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 71 どうか,一時の安息を

 「今、なんて言ったの」

 「奏者、目指すのやめます」


 マダールは床に額をつけてひれ伏した。その後頭部を、リリスが笑いながら撫でる。


 「やぁねぇ。変な冗談言わないでちょうだいな。そんなの」

 「冗談じゃない。月夜の虹はおしまいにしよう」


 リリスの手をどかし、マダールは顔を上げてまっすぐに前を見据えた。


 「ご好意を無にするような事をしてしまい、申し訳ありません。ですが、このまま続ける事は出来ません」


 厳かな祭文のように、マダールは言葉を発していく。そのまっすぐな気持ちを、そのままぶつけていく。言い繕う事もなく、誤魔化す響きもなく、真正面に浩芳(こうほう)を見つめて宣言をした。

 その横で、リリスは固まっている。そこだけ、時間が止まっている。いや、本当に、止まってたらどんなに良いだろう。


 「それは、マダールさんだけの気持ちのようだが」

 「そうです。でも、私はもう、奏者を目指しません」

 「私が訳を聞いていいかい? 」


 浩芳(こうほう)の言葉に、マダールの全身か痙攣する。ほんの一拍大きく息を吸い込んで、再びマダールが伏せる。


 「申し訳ありません。今、この場ではご勘弁を。数々のご好意を無にしてしまい、本当に申し訳ありません。アシ様やジクメ様にも多大な迷惑をおかけしてしまい申し訳ありません! 」

 

 板間に広がるハチミツ色の髪を、みんなが見蕩れてるように眺めてしまった。

 訳は言えない。でも奏者を目指すのをやめる。その固い決意を見せ付けられて、動けずにいた。理由が判らないだけに、声のかけようがない。


 「まぁ、神殿としては歓迎しますよって。このまま奏者を目指しては、危険やさかい。よろしゅうおます」

 

 沈黙を突如破ったコムは、そう言い目を伏せた。

 ハルンツの中で、何かが壊れていく。この言葉は、ボクが言わなければいけなかった事じゃ、ないのか。

 早乙女祭の日、このまま奏者をして戦を避ける事は不可能だと、思い知っていた。ただ、マダールとリリスから離れたくなくて、『今』が心地よくて、先延ばしにしていた。自分は、逃げていた言葉。それを、マダールに言わせてしまったのか。


 「な、何言ってるのですかっ。そう、そうです、雲上殿を出る時に兄上から預かってきたんです。御前披露への召しだし状です。奏者候補に挙がったんですよ! 」


 アシの言葉に、マダールの顔が跳ね上がる。血の気がない唇が、見る間に震えていく。

 

 「やったわ! マダール、やったのよ! 奥様からの最後の望み、叶えられるわ! 」

 「あ、あたし、あたし……」

 「ほら、奏者目指すのよ! 夢を現実にするまで、あと少しよ。手が届く所まで私達来れたのよ!玄徳に会えるのよ! 」


 リリスの腕が、マダールの華奢な肩を包み込む。

 あぁ、よかった。

 御前披露の機会が得られれば、マダールの気持ちも変る。そう安堵の顔に誰もがなった。


 「だめ、だめなんだよ……奏者を目指せられないよ……」


 リリスの腕に包まれたまま、マダールの呟きが全てを凍りつかせた。


 「あたしは、あたしが、いけないの……ごめんね、ごめんね、ハルンツ……」


 彷徨うマダールの視線が、ハルンツを捕らえた。潤んだ瞳から、涙が溢れていく。


 「ごめんね、リリス」


 呟きだした言葉とともに、マダールはリリスの腕の中で崩れた。

 リリスが悲鳴のような声でマダールの名を何度も叫ぶ。

 アシとコムがマダールの体を横にして、衣服をくつろがせ、脈を調べる。

 秀全と浩芳は素早く床を用意するように指示を出していく。

 ハルンツは、板間に座り続けた。何も出来なかった。


 こんな事を、望んでいなかった。こんな事を、望んでいたんじゃないんだ。

 どうして、こうなってしまうんだ。

 マダールが謝る事は、何もないのに。

 こんな光景は、見たくないのに。





 聞こえるのは、風の音。聞こえるのは、猫の鳴き声。どこか遠い所で、「恋しい」と鳴いている。

 マダールも、鳴いている。「恋しい」と鳴いている。

 

 「ハルンツ様、少し休まな倒れますよ」

 「ボクの事より、神殿に帰らなくていいんですか? 」

 「今日は遅いさかい。泊まらせてもらう事になったんどす。明日の朝には、帰りますよって」


 大振りの湯呑みを二つ持ったコムが、縁側に座ったハルンツの横に座る。神殿で焚き染める香だろうか、ほのかに甘い香りがする。ただ、湯呑みからの強い匂いがコムからの僅かな香を消してゆく。


 「今日の夜空はきれいやけど、冷えますな。薬湯、温めておきましたえ。生姜多めやさかい、喉にもいいですよって」

 「風邪、ひいてませんよ」

 「なら、声変わりでっしゃろな」


 突然の聞きなれない単語に、思わずコムを見返す。目が合うと、にっこり微笑んだ。


 「心配せんでよろしゅうおす。殿方は誰もがなるようどす。ハルンツ様、なんでも急に背が伸びてるとか」


 思わず、首を激しく縦に振る。そういえば、浜から旅立ってやたら空腹を感じたり背が伸びたり。喉もその前から変といえば変だった。慣れない旅をしているから、腹が減って体調が違うと思っていたけど。それも声変りに関係するんだろうか。


 「呪術を行う者にとって、声変りは大切な節目どす。うまくいけば声の響きが増えて呪術の力が大きくなります。充分に気をつけて養生しておくれやす。極力、喉を使わないように。喋らんのが一番やけど……そうはいきまへんな。すごく、喋りたい顔してはる」


 コムの言葉に、思わず両頬を押さえる。そんな顔、してるだろうか。


 「マダールはんの事、でっしゃろ」


 図星だ。両手をパタンと、腿へ落とす。

 泣きながら気を失ったマダールの横顔を思い出し、深く深く息を吐き出した。そんな事しても、後悔はなくならないには判ってるけど。


 「ハルンツ様の事や。自分を責めてはるんやろなって思っとりました。やっぱり、そうどすか」

 「そうどす、ですよ。……ボクは、ずるい。そもそも、奏者を目指すなんて言わなかったら、今日みたいな危険もなかった。秀全さんやマダールにリリスまで、巻き込んでしまったし。せっかく御前披露までこぎつけたのに」

 「そこは、ちょっと違うんちゃいますか」

 

 コムの声が、夜の空気を柔らかく揺らす。冷たく張り詰める空気も、ほんのりと温度を持っていくようだ。

 

 「奏者を目指さなくても、一緒に行動してたら狙われてますえ。それにマダールはん「あたしがいけないの」言うてましたえ。襲われる理由、知ってるんちゃうやろか」

 「襲われる、理由って。それはボクが」

 「ハルンツ様がマダールはんやリリスはんと楽師をしてるの、誰かに教えたんちゃうやろか」

 

 少し膨らました唇を、人差し指で軽く触れながら。自分の推理を整理しなおすように、コムは言葉を紡いでゆく。


 「普通、自分が悪い言う時は、何かに負い目がある時や。罪を感じてる時や。あ、想像どすえ。あくまで、想像で」

 「良いんです。そんな気を遣わないで下さい」


 なんでここまで気を遣うのだろう。

 マダールを追い詰めたのは、このボクだ。

 奏者を目指すなんて、無茶なことを宣言したのは、ボク。天鼓の泉に立ってみたいなんて、願望を持ったからだ。

 二人ほどの腕もないのに、無謀にも一緒に演奏していたボクがマダールの気持ちにこたえてなかったのは明白。

 全て、ボクがはっきりしなかったからだ。

 そして、夢は、全部叶うことは、ないんだ。

 何かを犠牲にしなければ。願いと対等な何かを捧げなければ、叶うはずはない。

 雨を降らせたければ、よそから水の精霊を奪って願わなければ。得ようとするなら、何かを失う。願いが叶えば、誰かが悲しむ。

 それがこの世の理。神様との約束。

 

 「明日、マダールと話をします。奏者は、諦めると。ボク抜きで、二人で御前披露に挑んでくれって」


 大丈夫。三線の音がなくても、あの二人なら魅力的な音楽を奏でられる。なにより、天の気に相応しい音を奏でるのだから、何もボクが心配する事はない。

 腹をくくろう。気持ちを、固めよう。ボクが今すべき事は、戦を避けるように尽くす事。

 冷たい空気を胸いっぱいに吸い込み、迷いを息で吐き出す。


 「神殿へ、行きます。取り合えず、マダール達から離れます。それが、ボクの出来る事ですよね」

 

 周りの人達を守るために出来る事が、まだ判らない。けど、離れる事で危険を減らせるのなら、別れよう。

 それが、ボクの出来る、僅かな恩返しだ。


 「それは、そうどすが……。すんまへん、なんか神殿へ行く事が解決策とは思われへんのどす」


 苦しそうに零れたコムの言葉に、ハルンツは思わず首を傾げる。神殿へ連れて行く。神官のコムなら一番安心すると思った答えのはずだ。

 多分、顔に疑問が出たのだろう。コムは眼が会うと微かに首を振った。


 「確かに、戦は避けられるかも知れまへん。でも、それでハルンツはんが良いのか、自信がなくなったんどす……」

 「お願いします。ボクも、朝一番に、別れをしますから。今は、皆の安全の為に離れます。そうします」

 

 そしたら、マダールはまた笑ってくれるだろうか。リリスは、安心するだろうか。

 ボクは、いつも、悩んでしまう。臆病に、足を震わせる。いつも、誰かを悲しませている。傷付けている。


 「そう、どすか……とりあえず、休みまひょ。ほら、せっかく私が作った薬湯が冷めとります。飲んでおくれやす」

 「コム様、ありがとう」


 鳶色の瞳が、大きく見開かれる。この人は、強い。そして優しい。自分より、人の心を考えている。

 ボクもこんなに強くなりたい。そして、この人も、そっと見守りたい。ボクは、大事な人たちを守っていきたいんだ。


 「なんや、ハルンツ様に「コム様」とか「ありがとう」なんて言われたら、照れますわ。それに、神殿ではハルンツ様は最高位に就かれる可能性があるんどす。そのお方から尊称つけられたらあきまへん」

 「ボクはただの田舎者です。ボクこそ「様」はいりません」

 「そ、それは出来ませんよって」

 「じゃ、ボクは「コム様」って言うだけですね」

 「えぇっと、これは弱りましたな……」


 夜空を仰いでしまうコムは、なんとも可愛らしい。知らぬ間に、ハルンツの口元の笑みがこぼれだす。

 もっと知りたい。もっと、色んな顔を見ていたい。もっと、そばにいたい。


 「しかたありまへんな。わかりました。「ハルンツはん」って呼びます。せやさかい、私の事は」

 「コム、でいいですか」

 「よろしゅうおます。でも、本当に、周りに人がおらへん時だけで勘弁してくださいよって」

 「判りました。判ったから」


 ハルンツと、呼んで。

 その鳶色の瞳でボクを見つめて。

 その唇から、ボクの名を囁いて。


 「ハルンツ、はん」


 体が満たされていく。

 音が力を持つのは、本当だ。ボクは今、その力の威力を感じている。

 今宵だけは、ほんの少し、幸せを下さい。これから、どんなに辛い事も受け入れるから。

 神様、どうか一時の幸せを、お与えください。

 

 




 


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