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 69 人波をかきわけて

 走りながら秀全(しゅうぜん)がハルンツを振り返る。 

 大きな目が、さらに見開かれている。そして、その秀全(しゅうぜん)の頭の上に、懐かしい幼女の姿が淡く輝いていた。


 『こっち! 早く! 』


 その小さな手で、横に並び立つ店の入り口の一つを指し示す。


 「こっちだって! 」


 走り抜けようとする秀全(しゅうぜん)の腕を体重をかけて引っ張り戻し、とにかく店の中へと引きずる。

 蓮迦(れんか)の姿は、薄暗い店内で一際輝いている。それを目当てに、そのまま、店内に入りこむ。


 「すびません! ちょっど通らせで!」

 「ちょ、ちょいとお客さん! 困りますよ! 」

 

 番頭さんが帳簿を広げた机の前で慌てて立ち上がるが、その横を履物も脱がずに駆け上がる。

 ハルンツが手を引っ張り、続く三人も土足のまま板間へ上がる。

 店内に残っていた幾人かの使用人は、駆け抜けようとするハルンツ達を見て、口を開けて立ち尽くしたままだ。


 『裏の勝手口に出るの! そこまで行けば』

 「裏の勝手口ってゲホッ……どごにあるかゲホッ、わかんなゴホっ」

 「ハルちゃん、誰と話してるのよっ」


 虚空に視線をやり話しかけるハルンツを見て、リリスは戸惑っていた。気でもふれたと思ったんだろう。肩を掴む手に力がこもっている。


 「蓮迦(れんか)、なんだな? そこにいるんだな?」

 

 咳きこむハルンツを覗き込み、秀全(しゅうぜん)はハルンツの視線先を目で辿る。

 

 『そうよ! 私、ここにいる! 秀全(しゅぜん)、信じて! 』


 宙に漂い叫ぶ蓮迦と、秀全(しゅうぜん)の探るような視線が、一瞬で重なり合う。


 「……こっちだ! 」


 走り出した秀全(しゅうぜん)は、店の奥へと走り出す。番頭の制止の声が追いかける。

 

 「裏の勝手口なら、こっちだろ」

 「し、知り合いの店なの? 」

 「まさか。このぐらいちんけな店なら、台所の奥の裏庭にあるはずだっ」


 見ず知らずの店を「ちんけ」呼ばわりした秀全は足を止める事もなく台所から裏庭を探し出し、そのまま裏の勝手口の板戸を恐る恐る開ける。

 背後の店先から、番頭の大声が聞こえる。追いかけてきたのかも知れない。

 四人全員の鼓動の音が聞こえそうな沈黙の中、秀全(しゅうぜん)が僅かな隙間から顔を出す。


 『そこの紙屋を右に入って! 誰もいないから早く! 』

 「早く! ……ゲホッ」


 蓮迦(れんか)の慌てた声に、慎重な秀全(しゅうぜん)の背を押して通りに出る。背後から慌ただしく板間を走る足音が聞こえてきた。

 転がり出るように勝手口を抜け、秀全(しゅうぜん)の腕を引っ張る。

 マダールとリリスは、通りに置かれた大きな防火の水桶を勝手口の前へ押し進める。これで少しは時間がかせげるだろう。

 

 『急いで! 風笛の音で散らばっていた術師が集まってきてるよ! 」


 ここで死者である蓮迦(れんか)の言葉を聞けるのは、ハルンツのみ。

 その責任の重さに、鳥肌が立つような恐れが鼓動をさらに早める。耳の奥から血の沸騰する音が聞こえてきそうだ。


 「行きましょう! 術師が集まってきてるそうです……ゲホっ」

 

 咳が酷くなってきた。喉が押しつぶされそうな感覚。喘ぐように息をしながら、急かす蓮迦(れんか)の後を追う。

 蓮迦(れんか)の姿が見えるのも、ハルンツのみ。

 ここで倒れる訳にはいかないんだ。

 駆け出したハルンツ達の背後で、大きな水音がする。勝手口の前に置いた水桶が倒された音だ。


 『こ、こっちもだめ! 術師が来た! 』

 「蓮迦(れんか)さん、落ち着いて! 上から見て道を教えて,ゴホッ、ください! 」

 『あんまり上がると、風の精霊に見つかるの。風笛で、辺り一帯は身動きしにくくて……えぇっと、あぁ、どうしよう……』


 ソワソワと左右を見渡した蓮迦(れんか)は、明らかに恐怖の色を顔に出している。その気配は秀全(しゅうぜん)達にも伝わるのだろう。走りながら秀全(しゅうぜん)とリリスの物陰を探す目が、落ち着きなく辺りをさまよっている。


 「ちょっと待って、つまり、私達が捕まらなければいいのよね? 私達を見失わせるとか」

 「そ、それはそうだけ……ケホッ」

 「変な事言ってないで! 隠れる場所を探さないと」

 「リリスこそ、落ち着いてよっ」


 マダールが立ち止まり突然、鼻音をたてて全身で息を吸い込み、吐き出した。


 「火事よぉおおお!! 」


 マダールが発した肌をも振るわせる大声は、絶大な効果を表す。

 すぐさま、立ち並ぶ店から小坊主達が飛び出してきた。小さな路地から、桶を手にした女性や子どもが飛び出してくる。次から次と、どこにこれだけの人がいたんだろうという数の人間が溢れてきた。皆、火を消そうと辺りを探し回る。

 密集して立ち並ぶ家々は、木で出来ている。一度火が上がれば、一気に周辺は燃やされてしまうからだ。

 振り返れば、先の二人組は新たに起こった人波に揉まれ始めている。


 「火事よぉ! ほら、そこの紙屋の向こうから火が出ていますー! 」

 

 マダールが、さらに追い討ちをかけるように、声を張り上げる。


 「水を運べ! 」

 「逃げろぉ」


 辺りは、エリドゥの御輿見学と火事騒動で野次馬と逃げ惑う人々と泣き叫ぶ子どもの声で、騒然となる。

 押し寄せる人波に叫びながら、再び秀全が僅かな隙間を縫って走り出す。強風にあおられる小鳥のように押し戻されつつも、進んで行った。





 「とにかく、大した怪我もなくてよかった。雲上殿(うんじょうでん)のジクメには無事と知らせておいたから安心しなさい」

 

 浩芳(こうほう)の言葉を聞き、体が急に重くなる。緊張の糸が切れたんだろう、涙まで溢れてくる。涙を拭こうとする手まで震えだして、止まらない。目の前に並べられた茶や菓子に、ようやく激しい喉の渇きを覚える。中身の茶を揺らしながら震える手で茶を流し込むと、内臓に染み渡っていく香芳に「助かった」という実感が込みあがる。

 あれから、秀全(しゅうぜん)は知り合いの油屋に入るなり脅し取る勢いで荷馬車を貸してもらい、ハルンツ達を空の油樽の中に隠して浩芳の屋敷である三和屋へ駆け込んだ。

 ハルンツが目当ての共生者と知ってのエリドゥ側の攻勢なのなら、アシの下屋敷への道も待ち伏せされているだろうと、秀全(しゅうぜん)がとっさに判断したからだ。

 その判断は正しかったようだ。街へ出されていた使いの丁稚が、町中に怪しげな術師や警備の若者が歩いていると、目を丸くして帰ってきたらしい。


 「しかしまぁ、火事と叫んで逃げるとは。良い機転でしたね。ありがとう」

 

 秀全(しゅうぜん)から事の顛末を聞きながら、大振りの湯呑み茶碗を置いて浩芳(こうほう)がマダールに頭を下げる。

 陽が落ち、気の早い蛙の鳴き声が近くから聞こえる。座敷に面した中庭の小さな池からだろう。店の奥に作られた浩芳(こうほう)の私邸は京の中と思えぬほど静かだ。

 

 「い、いえ……護身の為にと、いつも言われてたんです。変な男に追いかけられたら「火事」と叫べ、と。「盗人」とか「助けて」と叫んでも町では避けられますから」

 

 そう言い、ちらりと横に座るリリスを見て微笑む。どうやら、リリスがマダールに教えた護身術のようだ。

 なんともくすぐったそうな顔をしたリリスは、幼子にするようにマダールの頭をくしゃくしゃと撫でた。


 「しかし、蓮迦(れんか)が助けてくれたとか。それは……」

 

 本当だろうか。そう、疑問を言いたいのだろう。浩芳(こうほう)から視線を受けたハルンツは、慌てて口に頬張った菓子を茶で流し込む。体の震えは止まり、空腹が襲っていた。


 「す、すみません、安心したらお腹がすいて……ケホッ」

 「いやいや。しかし、咳が多いようだが」

 「大丈夫です、コンッ」

 「これだけ元気だから、大丈夫ですよ。ほら、オレのもやるから。で、蓮迦(れんか)は? 」


 人の体調を勝手に決めつけつつも、秀全(しゅうぜん)は自分の菓子をハルンツの皿にのせ、新しい茶をハルンツの茶碗へ注ぎながら、話の続きを催促した。


 




 

 

 



 

 いきなり蓮迦なる登場人物が出てきましたが,一章の4話『少女の予言』で出ています。ご参考までに。


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