通りとしておけ。決してこの客人の事を悟られるな。表には出さぬよう」
懐から扇子を取り出し、心配げに漂う白州の下人や家人たちを追い払う素振りをする。掛け声をかけて濡れ縁側の端に腰掛けると、巨体から吹き出してる汗を袖から取り出した手拭いで、頬肉をぷるんと震わせながら汗を拭き拭き「冷たい西瓜をもってこさせろ」と言いつけ、最後に残った家人の尻を蹴り飛ばすように追い出す。白州には二人きりとなる。
「さて少年、まだ名を聞いてなかったの」
扇子を扇ぎながらこちらを見る眼は、鋭くも悪意はない。この状況を楽しんでいるかのような余裕まで見れる。その様子に浩芳を思い出す。決して自分に優位でない時だって、落ち着きを失わない貫禄がハルンツを見据えている。
「……ハルンツ、です」
「ふぅん。ワシの推測では昴の下屋敷にいた楽師にいた者だと思ったが、見覚えのない顔だ」
「む、娘の装束で変装していました。顔を隠して」
「あぁ、アレか。あの美女ではない小娘か。そういえば薄布をしていたな。いや、なかなか可愛らしい顔の線をしていると思っていたが、男であったか。これはシタリ」
グムタンの眼が見開かれて、大声で笑い出す。どうやら本気で変装が成功していたらしい事に、ハルンツはグムタンの鑑識眼の狂いに、やや落ち込む。アシの策が成功したのを喜べば良いのだろうか。嘆くべきなのか。
「さて、ハルンツよ。ここに来た理由はなんだ。どんな答えを求めてここへ乗り込んできたのだ」
「戦を、止めようと思ったんです」
「ほう」
「エリドゥ王国と手を組んで、神苑の玉獣を売り飛ばしていると聞きました」
「ふん、神苑の玉獣を僅かにエリドゥへ流したが売り飛ばしてはおらんぞ。やつらの要望は、一定量の玉獣を手に入れる事だったからな」
「なんで流したんですか! 玉獣を流せば戦力を渡す事になりませんか」
「ハルンツとやら。それはジクメが考えた事だろう? 自分の頭で考えてみよ」
頬肉を上げ、口元で笑う。首下の紐を緩め狩衣の中にまで扇子で風を送りながら、グムタンは話し出した。
「確かに、玉獣を渡せば戦力を渡した事と同様に考えられるてもしかたあるまい。だがな、戦力になるほどの数といえば五十頭からじゃろうて。渡したのは十五頭だ。ワシが玉獣を渡すかで、エリドゥの味方となるか、試す口実だったのだろうて。それっぽっちではあの王国の国軍を動かす軍資金の一部程度だ。あの大国には、大した足しにはなるまい。なにしろクマリよりも貿易による税や、深淵目指してくる巡礼者たちが落としていく金や、肥沃な農地ある大国だ。何一つ不自由なものも状況もない。エリドゥとは、かように大きな国よ。我らクマリ族の国など、なんとも思ってはおらぬわ」
「で、でも、玉獣を渡すなんて……わざわざ、神苑の気を乱すような事を」
「このままでは、クマリは焦土と化すぞ」
息を飲んだ。今までグムタンの声に含まれた余裕が消え去っていた。澱んだ瞳からの視線が、乱れ始めた心を突き刺す。
「エリドゥは、本気で戦をしようとしておる。理由は判らん。まぁ、それは何でも良い。戦の理由は名誉か色か欲と決まっておる。重要なのは、クマリは大国二つに挟まれておるという事だ。東にエリドゥ王国、西に李薗帝国。大陸を掌握しようというのなら、李薗を手に入れれば良い。何故か判るか? 」
「……まずクマリで玉獣と人を手に入れる。そうすれば李薗に攻め入りやすくなる。李薗帝国を降伏させれば、大陸の数多の小国や遊牧民族は進んで傘下に入る。たった二度の戦で大陸の覇権は手に入る」
「その通りだ。ほう、ジクメの奴もここまで考えておったか」
「でも、ボクは簡単にクマリが負けるとは思いません。ここには多くの共生者がいます。豊かな国です。兵力なら……」
「だからこそ、エリドゥは大霊会で開戦しようとしておるんだ。おぉ、待ちかねたぞ。ほれ、ハルンツ。そなたもどうじゃ」
盆一杯に櫛型に切られた西瓜が運ばれてきた。果汁滴る西瓜を一切れ選びながら、グムタンはハルンツに手招きをする。まるで子どものように顔をほころばす様に、思わず肩の力が抜けていく。この人の素顔というものは、こんなにも普通のお爺ちゃんなのか。
「ほれ、これは種が少ないぞ。なんじゃ、西瓜を食うのは初めてか? 塩を振ってじゃな、こうかぶりつく……おぅ、たまらんのぅ。種はその辺に飛ばせばよいぞ」
勝手に小さな一切れを手に押し付けると、再び縁側に座り頬張り始める。掃き清められた白州に黒い種が散乱するのもお構いなしだ。
「甘い。甘いのぅ……クマリもな、かように甘いのよ」
「え? 」
グムタンが、果肉の塊を白州に落とす。さらにもう一塊の果肉を掴むと、落とした果肉に果汁を絞り落としていく。
「我がクマリ族は呪術を扱える人材も多い。玉獣が生まれ出る神苑もある。神の恵み溢れる神の地はどの国も欲しいのだよ。だからほれ、四方から貪り食われる」
真っ白な白州に落ちた真っ赤な果肉。甘いニオイに惹かれた蟻が、何処からか何十匹と群がり始める。真っ黒な虫が、真っ赤な果肉に喰らいついていく。
「大霊会に集まった幾多の国の支配者は、ヨダレを流しておる。研ぎ澄ました歯をお上品な顔の下に隠して来ておる。その甘い果実が間の前で喰われるのであれば、のう……ハルンツ。誰が遠慮などするものか。いくらクマリが強くても、幾多の国に一度に攻められれば持ちこたえられぬよ」