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 68 風 吹き荒れる

 京の中心を貫き通す南北大路。最北の雲上殿と行政府から伸びる大路は、最南端の港まで繋がっている。この大路を中心にクマリ最大の街が蔦のように道を伸ばし、大きく広がっている。その南北大路の幅は、大人が足の速さを競えるほどの距離がある。端から端までは大声で掛け合わなければ声が届かない。

 さらに昼下がりの南北大路は、人で溢れかえってまっすぐに歩く事もままならない。遠くから聞こえる楽器の演奏。両脇の棒振りや露店からの呼び声。出汁をとる美味しそうな薫りや油の匂いが漂う。大勢の人が吐き出す、活気や熱気も溢れている。

 忙しないその人波の中、ハルンツは秀全(しゅうぜん)に引っ張られるままに早足で歩いていく。その後を、マダールとリリスが離れずについてきている。


「昨日港に着いた船の連中がさ、妙な事言ってたんだよ」


 この喧騒の中で、秀全(しゅうぜん)は話しながら驚異的な速さで人波の間の隙間を見つけて進むべき進路をつけていく。


「エリドゥの海軍が商船を叩き買ってるって」


 喧騒の中から聞こえる声に、僅かに恐れが混じっている。


「エリドゥの海軍の船も、帆を張り替えて夜中に出航しているらしい」

「帆を張り替えて?」


 聞き返した途端、道行く誰かの足を踏んでしまったらしい。背中に罵声を浴びせられるが、謝る間もなく手を引かれていく。


「出自を隠す為よ。エリドゥの軍船は、大きな紋章を掲げてるの。ど派手に緑の葉と獅子のエリドゥ王国の紋章が描かれてるの! 」

「まさか、クマリに向けての出航じゃないでしょうねっ」

「これで立証されたんじゃないのか?! 」


 振り向きもせず、秀全(しゅうぜん)が叫ぶ。

 通りの先から一際大きな歓声が上がり、続いて太鼓の音が鳴り響く。人波が急に押し寄せて、秀全(しゅうぜん)が押し戻される。


「くそう……こんな時にお通り様かよ」

「お通り様? 」

「偉い人の市中巡りよ。急がなきゃ通りが渡れなくなるわよっ」

「判ってるよ! 」


 リリスの声に顔をしかめて、秀全が辺りを見渡す。 

 確かに、通りの中央を空ける為だろう、幾人かの下人が太鼓を鳴らしながらやってくる。砂を水で流していくように、人々が路肩に寄せ道を譲っていく。遥か彼方から、大きな輿と煌びやかな一団が微かに見え出す。先頭に掲げられた緑の葉に囲まれた黄金の獅子の旗が、光を反射して存在を誇示する。


「え、エリドゥ?! 」

「なんというタイミング……」


 マダールの言葉が、四人の気持ちだった。

 前に進めず、後を追いかけてくるのは、エリドゥの呪術師。


「行くぞ! 取り合えず、付き合いのある店がこの先にあるからっ」


 耳をつんざく悲鳴にも似た歓声の中、秀全が叫ぶ。

 太鼓の音に誘われ貴人を一目拝もうと,立ち並ぶ店からも裏路地からも人が通りへと出てくる。その度に、人波が生まれ押し返される。その波に乗るように、秀全(しゅうぜん)が巧みに進路をつけていく。


 「エリドゥの王妃様だそうだ」


 歓声の中の言葉に、思わずハルンツの足が止まる。


 「一人息子の王子様も御輿にいるようだな」

「ごらんよ、御輿を担いでるのは人だよ。凄い数だねぇ」

「豪華な御輿だぜ。真珠で白く輝いているよ」

李薗(りえん)も凄かったが、エリドゥもすごいねぇ」

「そりゃ大陸の一、二を争う大国だからな。お、顔を拝めるかもしれねぇぞ」


 一際に高い歓声が起こる。山からの風が、輿にかけられた薄絹を大きくはためかせた。輿からの香だろうか、甘い香りが僅かに感じる。

 見えるのかもしれない。エリドゥの王妃を。戦を起そうとしている王妃を。自分の運命を大きく変えようとしている人物の顔を。

 


「駄目だ、早く行くぞ! 」


 ハルンツの心を読んだように、秀全(しゅうぜん)はより強く腕を引っ張り、リリスは背を押してくる。

 大路の全ての空気を振動させて迫る音と早まっていく打楽器の拍子が、この場に存在する生き物の鼓動すら支配していく感覚。

 ハルンツが足をもたつかせる間に、秀全は完全に行く手を人の壁で遮られる。それでも、道の端の僅かに開いた空間へ移動しようと、手を引っ張っていく。


「お通りぃい。お通りぃい」


 妙な抑揚をつけた先触れが、この混沌とした音の中に声を通していく。

 同時、ハルンツの耳に音にならない空気の振るえを感じた。無意識に、恐怖が背中から襲いかかってくる。獲物を見つけた蛇が、身を伸ばし首で狙いを定める。そこに音があるのなら、まさに獲物を襲い掛かる寸前の音が聞こえた。

 見る間に、視界全ての精霊が動きを止めていく。


「ファリデ王妃殿下、べザド王子殿下、お通りぃい」


 歓声がさらに、大きくなる。その音の裏にも、ハルンツの耳と感覚がもう一つの音を捉える。耳には届かなかった、もう一つの空気の震え。それは、複雑に強弱をつけて空気を震わしていく。それは、歌。苦しみも悲しみも全て、煩わしい思いを白く塗りこめていく、恍惚な音の調べ。

 そして、風の中に感じた甘い香りが段々濃くなってくる。

 体の奥、背骨の髄から血がたぎってくるような甘い香りが、腹の下に熱さをもたせる感覚。

 音と香り、圧倒される人垣の視界。


 「あぁ……」


 大小の真珠で飾り付けられた大きな輿が、視界に見える。紅を帯びたもの、青みを帯びたもの、乳白色に輝くもの、様々な真珠が陽の光を乱反射させる。光の輿にかけられた薄絹がはためくたび、手足が僅かに覗き、大歓声が沸きあがる。そう、薄絹をめくるのは、酒に酔ったように飛び舞う風の精霊。そう、先の音は風笛の震えだ。

 そう身構えた途端、再び空気が複雑に動き出し、輿の周りを舞っていた風の精が、一斉にハルンツめがけて急降下をした。

 砂埃をたて、一陣のつむじ風が突然に巻き上がったように見えた光景だったろう。

 ハルンツには、表情を失くした精霊達が急降下してくるのが見える。

 恐怖で全身の筋肉が固まった。思わず強く秀全(しゅうぜん)の腕にしがみ付く。

 

「どうし……うわっぷ! 」

「ハルちゃん!! 」


 振り返った秀全(しゅうぜん)は、顔に砂を浴びていた。そして、ハルンツの顔を隠していた薄布が風に巻き上げられて飛んでいく。

 思わずリリスが名を叫び、手を伸ばす。が、指先をかすめた風の精霊が空高く薄布を巻き上げる。

 突如襲った強風で、目の前にそびえていた人垣が悲鳴を上げて崩れていく。

 正面に現れた輿は風を纏い、中で寛ぐ高貴な親子を露わにした。背筋を伸ばして座る少年と、純白のクッションにもたれる女性。

 波打つ栗色の髪。日に焼けてない微かに小麦色の肌。豊満な胸元を飾る黄金の飾り。労働の陰が見当たらない細い手首には、重々しい紅の宝玉をあしらっている。薄絹をまとう滑らかな肌から、魅力が光のようにあふれ出している。男ならば、いや、女すら目を奪われる存在感を放っている。

 そして、顔の下部分を隠す扇。魔よけの青色を微かに塗った目蓋が、物憂げに開かれる。視界全てが気に入らないかのような、冷たい双眸が青く光って蠢く。その動きは、ハルンツと同じ見えないはずの動きを追っている。風の精霊の軌跡を追いかけていく。

 故郷が消えたあの日、あの浜で見た、青い蛍火が灯った瞳は、ハルンツを見据えた。まるで体の中まで見据えるような強さ。

 途端、頭の奥まで刺激する甘い香り。熱い塊が体の中を駆け上る。


「しっかりしろ! 」


 秀全(しゅうぜん)が頬を張り、霧がかかった頭が痛みで目覚める。

 視界を遮っていた薄布がなくなっった事に気付き、反射的に顔を伏せる。


「ど、どうしよう、目を、目を……ケホッ」

「これ被って! 大丈夫よ、こんなに離れてるんだもん」


 マダールが、上に羽織っていた薄絹の衣をハルンツの頭に被せる。

 大丈夫という言葉を聞いても、ハルンツは確信していた。

 ファリデ王妃の瞳は蛍火が灯っていた。あの青い光から逃れられる訳がない。確実に、ハルンツを狙って突風を起こし、そしてその目で確認しただろう。


 「なんの騒ぎだ! 妃殿下の御前と知っての騒ぎか! 」


 倒れた人々が互いに手を取り、起き上がりつつあるその向こう、外套の頭巾を深く被った二人組が人垣を押しのけてくる。その背後に、警備の者だろう。腰に刀を差した水干(すいかん)の若者達が静止の命令を叫びながらかけてくる。が、道行く人波に邪魔されていた。先の二人組の方が、はるかに足が速い。


「行くぞ! 」


 目に砂が入ったんだろう。固く瞑った右目から涙を零しながら、秀全(しゅうぜん)がハルンツの腕を引っ張っていく。

 水干(すいかん)の若者達は、ジクメが増員したという京の警備員だろうが、この様子では助けてもらえそうにない。二人組、いやエリドゥ王国の方が上手だ。


「お通りぃい。お通りぃい。ファリデ王妃殿下、べザド王子殿下、お通りぃい」


 何事もなかったように掛け声が響くと、再び歓声が上がる。

 行列は止まる事も速度を遅くすることなく、悠然と進み続ける。

 人垣を挟んだその横で、まだ霞がかかったような頭のまま秀全に引っ張られていく。足を懸命に動かしていくたびに、風の音や人々の歓声が、コダマして世界を揺らし続ける。

 このままでは自分だけでなく、助けてくれようとする秀全や、リリスとマダールまで捕まってしまう。

 それだけは、それだけは嫌だ。これじゃ、浜辺で斬られそうになったあの時と変らない。

 里の術比べの時、白楊燕(はくようえん)が振りあげた刀から秀全(しゅうぜん)は体を張って守ってくれた。なのに、ボクはまた、大事な人たちを危険に晒している。


 「ど、どうしよう……」


 引きつる喉と喘ぐ息で呟いた途端、霞がかった頭の中に満天の夜空の星々が浮かぶ。


 『困ったら、呼びなさい。私も父様も、いつだって助ける』

 『貴方が呼べば、いつだって駆けつける』


 黒髪の少女の霊の言葉が、雷になってよみがえる。


 「蓮迦(れんか)さん、秀全(しゅうぜん)さんを助けて……っ」

 

 


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